#02 とてつもないハンサム……でも最悪!

 幼馴染のアンディとメアリーが婚約すると聞いて、ソフィーは激しいショックを受ける。おまけに彼に振られたところを、初対面のルパート・ビーチャムに見られてしまう。ルパートは人目を引くハンサムだが、信じられないような無礼な男だった!


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「ソフィー聞いてくれ、ビッグニュースがあるんだ」

 ソフィーが座っているベンチのうしろに立っていた、背が高くがっしりとした体型のハンサムな青年が、ことさらゆっくりとした口調で言う。

「あら、アーロン。チームにあなたの地位をおびやかすスター選手でも入ってきたというの?」

 アーロンと呼ばれた青年が苦笑いする。

「いや、そうじゃない。わがクリケットチームのスターの座は、まだしばらくゆずらない」

「そう。でも去年は優勝を逃してるのよ。今年はもっと活躍してもらわないと」

「ああ。もちろんさ。期待してほしいな」

「クリケットもいいけど、ソフィー、たまにはロンドンに出てショッピングでもしない? あなたあまり街に行かないでしょう?」

 アーロンの前に座っていたチェルシーという若い娘が口を挟んだ。

「人がたくさんいるところは好きじゃないのよ。ダウンタウンはあまりきれいじゃないし、うるさいし」

「あら、街には街のおもしろさがあるわよ。最新流行のファッションを着た人があふれてるし、ウエストエンドで映画や舞台を見たいと思わない?」

「チェルシー、私の好みは、あなたとは違うの。私はここや田舎の別荘で過ごしていたほうが楽しいわ。クリケットを見たり馬の遠乗とおのりをしたり、親しい人たちとお茶をしたりね」

「あなたって、性格に似あわず好みは保守的よね。まるで一九世紀のレディみたい」

「あまりほめてるようには聞こえないわね」

「でも欲しい物には貪欲どんよくでしょう?」

「貪欲?」

「それは本当だわ」

 今度はソフィーの妹のビクトリアが口をはさんだ。

「うちの馬はほとんどお姉さまがねだったものよ。お父さまもお姉さまには弱いもの」

「馬はお父さまもお好きなのよ」

 ビクトリアは不満そうに肩をすくめた。

 ロンドンの街になど本当に興味はない。あまりにも人が多すぎるから。両親に妹たち、忠実な召使い、そして自分の美しさを賞賛してくれる男たち。それ以上、何を望むことがあるというの。

 最近は貴族といえども経済的に立ちいかず、屋敷や土地を売って生活している人たちもいるらしい。なんてみじめなこと。私はそんな生活はきっと我慢できない。

 今の私はとても幸せだ。このまま自分の好きな人たちに囲まれて、愛する人と結婚し、両親と同じような豊かな家庭を築くことをソフィーは疑っていなかった。

「レディたち、話をこちらに戻してもいいかい?」

 アーロンが大げさな動作で注目を自分に引き戻す。するとチェルシーが彼のほうを向いて言った。

「ビッグニュースがあるんだったわね。いったい何なの?」

「それそれ。アンディ・ウィルキンソンのことだ」

「アンディ?」

 からかうような口調で話していたソフィーの顔がぐっと引き締まる。

「アンディがいったいどうしたというの?」

「やっぱりソフィーも知らなかったか。ビクトリアとフリーダはどうだい?」

 上の妹のビクトリアは、アーロンに名前を呼ばれて、はにかんだ笑みを浮かべた。

「さあ……。相変わらず本を読んでばかりいるってこと以外は」

「そう。ウィルキンソン家の堅物のアンディが……なんと、婚約だってさ!」

 若者たちの間に、わっと歓声があがる。

「へー、古臭い本にしか興味ないと思ってたのに。で、あのお堅いアンディと結婚しようなんて奇特な女性はいったい誰なんだい?」

「メアリー・ターナーさ」

「メアリーですって……?」

 ソフィーは呆然とした。二人とも幼なじみでソフィーもよく知っている。

「まさか……。アンディにはほんの一週間前に会ったけど、何も言っていなかったわ」

「あいつは自分の婚約のことだって、誰かに言ってもらおうとするようなやつさ」

 くすくすと笑う声がする。

「お、噂をすれば、ご本人の登場だぜ」

 アーロンがうしろを振り返って言うと、全員の視線がそちらに向けられた。もちろんソフィーもだ。その視線の先に、すらりと背の高い金髪の青年がいた。スーツをきっちりと、しかし優雅に着込んでいる。

「よお、アンディ。今ちょうど君の噂をしていたところだ」

「噂?」

「噂というより事実の公表かな。まだ誰にも知らせてないなんて、秘密主義もいいところだ」

「ああ……正式に決まって、まだ一週間もたっていないんだ。みんなには今日伝えようと思っていたから。それを先に言ってしまったのかい?」

 アンディはアーロンを責めるでもなく、穏やかな声で言う。

「アンディ……婚約したって本当なの」

 ソフィーはどうにか冷静さをとりつくろって言った。

「ソフィー。ああ、両親にはずいぶん前から身を固めろと言われていたけど、ようやくその望みがかなえられそうだ」

 ソフィーの心は衝撃で張り裂けそうになった。


 アンディ……なぜ笑っているの? なぜメアリーなの? 

 あなたも私の気持ちを知っていたはずなのに。


 そのときオブライエン伯爵夫人が庭へ出てきて声をかける。

「さあ、みなさん。そろそろ中へ入ってちょうだい。女性たちはディナー用のドレスに着替えなくては」

 それを合図に七~八人いた若い娘たちが立ち上がっていっせいに屋敷の中へ入っていった。青年たちもそのあとについて、ゆっくりと屋敷へ向かう。

 ソフィーはさりげなくアンディのそばを歩き、他の人たちが離れたところで彼の肘を引いた。

「ソフィー、どうしたんだ……」

「しいっ、ちょっとこっちへ来て」

 ソフィーは父が集めた陶器のコレクションが置いてある部屋へ、アンディを導いた。

「どうしたんだい? 怖い顔をして」

「アンディ、メアリーと婚約なんて聞いてなかったわ」

「ああ、それで怒ってるのか。ごめんよ。メアリーも僕も、君とは小さいころからの知り合いだものね。水くさかったかな」

 そんなことを言っているんじゃないのに。

「でも逆に、だからなんとなく照れくさくてね。先に言うことができなかったんだ」

 アンディの白い頬が少し赤く染まり、パウダーブルーの瞳がふだん以上に優しくなる。

 やめて! あなたのそんな顔は見たくない。

「メアリーなんて……。どうしてなの? 彼女は……貴族の出だけど、あなたの家に比べたらずっと身分は低いのよ」

「ソフィー。今は二〇世紀も後半だよ。たしかにまだイギリスには貴族が存在するけど、身分にどれほど意味がある?」

「そんなに彼女のことが好きなの?」

 ソフィーは両手で彼の腕をつかみ、目をじっと見て絞り出すように言う。

「私の……私の気持ちを知っていたのでしょう? それなのに……」

「ソフィー……」

 アンディの青い目が困ったように揺れる。

「私は……小さいころから、あなたのことが好きだったわ」

 ソフィーの気持ちはしだいに高ぶってきて、両手でアンディの腕を押さえるように握る。

「あの日、約束のキスをしてくれたじゃない。私はずっとあなたのプロポーズを待っていたわ。あなたも同じ気持ちだと思っていたのに」

 必死で訴えるソフィーの手をそっとはずして、アンディは兄のような優しい口調で言った。

「ソフィー、キスとはいっても、幼いころのことだよ。君はとてもすてきな女性だ。美しくて誇り高くて。今日ここに来ている男たちは、みんな君に夢中だ」

「他の人のことなんかどうでもいいわ! 私はあなたが好きなのよ!」

 アンディはソフィーの肩に手を置いて言った。

「僕も君のことは大好きだ。でも結婚はできない」

「どうして……」

 ソフィーのエメラルド色の瞳が燃えるように光る。

「君は炎のような女性だ。君のそばにいると僕みたいな男は燃やし尽くされてしまう」

「メアリーなら……いいの?」

「ああ。彼女はたしかに君ほど美しくはないかもしれない。でも穏やかで、一緒にいて楽なんだ。僕には静かに流れる水のような女性が合っている。彼女となら静かで平穏な生活がおくれると思う」

 ソフィーはメアリーのおとなしげな顔を思い浮かべる。平凡で、これといって特徴のない顔だ。いい人なのかもしれないけれど、ソフィーからすれば退屈でおもしろみがない。それなのにアンディは私よりも彼女を選んだ……。あんな地味な女……アンディにはふさわしくない。

「わかったわ」

 ソフィーは歯を食いしばり、声を押し殺して言った。

 それを聞いてアンディの顔もほころぶ。

「君には、僕なんかよりもふさわしい人がきっとすぐに現れる。さあ、行こう」

「先に行ってちょうだい。今は一緒に行きたくないの」

 アンディは困ったような顔をしたが、すぐに、いつもの落ち着いた表情になった。

「そうか。わかった。それじゃ、ダイニングルームで待ってるよ」

 アンディが静かに部屋を出て行くとき、ソフィーは顔をそむけて窓から外に目をやった。

 プラチナブロンドにパウダーブルーの瞳。物静かでいつも本を読んでいたアンディ。誰よりも優しかった彼は、小さいころから理想の王子様だった。自分にはないものをたくさん持っているからこそ恋をしたのに、彼は私があまりに違いすぎるから結婚できないという。

 ソフィーはこれまで男性に拒絶された経験はない。それがまさか自分が恋した相手からだけは拒絶されるなんて……。

 

 失恋の悲しみが、しだいに怒りへと変わっていく。胸の中に熱いものがこみあげてきて、ソフィーは思わず近くにあった皿をつかんでドアに向かって投げつけていた。皿が壁にぶつかって甲高かんだかい音が響く……はずだった。しかし鈍いくぐもった音が聞こえただけだ。

 ソフィーがつぶっていた目を開くと、ドアの横に背の高い男が立っていた。ソフィーはあわてて目をこすった。彼は胸のところで皿を押さえている。どうやら彼を直撃したらしい。


「誰……?」

「ディナーの招待客さ」

「いつからそこにいたの?」

 警戒するようにたずねる。

「入ってきたのは今だけどね」

 皮肉っぽい笑い方から、それまでの会話も聞かれていたことがわかった。

「立ち聞きなんて、紳士にあるまじき行為だわ」

 ソフィーはつんと横を向いた。

「自分が紳士だと思ったことはない。それに君ら貴族の上品ぶったふるまいを見習いたいとも思わない」

 ソフィーは少し冷静になって彼を見た。少しウェーブのかかった黒い髪、切れ長の黒い目。厚い胸板。強引そうな口調とセクシーさを感じさせるやや厚みのある男らしい口もと。

 アンディとはまったく違うタイプだけれど、この人の目には引力がある。視線を合わせたとき、ソフィーの背筋に何かしびれるような感覚が走り抜けた。

「ミス・オブライエン」

「え?」

 ぼんやりしていたところに声をかけられて、はっとする。

「さっき出て行った男だが、あれはウィルキンソン伯爵の息子か?」

「ええ。そうよ」

「君を振るなんてもってのほかだと言いたいところだが……彼は自分をよくわかっている」

「どういうこと?」

「彼と君は合わないということだ。結婚は無理だ」

「大きなお世話だわ」

 ふたたびソフィーのエメラルドの瞳に火がともった。

「それについては彼の言い分が正しい。君と一緒にいたら、ああいう男はすぐに燃え尽きてしまう」

 ソフィーは唇をかんだ。なぜ見ず知らずの人間にこんなことを言われなければならないの。

「君にはもっとふさわしい男がいる」

「あら、そう。それならどこにいるのかおしえていただきたいわ」

 彼が近づいてきたので、ソフィーは少したじろいで体を引いた。すると彼が手に持っていた皿を前に差し出した。さっきは興奮して投げつけてしまったが、父の大切なコレクションだ。受け止めてくれたことには感謝しなければならないだろう。

「あ、ありがとう」

 恥ずかしさを隠してソフィーは受け取ろうとして片手を前に差し出した。彼はソフィーの顔をちらりと見て、口元に笑みを浮かべる。その笑顔に吸い込まれそうになった瞬間、腕をつかまれてぐっと引き寄せられた。バランスを崩して彼の胸に倒れこむ。

「いったい何を……!」

 抗議しようと彼の顔を見上げると、思った以上に彼の顔が近くにあり、ソフィーは息をのんだ。漆黒しっこくの瞳がすぐそばに迫り、彼の息が頬にかかりそうだ。ソフィーは思わず体を固くした。吐息のような声が耳元でささやく。

「目の前にいる。君にふさわしい男は」

「目の前って……」

 体勢を立て直して顔を離すと、また視線がまっすぐぶつかった。

「僕なら君とやっていける」

「なんですって! そんなばかげたこと……」

 あとの言葉を続ける前に、彼の唇がソフィーの唇に押し付けられた。体を離そうとしても、たくましい腕が体にまきついて身動きが取れない。強引なのにその唇から体温が伝わってきて、全身が発熱したように熱くなる。

「ん……」

 体も頭もしびれて、何もまともに考えられない。ただくずおれないように彼の体にしがみついていた。

 どのくらいの時間がたったのか、ついと彼の唇が離れた。けれどもソフィーの頭はまだぼんやりとして、力を入れていた腕を彼の体からなかなか離すことができなかった。こんなキスをしたのは初めてだ。熱く強く……それでいて優しい。

「いつかきっと、僕は君を手に入れる」

 まだ何も言えないソフィーに皿を渡し、彼はゆっくり振り返ってドアへ向かった。ソフィーはそれをただぼんやりと見つめるしかできなかった。


 ディナーには出たくなかった。しかしアンディに拒絶されたからといって、行動を変えたくはない。ソフィーは気持ちの落ち込みを打ち消すように、いつも以上に華やかなドレスを身につけると客間へ向かった。

 客間ではすでにおおぜいの客たちがカクテルを手に談笑していた。ソフィーや妹のビクトリアとフリーダの友人である若者の他に、両親の知り合いも来ている。全部で五十人ほどだろう。ソフィーが客間に入っていくと、すぐに男たちが彼女を取り囲んだ。

 美しさをほめそやす彼らの言葉も、今日はほとんど頭に入ってこなかった。いいかげんな返事をしていると、父親が中年の男性を連れて彼女の前にやってきた。

「お父さま」

「ソフィー、ようやく来たね。こちらはミスター・スコット・フランク」

「はじめまして、ミスター・フランク」

 優雅な笑みを浮かべながら挨拶あいさつした。

 ソフィーが差し出した手を彼はそっと握り、うやまうかのように手の甲にキスをした。まるで王女の前に出た下臣みたいだわ。かなり年上のはずなのに。

 ソフィーは心の中でつぶやく。

「彼は大きなスーパーマーケットチェーンのオーナーなんだ。フランキーマーケットというのを知っているかい?」

「ええ。最近いろいろなところで見るわ。あのスーパーの経営をなさっているのね?」

「そうです。私の父がやっていたころは小さな店でしたが、現在イギリス国内に五十軒を超す店舗を展開しています」

「そうですか」

 それはきっと世間的にはすごいことなのだろうが、ソフィーには興味がなかった。そもそもそんな庶民相手の店に買物に行ったことはない。いったいお父さまはなぜこんな人と知り合いなのだろう? なぜ今夜、招待したのかしら? 

 相手に気をつかっている父の様子は、見慣れないものだった。

「これまでいろいろお世話になっている。これからも何かと手助けしてくださるはずだから、お前にも紹介しておこうと思ったんだ」

「そう」

 世話になっているなんて……。

 父の言っている意味がわからず、ソフィーは内心首をかしげた。でも、何か事業で関わりがあるのかもしれない。当たり障りなくソフィーは彼にちょっとほほえんでみせた。すると彼はうれしそうに何度もうなずく。

 そこへオブライエン家の執事であるヘンリーがそばにきて、そっと耳打ちをした。オブライエン伯爵は軽くうなずいて、ソフィーから離れていった。

 マントルピースの前にアンディとその父親が立っていた。ソフィーは思わず下を向く。彼らの横にはきっと……。

「みなさん、今日はようこそオブライエン家のディナーにいらっしゃいました。食事の前に、一つおめでたい報告をしたいと思います」

 周囲がざわついた。

「わがオブライエン家とも縁の深い名家ウィルキンソン家の長男アンドリューが、メアリー・ターナー譲と婚約されたことをここにご報告いたします」

 歓声と拍手が起こる。ソフィーの父にうながされて、アンディが一歩前に出る。その横にはやはりメアリーが寄り添っていた。小柄でブラウンの髪、露出の少ないいかにも貞淑ていしゅくそうなドレスを着ているが、さすがにいつもよりは輝いて見える。 顔に散ったそばかすさえも愛らしく見えた。優しげな目で未来の妻を見つめるアンディはとても幸せそうだ。ソフィーは今度は目をそらさなかった。歯を食いしばり、じっと彼らを見つめる。

「祝福の場で、主役をそんな風ににらみつけるものじゃない」

急にうしろから声をかけられて、ソフィーは飛び上がりそうになった。

 振り向くとさっきの男が身をかがめて、彼女の耳に唇を寄せている。

「またあなたなの!」

 ソフィーは小さな声で言った。

「いったいあなた何者?」

「すぐにわかるよ」

 ソフィーは悔しげに前を向く。こんなに人がたくさんいるところで騒ぐわけにはいかない。

 部屋の前方では、アンディとメアリーにおおぜいの人が祝福の声をかけている。しかししばらくして、またソフィーの父が話を始めた。

「夜はまだ長い。アンディとメアリーの話はゆっくり聞かせてもらうとして、今日はここに初めてお招きするお客様がいらっしゃいます。みなさんにとってはとても興味深い人物だと思いますよ」

 オブライエン伯爵は小さく咳払いすると、笑顔をつくって宣言した。

「わが国の金融、物流、小売りなど、幅広い分野で大きな影響力を持つビーチャム商会三代目社長のルパート・ビーチャム氏です」

 さっきとは違うざわめきが客間に広がっていく。それは必ずしも好意的なものではなかった。

「ミスター・ビーチャムはどちらにいらっしゃいますかな……ああ、いらっしゃった。こちらへどうぞ」

 いつのまに移動したのか、ついさっきまで自分のうしろにいた男が父のとなりに立った。父と並ぶと背の高さがひときわ際立つ。これだけ離れていても、黒い瞳が強い光を放っているのがわかる。

「ルパート・ビーチャム……」

 ソフィーは彼の名を繰り返した。

「ねえ、ソフィー。彼、ビーチャム家の跡取りだったのね。すてきだわ。あの黒い髪を見てよ」

 すぐそばにいたチェルシーが少し興奮したように言った。

「……彼は貴族じゃないんでしょう? なぜ今日ここにいるのかしら」

「さあ。でもあなたのお父さまが正式に招待したのでしょう? 大きな会社の社長だし、何かお父さまの事業で関わりがあるのかもしれないわね」

「ふん、大きな会社といっても、しょせんは金融屋からの成り上がりじゃないか」

 気づくと隣に来ていたアーロンが、ぼそりとつぶやく。

「いくら時代が進んだといっても、貴族のコミュニティには独特の掟があるんだ。成り上がりの商人なんかに入ってきてほしくはないね」

「ふふ、誇り高きイギリス貴族がここに一人いるというわけね」

 チェルシーが言った。

 アーロンはクリケットのスター選手ではあるけれど、それよりも自分の家柄に誇りを持っている。けれども今の言葉には、誇りというよりも嫉妬を感じる。彼でさえあのルパート・ビーチャムには脅威を感じているのだろうか。

 ルパートはソフィーの両親の前の席に座っていた。母が気を使ってしきりに彼に話しかけているが、周囲の人たちは他の人たちの出方を見ているようだ。それは食事が終わったあとも同じで、客間に戻って思い思いの場所で話をしているときも、積極的に近づこうとはしていない。

しかし勇敢な女性たち数人が目を輝かせて彼のそばに近寄った。彼はいかにもつくったような笑顔を彼女たちに見せた。そこには誠意や優しさは感じられない。

 でも……彼がとてつもなくハンサムで、少し皮肉っぽい笑顔も魅力的だと認めざるをえない。そう思っている自分に気づいて、ソフィーははっとした。

 あんな男がすてきだなんて。初対面の女性にキスするなんて失礼すぎる。

 そのときルパートがふっと目をソフィーの方へ向けた。彼をじっと見ていたソフィーと視線がぶつかる。彼がにやりと笑ったような気がして、ソフィーはぷいと横を向いた。

 それからディナーが始まり、そのあとの歓談の時間も、ソフィーはルパートに近づこうとしなかった。彼は危険だ。なぜかそんな気がした。それに彼のまわりには、若い女性が群がっている。そつなく彼女たちと話をしているルパートを見ると、これまで感じたことのない不快感におそわれた。

 私が彼に関わることは金輪際こんりんざいないわ。ソフィーはそう思って、女性たちに囲まれたルパートから目をそらした。


 ディナーが終わって家族だけになったとき、ソフィーがずばりと父に尋ねた。

「今日のディナーには、なぜミスター・フランクやミスター・ビーチャムを招待したの?」

んで悪いことはあるまい。貴族もこれからは、彼らのようなビジネスマンとのつきあいが増えていくはずだ。これまではあまり交流することはなかったが、これも時代の流れだよ」

 どうしてビジネスマンとのつきあいが増えるのか、このときはまだソフィーにはよくわからなかった。

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