第8話 これが終わりではない

 結婚式というものは儀式である。それ自体が必要火急なものではない。そしてそういうものというのは何故か念入りに行われるのだ。廻り道が好きな皆


 さて結婚式が始まった。私は主役として人一倍気張っている。白いベールに隠されたエトセトラとともに私はまるでドブネズミのように美しい。たしかに写真には映らない幽霊。

 

 会場のチャペルを覆うのは巨大な数式1+1=1 

そしてそれをみんな祝っている。オンリーワンという普遍。その中に佇むのは本物の1。


 貴方は健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?


 はい、。何故なら今までの人生そのものだから。真心というのは本心というわけではありませんもんね 敬具 We are


We are We are We are We are We are We are We are

 ゲシュタルト崩壊しそうなほど聞いてきた言葉。僕達本当に結婚するんだね。と今頃実感の湧いている彼を横目に私は、これがWe are、あなたには分からないでしょうね、マイマム。と呟いた。

 残念なことに私の育ての親というのは死んでしまっているからこの晴れ姿見せられないなぁ。はぁ。でも大丈夫でしょ?マイマム、無敵のカリヤさん?


 席についてあたりを見渡すと、会場の端の方に一人で立っている藤くんを見かけた。彼はカーネルサンダースのように立っている。形を借りたイデアだ。もしくは騎士団長か、もしくはトラックに轢かれたアリゲーター。それかもしくはかもめのジョナサン。もしかするとアリョーシャかも…いやいやどれだけ言葉を尽くしてもその立ち姿も、彼自身も藤くんという一個体からはみ出ることもなければ、余白があるわけでもない。機械の塗りつぶした塗り絵のように寸分の、量子単位並みでさえも狂いがない"人間"なのだ。

 そうしてしばらくそちらを見ていると、藤くんと目があった。彼は私を見て、私は彼を見て、そして私は目を逸らし、酒の場で水を飲むように私はタキシード姿の夫をみた。

 「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも…」イエス、マム!!


 そうだ、これが終わりではない。結婚は女の墓場であるというのは人々の記憶違いなのだ。フェミニストの誤解だ。それはケースバイケース、戦争とテロと治安維持と革命と同じ。ときに血を流し、ときに無血で、平和的で、残虐。私の人生というのはまだ続くのだ。…いやいや何かに侵されているのだろうか?それともこれがまともな思考、まともな思考、まともな…


 私は、どうして、こんな、場所、で、こんな、こと、を、して、いる、のだ、ろう?

 答えは単純、彼と結婚するから。私はそれを拒まないから。拒む必要がないから。必要がないならそれはどこまで行っても必要がないという帰着になる。ということだ。



 もう一度、藤くんを見ようとする。しかし彼はもうそこにはいなかった。あたりを見渡してもどこにも。私は笑顔になり、それからタキシード姿の夫に「なんて素敵なの!あなたは!!」と言い幕は閉じる。 

 

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