#03 突然の悲劇

 アンディの婚約に鬱々とする日々。ソフィーが気分転換の遠乗りに出かけようとしたとき、両親が乗っていた車が事故に巻き込まれたという連絡が入る。病院にかけつけると、そこにはなぜか、あの無礼なルパート・ビーチャムがいた。


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 オブライエン家のディナーから半月ほどがたった。あれからアンディはソフィーをさけているらしく、彼の両親がたずねて来る時に同行することもなくなった。会うことさえできれば、きっと気持ちを変えてもらえるはず……。いつでも自分の思う通りに生きてきたソフィーはそう思っていたが、だからといって相手の屋敷に押しかけていくには、プライドが高すぎた。

 なんとかしなくては……。

 気持ちは焦っていたが、とくにいい考えも浮かばない。鬱々うつうつとしているうちに日は過ぎていた。

 オブライエン家にはそれまでも若い男性の客が多かったが、あのディナー以来、スーパーを経営しているスコット・フランクがよく訪問するようになっていた。来れば父と部屋にこもって長々と話をしているのが、ソフィーには不思議だった。家柄にしても人柄にしても、父がつきあうようなタイプとは思えないのに。

 その日も昼過ぎにスコット・フランクがやってきた。

「こんにちは。ミス・オブライエン」

 メイドが客間に案内しようとしていたところで出くわし、ソフィーも軽く会釈をする。

「あら、父はまだ……」

「ええ、ご夫婦でお出かけだそうですね。でもこちらで待つよう伝言を残してくださっていますので」

「ああ、そうでしたか。ではごゆっくり」

 ソフィーはそっけなく言い、彼の横をすり抜けるようにして玄関へ向かった。

 今日は予定もないので、少し馬で出かけてこようと思ったのだ。遠乗りはもっぱら父や男友達と出かけるが、姉妹の中で乗馬が好きなのは自分だけなので、一人で出かけることも苦にならなかった。その日も気に入りの乗馬服を着て意気揚々と外に出ようとしていた。

 まさに玄関の扉を開けようとしていたとき、執事のヘンリーに階段の上から大声で呼ばれた。

「ソフィーお嬢様、お待ちください!」

 それだけで、ただごとではないとわかる。ふだん執事は決して大声など出さない。ソフィーが振り返ると、ヘンリーが階段から降りてきた。その表情は硬かった。

 執事はソフィーの前へ立つと、目をまっすぐに見て言った。

「だんな様と奥様の乗ったお車が、事故に巻き込まれたそうです」

「事故……?」

 さっとソフィーの顔色が変わった。

「はい、すぐに病院に運ばれましたが、予断を許さない状態だそうです」

「予断を許さないって……それは危ないということ?」

「おそらく」

 執事の顔も引きつっている。

「そんな、まさか……」

 足もとにぽっかり穴があいたような、急に地面が無くなったような気がして、ソフィーの気が遠くなった。だがすぐに、生まれながらに身に付いた貴族の長女としての芯の強さが顔を出し、使用人の前で取り乱すことをどうにかおさえた。

「ビクトリアとフリーダを呼びに行ってちょうだい」

 ふるえる声をおさえ、執事に命じた。両親がケガをしたのであれば、自分がこの事態を取り仕切らなければ。

「お嬢様たちはメイドが呼びにいっております。すぐに病院にお連れしたいのですが、お車が……」

 オブライエン家には車が二台しかなかった。父が車での移動をあまり好まず、旅行もしないのでふだんはそれでことたりている。両親が一台に乗っていて、他の一台は使用人が使っているということだった。近隣の車を頼むにしても、かなりの距離がある。すぐに手配がつくかどうか……。一刻も早くお父さまとお母さまのところに駆けつけたいのに。ソフィーの気持ちは焦っていた。

「そういうことなら、私がお送りしましょう。大型車で来ておりますので、お嬢さんたち三人に、付き添いのかたも乗せられます」

 ふいに声がして全員が振り返ると、スコット・フランクがいた。客間のドアの前で声が聞こえ、引き返してきたらしい。

「そうしていただけると助かります。ミスター・フランク。ご無理でなければ」

「もちろん、大丈夫です。それではソフィーさん、先に車にご案内しましょう」

 ソフィーは呆然として言葉もなかった。

 父と母が事故だなんて……。

 スコット・フランクが、小さく震えるソフィーの肩に手を置いて、外へと導いた。ふだんならそんなことをされたら、さりげなくすっとかわすか、若い男なら手を振り払うくらいはするが、そのときは何も考えられず、されるがままになっていた。


 近代的な病院のロビーには、大きなカメラを抱えたマスコミらしき人々がおおぜい集まっていた。ニュースになるほど大きな事故だったのだろうか。スコットが受付の女性に事情を話すと、職員の一人が付き添って病室へと案内してくれた。ロビーの奥のエレベーターに向かう途中、カメラを向けられているのを感じたが、どこか他人事のような気がする。

 ビクトリアとフリーダも青い顔をして、ソフィーにしがみついている。

 もし父と母が……。そう思ったとたん、ソフィーはひどい心細さにおそわれた。エレベーターの中にいるのは、姉妹とスコット・フランク、そして病院の職員だけだ。四角い鉄の箱がつりさげられている重みを感じ、急に世界が遠ざかっていくような気がした。

 何階まで上ったのかわからないままドアが開いた。ガラス張りの廊下に日がさんさんと差し込んでいた。その妙な明るさが、今の気持ちとまったくそぐわなくて、まるで現実感がなかった。廊下を隔てた向こう側に、ラウンジのような場所があって椅子とテーブルが置かれていた。そこにはすでに何人か人がいて、誰も何も言わず呆然としている。おそらくソフィーたちと同じように、事故に巻き込まれた人の家族なのだろう。

 ソフィーがふと目を上げると、見覚えのある人物がいた。

 背が高く黒い髪、黒い目……。半月前のディナーに来ていたビーチャム家の……。そう思い当たったが、心は麻痺したままだった。

「ミス・オブライエン」

 ルパート・ビーチャムが姉妹のほうに歩いてくる。

「さっき医師があなたがたをさがしていた。ご両親のことで……」

 彼の声を聞いたとたん、あの日の無礼なふるまいがよみがえってきて、なぜかこの事故に彼が関わっているのではないかという思いがこみあげてきた。

「あなたは……いったいなぜここにいるの? 私の両親をこんな目に合わせたのはあなたなの? いったいお父さまとお母さまに何をしたの!」

 ルパートにつかみかからんばかりの勢いでソフィーは言った。実際、思わず両手を彼のほうに伸ばしていた。しかしその手は彼に届くことなく、逆に肩をがっしりつかまれた。

「しっかりしたまえ! 僕は君のご両親に何もしてはいない」

 そのきつい口調に、ソフィーははっと我に返った。

「事故には一〇台近い車が巻き込まれた。その一台がビーチャム商会物流部門の車だった。それで僕が来たんだ」

 彼の会社の車も巻き込まれたから……。

 ソフィーはようやく彼がここにいる理由を理解した。

 でも、彼は社長じゃないの? 会社のトップがいきなり病院にまで来るものなのだろうか……。

「ご、ごめんなさい。私、動揺してしまって……」

 小声で彼に謝罪をする。ルパートはさらに手に力をこめて、ソフィーの肩をつかむ。

「今は君がオブライエン家の家長だ。君がおろおろすれば妹さんたちも動揺する。みっともない姿を見せるんじゃない!」

 いきなり容赦なく叱りつける声に、ソフィーの瞳が燃え上がった。

「ミスター・ビーチャム、それはあまりに失礼でしょう。ご両親の事故を知らされたばかりなのですよ。彼女のような若いお嬢さんが……」

 スコット・フランクがとりなすように割って入った。わずかだが、ルパートを非難する調子がこめられている。しかしルパートは口調を変えることなく続ける。

「若い娘だからなんだというんだ。君らは貴族であることを誇りにして生きているのだろう。こういうときこそ冷静でいる誇りを持て。それができなければ、単なる甘ったれの役立たずだ」

 ソフィーはかっとした。

 いったいこの人は何の権利があって、こんな暴言を吐くの。甘ったれの役立たずですって? これまで私にそんなことを言った人はいないのに。ソフィーは顔を上げ、ルパートをぐっとにらんだ。先ほどまで白く青ざめていた頬に怒りの赤みが差し、瞳に強い意志の光が戻った。

「失礼しました。ミスター・ビーチャム。私ならもう大丈夫です。もう手を放していただけませんか」

 気位の高さがにじみ出るその言葉に、ルパートがかすかに笑ったように見えた。少しやわらいだ目元を見て、ソフィーはどきっとした。

「それでこそソフィー・オブライエン嬢だ。私の無礼な言動をお許しください」

 一歩下がって、うやうやしく会釈えしゃくをする。ソフィーはもう一度、彼を一瞥いちべつした。そこへ白衣を着た男性医師がやってきた。再びソフィーと妹たちの間に緊張が走る。

「オブライエン伯爵のご家族のかたですね」

「はい」

 声が震えないよう、ソフィーは腹に力を入れた。そう、ここで私がしっかりしなくてどうするの?

「お気の毒ですが、伯爵と伯爵夫人は……」

 医師が話し終わらないうちに一番下のフリーダが悲鳴をあげて泣き出し、ビクトリアは立っていられなくなってくずおれた。ソフィーは唇をかみ、足に力を入れて床を踏みしめ、じっと立っていた。


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