第2話 『誓い』
月日が流れるのは早いもので、花の魔女が赤子を拾ってから三年が経った。
深い深い迷いの森の奥にひっそりと佇む、一軒の煉瓦造りの家がある。そこが花の魔女が暮らす家だ。
いや、花の魔女と一人の男の子が暮らす家だ。
「ねぇ! ねぇってば!」
森を切り拓いて作られた家の庭で、男の子が叫ぶ。
男の子の視線の先は、椅子に腰掛けて優雅にティータイムをしていた花の魔女だ。
花の魔女はやれやれとため息を吐くと読んでいた本をテーブルに置き、男の子に目を向ける。
「騒がしいよ、アレン」
「呼んでも無視するからだよ! いいからこっち来て!」
「はぁ……子供がこんなにもうるさい生き物なんて知らなかった。分かったから、少し声を抑えてくれる?」
男の子の名は、アレン。花の魔女が付けた名前だ。
太陽のように明るい金髪に、空のように蒼い瞳。
歩き、喋れるようになってからというもの、アレンは男の子らしく活発でやんちゃに育っていた。
そもそも、赤子の時から泣くわ喚くわと元気いっぱいのアレンに、子育ての経験がない花の魔女は苦労の日々だった。
それが三歳になってからというものアレンはさらに元気に動き回り、花の魔女は落ち着いて本も読めずにいる。
渋々立ち上がった花の魔女は手招きするアレンに近づくと、アレンは嬉しそうに笑う。
「まったく、遅いよ! せっかく外にいるのにどうして本ばっかり読んでるのさ!?」
「別に私の勝手。本を読むことは大切なことって教えたはず。アレンも少しは勉強を……」
「ねぇねぇ! この花ってなんて名前なの!?」
「少しは私の話を……はぁ」
本を読むよりも動いている方が好きなアレンは、勉強しろと小言を漏らそうとする花の魔女の話を遮って庭の花壇を指差した。
育て方を間違ったかとため息を吐いた花の魔女は、アレンが指差した花を見る。
「それはエキザカムという花よ」
「えきざ……?」
「エキザカム。
「エキザカム、エキザカム。うん、覚えた! 綺麗な花だよね!」
花の魔女の説明を聞き流したアレンは何度かエキザカムの名前を呟き、目を輝かせて見つめていた。
庭の花壇に咲いた青、紫、白、ピンク。鮮やかに咲き乱れているエキザカムの花に、アレンは目を奪われている。
説明を無視された花の魔女はやれやれと首を振ってから、アレンの隣にしゃがみ込んだ。
「このエキザカムが気に入った?」
「うん! 綺麗!」
「そう。花に興味を持ってくれることは、花の魔女として嬉しい。ついでだから、他の花も教える?」
「教えて教えて!」
勉強が嫌いなアレンだが、花には興味を持っていた。花の魔女とって嬉しいことで思わず頬が緩む。
そのまま花の魔女は他の花壇をアレンと見て回りながら、色んな花の名前や説明をし始めた。
「これは
「……ねぇ」
つらつらと説明していた花の魔女に、アレンは俯きながら声をかける。
どこか暗い雰囲気のアレンに、花の魔女は首を傾げた。
「どうかした?」
「……本当にボクには、魔法が使えないの?」
アレンの問いかけに、花の魔女はスッと真剣な表情を浮かべる。
そして、ゆっくりと首を横に振った。
「前にも話したけど、使えない。魔法は、魔女だけが使える技法。つまり、男であるアレンにはどうやっても使えない」
「どうしても? 男の魔女はいないの?」
「いない。魔女は女しかなれない。ううん……
妙な言い回しをする花の魔女に、アレンは目をパチクリさせる。
花の魔女は遠い目をしながら、吐き捨てるように話を続けた。
「魔女というのは、なりたくてなる訳じゃない。強いて言うなら、病気のようなもの。花の研究をしていた私が、もっと花のことを知りたいと
望んでいた訳ではない。ただ純粋に花が好きで、花のことをもっと知りたいと願ってしまっただけ。
その結果、魔女という存在に成り果ててしまったのが__ここにいる花の魔女だった。
花の魔女はギュッと拳を握りしめ、静かに開く。すると、そこからハラハラと花弁が舞い散った。
「魔女になった私は、花を媒体にあらゆる魔法が使えるようになった。花が持つ概念や効果を魔力によって強め、人が起こせない奇跡とも呼べる力を使えるようになった」
「……凄いことじゃないの?」
「うん、凄いこと。だけど、その代価が大きすぎる。魔女になった者は例外なく、永遠の命を得る。老いず、死ねない存在__人の理から外れた存在になる」
永遠の時を生き、死ぬことを許されない存在。それが魔女だ。
花の魔女以外にも魔女は存在し、誰とも関わらずに一人で生きている。
「人は自分とは違う存在、理解出来ない存在を怖がる。恐怖は排斥に繋がる。何もしていなくとも、ただ生きているだけで魔女という存在は淘汰される」
それが、人の心理。変えようのない現実だと、花の魔女は諦めたように苦笑いを浮かべながら話した。
まだ三歳のアレンにはその全てを理解することは出来ない。
それでも、花の魔女が悲しんでいるということだけは分かった。
「辛い?」
ぽつりと、アレンは静かに問う。
花の魔女は目を丸くしてから、優しくアレンの頭を撫でた。
「辛かった、だね。そんな感情は遠い昔に置いてきた。今の私は辛さなんて感じてない」
「……そっか」
それが嘘だと、アレンには分かっていた。
だけど、アレンはそれを指摘することなくいつものように笑って花の魔女の手を掴む。
「じゃあ、ボクは魔法を使えるようになってみせる!」
「……え?」
男には魔法は使えない、そう言ったはずなのにアレンは魔法を使えるようになると豪語した。
花の魔女が唖然としていると、アレンは太陽のように明るい笑顔を浮かべる。
「ボクが最初の魔法が使える男になる! そうすれば、寂しくないでしょ?」
魔法が使えるようになるということは、永遠を生きる魔女になるということ。
アレンは魔女__魔法使いになることで花の魔女が孤独にならないようにすると、心に決めた。
馬鹿なことを、と花の魔女は否定しようとしたが……本気でそうすると決めた蒼色の瞳を見て、小さく笑う。
「そう……なら、勉強しないと」
「うげ!? わ、分かったよ……頑張る」
花の魔女はアレンの言葉を否定することなく、応援することにした。
それが叶わない願いだとしても、花の魔女はアレンの背中を押す。
きっと、それがいずれ袂を分つことになるアレンのためになると信じて。
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