#06 誰が敵? 誰が味方?

ルパートはソフィーとの婚約を大々的に発表した。まわりの貴族たちは強引で傲慢なルパートに反発し、ソフィーにも軽蔑の目を向けた。そんな彼女を励ましてくれたのは、憎い恋敵だったはずのメアリーだった。


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「なんですって?! ミスター・ビーチャムと婚約!!」

 オブライエン家の客間に集まった人々は、みんな目を丸くしてしばらくは誰も何も言わなかった。ソフィー自身も、やや決まりの悪い思いをしていた。それはスコット・フランクも同じ部屋にいたからだ。

 両親の死から三カ月あまり。両親の生前から近しかった人たちが、ささやかな集まりを持とうと声をかけて午餐会を開き、オブライエン家の客間でくつろいでいた。もちろん、スコット・フランクとの婚約話の真相を確かめたいという野次馬根性やじうまこんじょうもあったのだろう。

「あの……でも、ソフィー、あなたはたしかミスター・フランクと……」

 年配の女性が言いかける。

 よけいなことを……。

 ソフィーは内心で思った。できるだけそのことには触れられたくなかったのに。

「ミスター・フランクの求婚には、まだお返事をしていませんでした。なぜか噂のほうが先に広まっていたようですわね」

 まるで意外なことであったかのように、ソフィーは返事した。

「それは本当なの?」

 彼女は今度はスコットのほうを向いて言う。スコットは何も言わずに、少し頭を動かしただけだった。

「みなさん、ミス・オブライエンのような美しい女性なら、結婚したい男はたくさんいるでしょう。それでも彼女が私を伴侶にするという選択をしてくれたことを、名誉に思っています」

 一人涼しい顔のルパートが堂々とした態度で言う。

「ミスター・フランクも真剣に彼女のことを思っていらっしゃったはずだ。しかし彼女の選択を尊重し、潔く身を引いてくださったことに敬意を表します」

 ソフィーは内心であきれていた。スコットは潔く身を引いたりはしていない。彼に返事をするとき、実をいえばルパートもそばにいて、半ば脅しのように身を引くよう迫ったのではないか。

『彼女は私と結婚する。もし彼女にこれ以上執着するなら、私はあなたとのビジネス上の関わりを見直さざるをえない』と。


 スコットも成功したビジネスマンだが、立場はルパートのほうがはるかに強いようだ。スーパーマーケットのような流通業にとって、金融と物流は経営の要だ。ビーチャム商会はそこを押さえているから強いと聞いたことがある。

 ソフィーは部屋のムードが冷え切っているのを感じた。たぶん二人の求婚者を天秤にかけ、条件のいいほうを選んだ打算的な娘だと思われているのだろう。

「結婚式は一カ月後です。ここにいらっしゃる人たちは、オブライエン一家が昔からお世話になっているかたがたですので、全員をご招待いたします。それに私の会社の関係者も招いて盛大なものにしたいと考えているので、どうぞお楽しみに」

 その言葉に部屋がざわつく。ソフィーも思わずルパートの顔を見た。結婚式の話などまだしていない! 両親が亡くなって、まだ三カ月もたっていないのに。

「ルパート、そんな話はまだ……」

 彼女が言い終わる前に、彼がさえぎって言う。

「僕は一刻も早く君と妹さんたちの支えになりたいんだ。ご両親は三人の娘をのこしていかなくてはならなくて、さぞ無念だっただろう。長女である君が結婚すれば、きっと安心されるはずだ」

 ソフィーは言葉に詰まった。たしかにできるだけ早く結婚したほうが、私たち家族にとっても都合がいい。ルパートはソフィーにも客たちにも迷う時間を与えない。そこに来ているのはほとんどが古い家柄の貴族だったが、ルパートの堂々とした態度に圧倒されて、ただ彼の言うことを聞いているしかなかった。しかし彼らが何を考えているか、ソフィーには手に取るようにわかった。

 

「まったく、よりにもよってルパート・ビーチャムとはね。金だけはあるかもしれないが、貴族でもない、あんな成り上がりと婚約とは、君のお姉さんもとんだ俗物ぞくぶつだ」

 アーロン・パークスの遠慮のない言葉に、一緒に屋敷を歩いていた妹のビクトリアは身をすくめた。

「姉はこのオブライエン家を支えようと必死なのよ……」

 あのスコット・フランクとの結婚だって、真剣に考えようとしていた。ビクトリアは心のどこかで、愛情ではなくお金のために結婚を考えるなど不道徳だという思いはあったが、その一方で、それなら自分たちの今後の生活はどうなるのかという不安もあった。そう考えると、妹たちのために自分を犠牲にしようとしている姉を責められない。むしろ同情し、感謝と憐れみすら感じた。

 しかし相手がルパート・ビーチャムとなると、なぜかそういう同情心は起きなかった。そしておそらく貴族たちは、ルパートの傲慢さや権力に、自分たちをおびやかすものを感じている

「姉は結婚してしまうけれど……よかったらこれからも家に遊びに来てくださらないかしら。最近ではお友達があまり来ることもなくなって、私もフリーダもさびしい思いをしているのよ。両親が亡くなってまだ三カ月しかたっていないから、しかたないのかもしれないけれど」

 めったに会えないアーロンとの二人きりの時間。ビクトリアは勇気を振り絞り、思いきって頼んでみた。

 アーロンは立ち止まって、ビクトリアの顔を見下ろした。憧れの人にじっと見つめられて、ビクトリアはどぎまぎする。しかし彼の口から出たのは、ひどく冷たい言葉だった。「さあ……僕もここに来ることはあまりなくなるだろうな」

「え?」

 彼がやれやれというように首を振る。

「僕はたしかにソフィーに憧れていた。このあたりの若い男はみんなそうだ。彼女は美しいだけでなく、いつも輝いている太陽みたいな女性だ」

 アーロンはいったん言葉を切り、またちらりとビクトリアを見る。

「君では彼女の代わりにはならない」

 ビクトリアの顔から血の気が引いた。姉と自分が違うことはわかっていたけれど……。「それにいくら家を守るためとはいえ、ビーチャムなんかと結婚して、誇りを捨てようとしている彼女にも、オブライエン家にも興味はないね。まあ、せいぜい君らが元気で暮らせるよう祈ってるよ」

 彼はそう言うと、ビクトリアをその場に残して一人で玄関に向かった。ビクトリアは唇をかんで恥ずかしさと屈辱をこらえ、ただ彼の背中を見送っていた。


「結婚式が一カ月後というのは、もう発表してしまったから変えるわけにはいかないとしても、式自体はできるだけ地味にやりたいの。両親が亡くなってまだ間もないのに、派手な結婚式をあげるなんてできない」

 客が帰ってしまって二人きりになると、ソフィーはルパートに訴えた。ソフィーはさっき部屋の中にいた人々の冷たい目がいたたまれなかった。先に求婚していたスコット・フランクを拒絶して、彼らからしてみれば、スコット以上の成り上がりのルパートと急に結婚するというだけでも許しがたいことなのだ。

 しかしルパートは鼻で笑って言う。「この結婚式はビーチャム商会の力を世間に見せつける絶好の機会なんだ。貧乏くさい披露宴など論外だ。招待客は五百人をくだらない。幸い、このマナーハウスはそれだけの人数を招く余裕がある。装飾や料理は世界じゅうから一流のものを集めて、王室に負けないくらいの支度をしよう」

「王室と張り合うことはないでしょう? あまり非常識なことをしたら反発を買うわ。ただでさえ、まだ喪に服しているべき時期なのに」

「気にすることはない。君の知り合いの貴族たちにとって、僕が持っているネットワークは魅力的なはずだ。どれほど反発していても来ないわけにはいかないさ。僕としても、美しい妻をイギリス中に自慢したい」

 ソフィーはどきりとする。美しいと言われることは多いが、なぜ彼の言葉にこれほど心が揺れるのだろう。内心の動揺を隠して、できるだけ毅然きぜんとした声で言う。

「あら、あなたはオブライエン家に伝わる伯爵という肩書と貴族社会での立場がほしかったのでしょう? 私はあなたにオブライエン家を支える手助けをしてもらう。この結婚はお互いの欲しいものを手に入れるためのものだったはずよ」

 ルパートはおもしろそうに笑う。

「そうだったな。しかしだからこそ、君には一流のものを身につけ、精いっぱい着飾ってほしい。そうでないと僕と会社の価値が下がるからな」

 いかにも道具のように扱われている気がして、ソフィーはむっとした。

「この週末からさっそく準備に取りかかる。まずは君のドレスと指輪、それから装身具一式を選ぼう。パリまで行ってもいいが……ロンドンには最近、アジア人デザイナーがずいぶんと進出していてなかなかの人気ぶりだそうだ。君のまわりの貴族たちが、ふだん見向きもしないものを使ってみるのも一興だ。週末は昼過ぎから出かけるから、用意をしておいてくれ」

 それだけ言うとルパートはさっさと屋敷を後にした。

 

 翌日の午後、ソフィーはメアリーからお茶に招かれ、彼女の家へと向かった。ビクトリアもフリーダも出かける気にはならないと家に残っていたので、一人で出かけて行った。メアリーもまた一人で彼女を迎えてくれた。執事もメイドも使わず、彼女自身がお茶をいれてくれる。両親が生きていたころには退屈な女性としか思えなかったが、あの事故以降、こんなふうに気を遣い、家に招いてくれたのは彼女だけだった。

「私たちよりあなたのほうが先に結婚することになるなんて、びっくりだわ」

 昼間の婚約発表のときには、ウィルキンソン伯爵も来ていた。おそらく彼が息子のアンディに伝え、メアリーは彼から聞いたのだろう。

「ええ、私もびっくりしてるのよ」それはソフィーの正直な気持ちだった。

「急な話だったから。でもこの婚約で、私はずいぶん敵をつくってしまったみたい」

 気弱になっていたのか、ふだんならあまり口に出さない本音が出た。

「みんな驚いて、どう反応していいかわからなかったのではないかしら」

「でも……ミスター・フランクと婚約という噂が出たときは、まだ決まってもいないのに、みんな祝福ムードだったのよ。それなのに相手がルパートとなったら、形式的なお祝いの言葉さえない。きっとお金持ちのほうをとった、打算的な人間だと思われているのね。それも事実という部分もあるけれど……」

 これからずっと軽蔑の目で見られて生きていかなくてはならない。ソフィーは自嘲的に苦い笑いをもらした。

 それを見て、メアリーはやさしくほほえむ。

「軽蔑なんてしてないわ。みんなあなたがねたましいのよ」

「え? 妬ましい?」

「あなたは知らなかったかもしれないけれど、ルパート・ビーチャムといえば、今のロンドン社交界では、若い女性がみんな憧れるスターみたいな存在なのよ。だって、若くてハンサムで、ビジネスでも実力者で、三十代前半なのに、ビーチャム商会をイギリスきっての企業にまで成長させているわ。そんな独身男性を、世の若い女性が放っておくわけないでしょう?」

「そんなに人気があるの?」

「ええ。誰があの若き帝王の心をとらえるか、タブロイド紙なんかではいろいろな候補が上がっていたわ。ただどの人もすぐに候補から消えていったけど」

「メアリー、あなたタブロイド紙なんて読むの?」

 彼女が世俗的なことを話しているのが、妙に新鮮だった。

「それほど読まないけれど……でも彼の情報はすぐに入ってくるくらい有名だってことよ」

「そうなの」

「そんな男性を夢中にさせて、あっという間に結婚ということになったんですもの」

「彼は私に夢中なんかじゃないわ。傲慢で、強引で……」

 さすがに伯爵家というステータスが欲しいから私と結婚するのだとは口がさけても言えなかった。メアリーはアンディとの祝福された結婚が予定されている。そう思うと、自分ではなく家系だけを求められている今の立場がうらめしかった。

「あら……」

 メアリーが目を輝かせて言う。

「私からすれば、彼はあなたに精いっぱい尽くしているように見えるわ。ご両親が亡くなって悲劇の真っただ中にいたあなたたちが、一転して最高の幸せをつかもうとしている。あなたに同情していた人たちの中には、それをおもしろくないと思う人もいるでしょう」

「そういうものかしら」

「近くにいる人が、自分たちより幸せになるのが悔しいと感じる人は多いわ」

 メアリーの指摘はソフィーは目からうろこが落ちる思いがした。不幸になった人間に、人は同情してくれる。けれども分不相応ぶんふそうおうな幸せをつかもうとしている人間には、妬みを感じるものかもしれない。

 メアリー自身はそういう妬みとは無縁の存在のように思える。それでも意外に実際的な面を持っているのを感じた。現実離れしたところのあるアンディには、彼女のこういう冷静で現実的な部分が魅力なのかもしれない。

 不思議と彼女がアンディと結婚するのだと考えても、以前ほど激しい感情はわいてこなかった。あの日、彼に自分の気持ちをはっきり伝えたことが、遠い昔のように思える。あれからいろいろなことがありすぎた。急にやってきた嵐に巻き込まれ、いまだその渦に翻弄されているような気がする。そしてアンディはあれ以来、あきらかに私を避けている。

「でも……私にとっても急なことで、本当にこれでよかったのか、まだ自信がないの」

「ソフィー、それはわかるわ。この三カ月間、あなたはとてもがんばっていた。あまりにもめまぐるしくて、ゆっくり考える暇もなかったのでしょう? でも私は間違っていないと思う。ミスター・フランクはいい人かもしれないけれど、あなたとは合わないと思うわ」

 そう言って、少しいたずらっぽい笑顔を浮かべて、小さな声で付け加えた。

「だって、やっぱりさえないおじさんなんですもの……。あら、こんなこと言ったら失礼ね」

 ソフィーもつい吹きだす。彼女の冗談に救われるとは思っていなかった。

「大丈夫よ、ソフィー。ルパートはあなたを愛しているわ。事故以降、彼がどれほど献身的にあなたを支えてきたか、話を聞いただけでわかるもの。それにあなただって、彼のことを信頼しているはずよ」

「それは……」

 たしかに他の誰よりも頼りになるとは感じていた。ただ傲慢な態度が腹立たしいこともある。彼の美しさや熱い口づけに、胸が高鳴るのも本当だけれど……。

「私はあなたには幸せになってほしいの。ルパートと結婚すれば、きっと幸せになれるはずよ。だから自信を持ってちょうだい」

 不思議とメアリーにそう言われると、他の人たちの冷たい態度も気にならなくなり、きっとうまくいくという希望が胸の中に生まれた。


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