#05 二人からのプロポーズ
家をどうするか悩むソフィーのもとに、スコット・フランクがやってきた。ソフィーと結婚して姉妹を支えたいというのだ。年の離れた男性にいきなり求婚されて戸惑うソフィー。ところがその直後、ルパート・ビーチャムにも求婚される。しかし彼の提案は相変わらず無礼なもので……。
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翌日、ソフィーが父の書斎を整理しながら、父の思い描いていた事業がどうなっているのかわかる書類がないか見ていると、執事がスコット・フランクの訪問を知らせてきた。「ミスター・フランクが?」
「はい。ぜひお嬢様にお会いしたいそうです」
「そう。すぐに行くから客間でお待ちいただいて」
「かしこまりました」
事故の日に病院まで送ってくれたフランク氏だが、葬儀の日以来、会っていなかった。今日来た理由はわからない。アンダーソンは来週の金曜日に話をすると言っていた。その前に私と話したいことがあるのかもしれない。それは私にとっても好都合だ。聞きたいことは山ほどあるのだから……。
「ミス・オブライエン、突然うかがって申し訳ありません」
スコット・フランクがソファから立ち上がって言う。以前はどこか遠慮がちにソフィーに話しかけていたのに、今日は堂々とした物言いだ。
「いいえ。私も一度、ゆっくりお目にかかりたいと思っていました」
その言葉にスコットの顔がぱっと明るくなった。だが、すぐに顔を引き締めて言った。「ええ、それはたぶん、お父様とのビジネスのことでしょう。オブライエン伯爵は新しい事業を始めようとされていました。それで私にパートナーになってほしいとおっしゃっていたのです」
「パートナーに……」
「はい。私はもちろんできるだけ伯爵を助けたいと思っていました。実を言えば伯爵とはイートン校でご一緒した時期がありまして」
「え? 父の同級生だったのですか?」
そこまでの歳には見えないけれど。
「いいえ。歳ははるかに伯爵のほうが上でしたが、よく下級生の面倒を見てくださるかたでしたから」
「はあ……」
ソフィーはまじまじとスコットを見た。背丈はソフィーよりも少し高いくらい。金髪だった髪が年齢のために白っぽくなっている。中年太りとまではいかないが、腹部がふくらんでいるのは隠しきれない。ソフィーのような若い女性がときめく容姿では決してない。しかしやはり成功したビジネスマンとしての落ち着きはあった。
「私の父も商人で羽振りのいい時期がありまして、調子に乗って息子である私をイートン校に入れたのですが、結局、学費が払いきれずに三年で退学しました」
「そうですか」
「それ以来、私は両親がやっていたスーパーマーケットを大きくすることに集中し、おかげさまで今ではそこそこの実績をあげています」
「ご商売の才能がおありだったんですね」
ソフィーが言うと、また彼がうれしそうな顔をする。
「昔、お世話になった伯爵のことですから、できるだけご恩返ししたいと、これまでも私にできるだけのことはしてきましたし、その気持ちは今でも変わりません」
「ありがとうございます。私はオブライエン家の経済状況について、これまで何も知りませんでした。でも何とか支えていきたいのです。それでミスター・スコットのお力をお借りできれば……」
ソフィーは身を乗り出すようにして言った。
「ええ。それは私も同じです。伯爵の忘れ形見であるお嬢さんがたに苦労をさせたくはない。しかし……」
彼が何を言いだすのか、ソフィーは少し身構えた。
「伯爵が亡くなった今、違う形であなたがたを支えたいのです」
「それはどういう……」
「ミス・オブライエン」
改まった口調で言われ、ソフィーはたじろいだ。
「ずうずうしい申し込みであることはわかっています。しかしどうしても言わずにはいられない。ソフィー嬢、私と結婚していただけないでしょうか」
あまりにも意外な言葉に、ソフィーは呆然としてしばらく言葉も出なかった。
スコット・フランクがソフィー・オブライエンに求婚したという噂は、あっというまに上流階級のコミュニティに広まった。しょせん狭い世界だが、これほどすばやく正確に情報が伝わっているのは、フランク自身がわざわざ相手を選んで、情報をもらしているとしか思えない。
やられた……。その話を聞いたとき、ルパートはまずそう思った。彼がオブライエン伯爵をなにかと助けていたのはソフィーが目当てであることは感じていた。若くて美しい貴族の娘に正面からアプローチするのは不利だと、彼なりに考えていたのだろう。いずれこういう行動に出ることも予想がついていたのだが、まさかこんなに早いとは思ってもみなかった。ここで勝負に出なければ不利になる一方だと判断したのは、さすがに一代でのし上がった男だ。
しかし今度ばかりはやつの思い通りにはさせない。ソフィーをスコット・フランクなどと結婚させるわけにはいかない。彼女は僕の
なぜこんな事態になってしまったのだろう。ソフィーはダイニングルームで、さっき届いたばかりの花束を前に頭を抱えていた。スコット・フランクに求婚されてから一週間もたたないうちに、知り合いの間ではソフィーと彼が結婚することがすでに決まっているかのような噂になっている。
友人たちからも何本か電話があった。両親が亡くなってからまだ日が浅いので、
けれども私に他にどんな選択肢があるだろう。スコットと協力してビジネスを学べればと思ったが、彼は最初から私と結婚することしか考えていなかった。特に勉強したわけでもない若い女が、まともに仕事ができると思っていないのだろう。ここで彼の申し込みを断ったらどうなるか。他に手を差し伸べてくれる人がいるだろうか。
昔から仲がよかったウィルキンソン伯爵やメアリーの両親なら……。
ソフィーはそこまで考えて首を振った。彼らの家もおそらくうちと似たり寄ったりだろう。あまり実務には向かない人たちばかりだ。
「お姉さま……」
ソフィーが額に手を当てて考えていると、うしろから妹のビクトリアが心配そうな顔でのぞきこんできた。
「ビクトリア……」
「ねえ、ミスター・フランクのことだけど、もしかして本気で考えているの? 年も離れているし、お姉さまが結婚するような相手ではないと思うわ」
「ええ……でも他にどうすればいいのかわからなくて」
「それは……私たちのためでもあるのでしょう? うちにお金がないことがわかって、このままでは私たち三人、路頭に迷ってしまう。それを避けるために……」
「どうやって生活していくか、考えなければならないのは事実ね」
「でも、私はそのためにお姉さまの幸せを犠牲にしてほしくないわ。ミスター・フランクと結婚だなんて――」
「ビクトリア、私を心配してくれているのね。ありがとう」
ソフィーとビクトリアは年が近いせいか、ふだんあまり仲がいいとは言えない。華やかな姉のかげに隠れて、なかなか注目されないというコンプレックスがビクトリアにはあった。けれども、やはりこういうときは親身になってくれる家族だ。
「返事はしばらく待ってほしいと言ってあるのに、なぜか
「ええ、私も友人の何人かに聞かれたわ」
「態度をはっきりさせないでいると、よけいに噂が広がるわね。とにかく何か手を考えないと」
そう言いながらも、ソフィーは心細さをぬぐえなかった。ビクトリアはやさしさを示してくれるが、まだ誰かがどうにかしてくれるという甘えを感じる。もちろん私もついこのあいだまでそうだったのだけれど……。
「ソフィーお嬢様」
執事のヘンリーに話しかけられて、ソフィーははっとした。
「お客様がおみえです」
「お客様? 今日は誰とも約束はなかったはずだけれど」
「はい、それでもどうしてもお会いしたいと。ミスター・ビーチャムです」
ビーチャムという名を聞いたとたん、ソフィーの心臓がはねあがった。彼がいったい何の用なの?
「わかったわ。客間にお通しして、お茶をさしあげておいて」
できるだけ冷静な声をつくろって言った。
いったん自分の部屋に戻り、ふだん着から黒っぽいワンピースに着替え、化粧をして髪を整える。彼の前では少しでもだらしない格好をしたくなかった。
事故のとき取り乱した姿を見られたのは大きな失態だと思っている。最後にドアの横にある大きな鏡で全身をチェックし、一つうなずくと彼の待つ客間へと向かった。
客間ではルパート・ビーチャムがソファに座って紅茶を飲んでいた。クラシックなスーツを着て長い脚を組んだその姿は、貴族的な見かけでありながら、海千山千のビジネスの世界を泳ぎ回っている男の力強さを発散している。なぜか彼がまぶしく光っているような気がして、ソフィーは思わず目を細めた。
「ミスター・ビーチャム、お待たせしました」
彼は立ち上がって、軽く会釈をした。
「約束もしていないのに失礼しました。しかし早急に君とお話したかった」
事故の裁判のことだろうか? あるいは父の事業のことかもしれない。ソフィーは漠然と思ったが、彼がいきなり切り出したのは、まったく違う話だった。
「世間では君とスコット・フランクが婚約したと、もっぱらの評判になっている」
ソフィーは頭を殴られたような気がした。
「そ、それは!」
ソフィーがあわてて言おうとすると、ルパートが落ち着いた声で続けた。
「僕はそんなことは信じていない。君が彼の申し込みをそう簡単に受けるとは思わないからだ」
「ええ。そのとおりです」
ソフィーは彼の言葉に救われた気がして、勢いこんで言った。
「ミスター・フランクから求婚されたのは事実ですが、これまで考えたこともなかったので……すぐにお返事はできないと言ったのに」
「君は彼と結婚などするべきではない」
ルパートはソフィーの話をさえぎるようにして言う。自分でも彼と結婚したいとは思っていない。だがルパートに断定的にそう言われると、かちんときた。
「でもミスター・スコットは真剣に私たちのことを考えてくださってるわ。せめてこちらも真剣に考えて答えを出すのが誠意というものでしょう」
ルパートがそれを聞いて鼻で笑った。
「君が迷っているのは、この家や家族、使用人たちを守るためだからだろう? スコットと結婚すればすべて今までどおり。何も心配することはなくなるからな」
図星を指されてソフィーは言葉に詰まった。
たしかに家や妹たちのことさえなければ、自分よりも親のほうに年が近い男性との結婚なんて、考えることすらなかったはずだ。彼との結婚を、ほんのわずかでも考えているのは、他にも理由があるけれど……。
「それに君は今、やけにもなっている。このあいだのディナーのとき、アンディ・ウィルキンソンに拒絶されて、彼と結婚できないなら誰でも同じだと思っている。違うか?」
まるでハンマーで殴られたような衝撃を受けた。つい最近知り合ったばかりの赤の他人に、ここまで言われるなんて。
「ミスター・ビーチャム、相変わらずあなたって失礼な人ね。いろいろ助けていただいて、少しでもいい人かもしれないなんて思ったのは間違いだったわ」
「そのくらいでないと、君は本心を見せないだろう。僕が今日来たのは、ある提案をするためだ。
「提案て、どんなことかしら」
ソフィーはできるだけさりげなく聞いた。もしスコットと結婚しなくても、この家を維持して、妹たちを養っていく方法があるなら……。
「君はオブライエン家の家屋敷や財産を守りたいと思っている。スコットと結婚しなくても、それを可能にすることだ」
「いったいどうやって?」
ソフィーが目を上げると、ルパートと視線がまっすぐにぶつかった。その黒い目の強い光に、ソフィーは魅入られそうになる。彼の口からゆっくりと言葉がもれる。
「僕と結婚するんだ」
ソフィーは呆然としてしばらく何も言えなかった。
結婚? ルパート・ビーチャムと?
ルパートは口元にかすかな笑みを浮かべて、彼女を見つめている。
「あ、あなたと結婚なんて……。それじゃ相手が変わるだけじゃありませんか」
「スコットと同じとは思わないでくれ。彼はただ、君と結婚して自分の
「対等なパートナー……。でも私はビジネスは……」意気込みだけはあっても、今の自分はまだ世間知らずのお嬢様でしかない。
「ビーチャム商会はさまざまな業種の事業を行なっている。君にもできる仕事があるはずだ。一部の貴族がしているように、オブライエン家の家屋敷を活用して何かできるかもしれない」
「それなら結婚しなくてもいいでしょう?」
「僕は伯爵家という肩書が欲しい」
「肩書きですって?」
「ああ。ビジネスの能力に地位など関係ないが、やはりイギリスには階級というものが存在する。保守的な貴族層には、僕らのような人間は信用されにくい。僕がオブライエン伯爵に多少の援助をしたのも、貴族層への進出を狙っていたからだ。そしてできれば三人の令嬢のうち一人と結婚したいと思っていた」
「事業をやりやすくするために?」
「そのとおり。いくら落ちぶれかかっているとはいえ、長いこと富を独占してきた貴族たちは、潜在的な資産を持っているからな」
「そのために結婚だなんて……」
しかも、三人のうちの一人ということは、私でなくてもいいということ? なぜか、その部分にソフィーの胸がちくりと痛んだ。
「おや、君はスコット・フランクと結婚することだって、真剣に考えただろう? それにアンディがメアリーと結婚する今となっては、愛する人と結婚するという夢はついえた。これまで君のまわりには、いくらでも若い男がいた。結婚相手などさがせばすぐに見つかると思っているかもしれないが、オブライエン家の今の状態ではどうかな?」
ソフィーはぐっと言葉に詰まる。たしかに両親が亡くなってから、若い男性の訪問者はぱったりなくなった。あれほど何人もが私に夢中だと言っていたのに、私たち家族が悲しみにくれているときには、誰一人支えようとはしてくれなかった。
「君は僕の欲しい物を持っている。そして僕は君が欲しい物すべてを与えることができる」
「それでも……」
ソフィーの心は揺れた。ルパートと結婚……。そう思うと心の中が甘くうずく。
「それに、もう一つ」
「え?」
ルパートがいきなりソフィーの腕をつかむ。ソフィーは心臓が飛び出すのではないかと思った。鼓動が激しく高鳴る。
「僕ならば必ず君を満足させられる」
腕をつかんだまま、ルパートがソフィーを引き寄せ、もう片方の腕を腰に回す。がっちりと両手で押さえられて、ソフィーは動けなくなった。彼の漆黒の目に吸い込まれそうになってしまう。
必ず君を満足させられる。
その言葉の意味に思い当たって、ソフィーは頭にかっと血が上った。きっと顔が真っ赤になっているに違いない。
「失礼なことを……!」
腕をもがいて離れようとしてもびくともしない。
「君は僕と結婚するんだ」
耳元でささやかれ、ソフィーの足から力が抜けていく。彼の体から漂うムスク系の香りに包まれ、現実からかけ離れた場所に行ってしまうような気がする。そして二人の顔が近づいてきて、しっとりとした彼の唇に、ソフィーの唇は包まれていた。
ああ、こんなことが前にもあった。ソフィーは混乱する頭の中で、初めて彼に会ったときのことを思い出していた。あのとき初めてこの唇に触れたのだ。強引なはずなのに温かくてやさしくて。そのとろけるような感触に、いつのまにかソフィーの唇もこたえていた。
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