第7話 それでも日は進む

 彼女が帰った後のカフェは少し静かに感じた。それは嵐の後のそれとはどこか違って、友人と別れた一人の帰り道のあの感じとも違った。それを上手く表現することができずに僕は少し悶々としながらも、妥協案としてのとりあえずの解として、これは世界が作り替わったような感覚だ。と自分に言い聞かせた。高速道路の非常口から無機質な階段を下った女性のようなあの不思議な感覚だ。とするならば今僕がいるこの世界は2OO1とでも表現するべきだろうか。いや、よく見るとあまりに歪すぎる。考えも、文字も、世界も。

 

 そもそも2OO1という文字のバランスはあまりに滑稽だ。丸々太った狡猾なめんどりだ。狡猾なめんどりというのは大抵が自分は美しいと信じて疑わず、それからまるでまがい物のような人間のふりをする。


 それから僕は残ったもはや残りかすのような濁ったお茶(あくまでもメタファーとしての)を飲み干して、そのまま勘定をして―勿論、彼女は自分の分の勘定というものを忘れていた―店を後にした。


 そしてホテルに戻ったが、やはりというべきか、まったくというべきか部屋は清掃中で入ることは出来ない。そもそも申告していた時間はもっと遅い時間だったのだから仕方がない。ホテルのスタッフは僕に気を遣おうとという素振りも見せたが、申し訳もないので、仕方なくといった風は噯にも出さないようにしながら仕方なくホテルから離れた。


 当然、僕には何もすることがない。どこか店に入るゆとりもなければ、何処か漂うという体力もあるわけではない。よく高校の部活の顧問が言っていたが、一日の遅れを取り戻すには3日必要らしい。そういう風に借金も溜まるし、疲れも溜まる。そういう負の貯蓄というのは溜まるのが早い。これは多くの人間というのは元来的に楽観的であるという証明の様だ。言い換えれば賢人というのは常に悲観的である、ともいえなくはない。


 そうした考えを膨らませながら、僕の足は以前出会った絵描きの下へ進んでいた。あの大層御上手な絵描きのもとへ。しかし優はいなかった。We are vanished


 僕は優が絵を描いていたであろう地面に座り込んだ。近くにベンチはあったがお構いなし。周りの人もそれを見て少し不思議そうだ。だがたいていは3歩歩けば忘れてしまう。馬鹿なオンドリだ。馬鹿なオンドリは自分の事を馬鹿だとは思っていない。或いは表面的に馬鹿だということを理解している。だが、本心から、臆面もなく、なんの躊躇もなく自分の事を馬鹿だというオンドリはいない。そもそも本当に馬鹿な奴は自分が馬鹿なことに気付くことすらできない。そして馬鹿な奴は、馬鹿を利用できる賢い奴だと勘違いしている。要するに狡猾なめんどりと馬鹿なオンドリのオシドリ夫婦という狂気的な喜劇の完成だ。


「ねぇ、アンタって音楽は聴くかい?」


 僕が瞑想のような格好で座っているとどこからともなく会話が聞こえてきた。僕は耳を欹てその会話を聞くことに集中した。臆面もなく


「僕は聞かないけど」


 どうやら、中年の女性と、その息子なのかそのくらいの年の男性の会話らしい


「音楽を聴いていると、たまにこれはダメだって思うときはない?」


「いや、あんまり。これが苦手かなとかはあるけど」


「例えば、パンを振り過ぎていたり、ノーマライズしなければとてもじゃないが聞こえなかったり、そういうダメなこと」


「パン?」


「パンってのは左右に音を振り分けること、つまり右側からどれだけの音が聞こえて、左からはこれくらいってな感じなやつ。私はこれがたまに嫌になるのよ。あまりにもきつすぎる振り方をされちゃうとね。なんというかレコードやらCDの時代を忘れさせまいというか」


「ちょっと待って、ノーマライズって何?」


「ノーマライズってのは、そうだね、要は音の均質化というか、簡単に言えば全部おんなじ音量にするってこと」


「なるほど」


 僕は少しの間その会話に耳を傾けていたが、少年が「なるほど」と言ったきり彼らの会話を耳にすることは出来なかった。あくまでそれが適切な句読点だったのかもしれなかった。或いは本当は誰もしゃべっていなくてどこまでも暗示的な物だったのかもしれない。


 どちらにせよだ。それでも日は進む。明日が世間一般的な呼び名でいうところの結婚式だ。勿論








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