第5話 闇夜の底で

 ~???視点~



(――またか)


 静寂が通り過ぎる黒闇こくあんに耳障りな雑音が混じる――誰かが『俺』の縄張りに侵入したらしい。


 少年は自然と耳を澄ませた。

 地底の隅々まで拡散していく喘鳴と、黒々とした闇夜の岩肌を滑り滴る雫の水音。それらを取り除く作業をして『特定』した。


(一人、いや二人……か)


 無言で目をつぶる少年。また一つ、暗黒の喘鳴が通過する。

 洞窟内にて響き渡るこの異音が完全に止むことはない。

 一定間隔で通る音……もはや慣れてしまってむしろ心地よく感じる。


 ちょうど数十年前より昔、かつての勇者によって鎖で身体中をつながれ、いまも恨めしそうに虚空を見つめる災厄の化身――息苦しそうに呼吸する喘息ぜんそくのよう。

 少年にとっては一生付き纏われている呪縛の鎖そのものだ。


 一定間隔で鳴動するこの反響音が、音波に近い役割を果たすのに気づいた頃が、彼の物心がついた瞬間でもあった。


 ――彼はここにいて、なぜ狙われるのか?

 ――彼の存在価値は?


 そう自問自答したこともあったが、次々と現れる刺客と戯れれば戯れるほど、沈黙の回答が憎しみに変じるのは変わりない。地の底で一人、孤独はもう慣れた。


 全く身に覚えのない声の主に意識を集中させる。よく鳴り響く唄をすり抜け、意識をすり寄わせていく。

 この特技は寝ながらでもできる。

 彼にとってはありえないことだが、寝込みを襲われたくはない――だから自然と身に着いた。

 また、古井戸に堕とされて十数年、地獄のような日々を送った賜物でもある。


(もしや挟み撃ち? いや、囮か――くだらないな)


 相手の策略を感じ取り、呆れ気味に嘆息。力なく首を振った。

 一方は古井戸の真下で停止し、もう一方は最遠の場所に転移してこちら側に近づいてくる――まだバレていないはずだと、自惚うぬぼれた遅さで。


 湿った壁に背中を預けていた少年の目がようやく開かれる。

 光のない、暗闇のなかでも輝くそのほの白い瞳で見つめられれば、相手はゾクリとするだろう。

 明確なる悪意、敵意、そして憎悪が込められた双眸そうぼう。とうの昔に灯火が消えた眼。


 すべてを裏切られたような。

 すべてを失ったような。

 すべてを憎むしかできなかったような。

 すべてが抑えきれなかったような。


 この世界のありとあらゆるものを滅ぼし尽くしたい――その一心で今まで生きてきた。


 光のない洞窟を一人で生き抜く……もう慣れてしまった。

 

「――乗ってやるよ」


 ――まずは“囮”から。


 昼のない地底で生き抜く彼は、闇夜に溶け込もうと壁から離れた。

 腰に手をやり、二振りの短剣を真上に投げた。宙で一回転させて、霧の如く短剣は瞬間移動した――かに思えたが、同時に持ち主の姿も同時に消えてしまった。


 標的を狩ろうと行動を開始したのだ。


 封緘ふうかんされた気流は喘鳴となって、彼の気配ごと丸呑みにする――



 古井戸の真下に位置する、地底のさらに底にて――。


 お日様のように明るくなった綿毛のポポが、ゆっくりはずんでいる。

 ポフ、ポフ、と。

 下には地面があって、ごつごつしていた。湿り気どころか完全に濡れそぼっており、近くに水脈があることが窺える。


 一時間程前、とうにポポは最下層に着いたのだ。

 しかし、当の本人――ポポに乗った幼女――はそのことに気づかない。待ち望んでいた光景が広がっているのだが、変化の少ない下降時間に飽きてしまい、アルスはポポに任せて完全に寝てしまっていたのだ。


 ポポはしゃべることが出来ないため、彼女を起こそうと一定の高さで何度もはずむ。根気よく、根気よく、彼女を上下に揺らす。

 だが、その行為が俄然、彼女を安眠にいざなってしまっていてなおさら起きられない。そのことがポポには分からないのだ。


 上下にはずむポポの速度が加速してもなお、彼女は起きない。

 うつぶせ寝で安眠布団に埋もれ、大の字ですやすや眠る。瞼を閉じているとはいえ、煌煌こうこうと輝くポポとじかに接しているはずなのに、まったく目は開こうとさえしないようだった。


 さすがにしびれを切らしたのか、ポポは一回転してアルスを乱暴に降ろす。

 綿毛に癒されていたが故、受け身が取れず「ぐえ」と呻いた。


「おぉ~……お?」


 頭に手をやりながら、腑抜けた第一声が発せられる。

 あれ、なんもないじゃん……。彼女は落胆する。


「どうする? ポポ」

 相棒の身体をさすって訊く。すぐには戻りたくないよ、と露骨な目で訴える。

 何時間もかけて下降してきた道のりを再び戻るなんて……ここまで下ってきた意味がないよ~、とも言っている。


 その意図を察知したようだ。

 ポポは少し上部に移動した。そして何かに沿うように移動して、戻ってきた。


「なに? どういうこと?」


 アルスは首を傾げ、もう一度尋ねた。

 ポポの身体がさらに明るくなって先ほどと同じような軌道をたどる。周囲が直射光に照らされ、部分的に色彩が宿った。


 なんと、並走してきた鎖が横方向に湾曲していたのだ。

 今まで垂直方向に邁進まいしんしてきた“天のいかり”は、誰かに翻意を促されたのか、緩やかな曲線を描いていた。


 ポポはさらに上部に移動した。

 そこには“天のいかり”がなぜ曲がったのか、その理由が暗に示されていた。

 墜落していったがんじがらめの鎖が解かれ、ろうそくの灯火を吊るす照明器具のように、四方八方へと枝分かれしている。鎖に促されて目を傾けると先には洞窟がある。鎖はその穴の上の壁に突っ込んでいた。


 他の鎖も同様だった。

 アルスの目が輝いた。


「ポポ! どこに行く?」

 今、幼い女の子と白い精霊の前に八つの選択肢が示されていた。


「ポポが決めていいよ!」

 今日のご褒美だよ、と言わんばかりに全幅の信頼を寄せる顔をする。

 ポポはくるくる周囲を窺ってから広場を回る。

 一つの洞窟の前に赴いて、照らし出した。


「こっち?」

 ぽよん、と、穴の前で一回はずんだ。

 ぽっかりと空けられた、黒々とした穴。先に何があるのか見当もつかない。

 けれどもポポは、無鉄砲な雰囲気でそのまま穴の中に進んでいく、アルスが来るのを待たずに。


「いいよ! 行こう!」


 同意し、ポポに駆け寄ろうとした途端――、


「うわわっ」

 彼女が洞窟へ一歩踏み込んだだけだった。

 瞬刻、奥から手前側へ一際大きな突風が吹いてきた。先に進んだポポがはじき戻され、アルスの小さな身体にぶつかってきた。危うくキャッチする――のだが。


 まるで侵入者を妨害する罠のように、その強い気流はさらに威力をあげ、ゴゥ! ――と噴き出してくる。耐えきれず、短い悲鳴をあげて広場付近までアルスたちは吹き飛ばされてしまった。


 やがて収まり、尾を引いた特異音が通り過ぎる。下降してきたときに何度も聞いてきた特殊な風音。

 

「……なんて苦しそうな風」


 アルスはポツリといった。

 ――この先に何があるんだろう……。


「ポポ、小さくなって」

 立ち上がって服についたゴミをはたきながらいった。

 軽く飛ばされたのがショックだったのか、アルスの言葉通りに縮む。ポポはもう邪魔しないように、主の手のひらの中へ逃げ込んだ。

 ポポを両手のひらで挟み込むようにして、今度こそ飛ばされないよう守る。

 明るさは先ほどとそのままなので、指と手首の隙間から光が漏れ出ている。心もとない光だが、最低限の光は確保されていた。

 少し先くらいなら見える。


「……行くよ! ポポ!」

 掛け声を入れて意気込んだ。狭い手の籠のなかで、ポポがぴょんぴょんはじけるのを感知した。気合十分だ。


 洞窟の喘鳴に気をつけつつ、彼女たちは洞窟のなかに入っていった。


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