第12話「故郷」1


 あともう少しだというのに――手が届く距離だというのに、ここで、力つきるわけにはいかない。都は血を吐きだした。ペットボトルの水で、口をすすぎ口元の血を洗い流していく。

 

 幼い頃の記憶を頼りに、研究所の近くまで来ることができた。

 

 研究所は視界に入っている。

 

 たどり着くと研究員たちが一斉にでてきた。本来、研究所内で生活ができるようになっている。そのため、研究員たちが外にでることはない。外に機密情報が漏れないようにするための措置でもあった。

 

 都はこの光景に違和感しかなかった。


 隆が自ら命を絶つような気がする。

 

 都はそんな予感がしていた。

 

 それならば、とめなければいけない。


(それなりの罰は受けてもらう。絶対に死なせない)

 

 都はその流れに逆らって、研究所内に入った。


「お前、どこへ?」

 

 都のフラフラな身体を見て、数人の研究員が声をかけてきた。

「その瞳と髪色を覚えている。 原田都か? 生きていたのか?」

 

 事情を知らない研究員たちには、死んでいるものだと思われていたらしい。亡霊でも見ているような視線を送ってくる。

 

 周囲がざわついた。


「どうして、研究所に?」

「復讐のために、教授を殺しにきたのか?」

 

 都は無視をして壁に手をついて、通り過ぎていく。


 「――待て」

 

 一人の研究員が都の身体を支えて、ゆっくりと歩く。

 

 懐かしい匂い。

 

 この匂いは、身体が覚えている。


 小さい頃から、親友が好んで使用していた石けんの香り。


 その香りは、今でも同じだった。

 

 間違いない。

 

 間違えるわけがなかった。

 

 懐かしさがこみ上げてくる。再びこうして湊に、会えたことに――安堵している自分がいる。

 

 安心している自分がいる。


「――湊兄さん」

 

 変装をしているのも、他の研究員たちの視線をそらすためだろう。確かに、湊の薄紫の瞳と――茶色に見える髪は目立つはずである。普通の人と同じブラウンのカラーコンタクトをして、漆黒のウィッグをしている。隆の息子だとばれないようにという意味もあるのだろう。


 湊兄さんと呼ばれた青年は、ウィッグとカラーコンタクトととる。


「ごめん。ごめんな。都。約束を破ってしまって。守ってやれなくて」

 

 何もしてやれなくて、ごめんと湊は都を抱きしめた。都は迷ったが抱きしめ返す。それでも、都を甘やかしてくれる腕は変らない。


「今、こうして抱きしめてくれている。それだけで、十分だよ」

 

 いい思い出になった。

 

 最高のプレゼントになった。

「だから、泣かないで。涙を拭いて。笑っていて」

 

 言葉を発するのもつらいだろう都に、勇気づけられていた。


「いい表情をするようになったな」

「家族が笑うことを思いださせてくれた」

「ここまで、大切に育ててくれたことに、感謝しないといけないな」

「温かい人たちだったよ」

 

 そんな、柔らかい表情の都を湊は初めて見た。


「うん。お前を見ていると分かるよ。でも、死ぬのが怖くないのか?」

「これが、僕の運命だとしたら、受け入れるしかないよ」

「運命か……その運命、僕が半分引き受ける。二人で分担するなら、気持ちも楽になれるだろう?」

「嬉しいけど、断る」

「――なぜ?」

「湊兄さんには、湊兄さんの運命がある。その時に、全力でぶつかってほしい」

「今度会えることがあれば、僕に守らせてくれ」

「まさか、最後に湊兄さんに会えるとは思ってもいなかった」

「山口とある人に背中を押されてね」

「あいつもお節介な」

「ここが、所長の部屋だ」

 

 分厚い扉の前で、湊と都は立ちどまる。


「ありがとう。じゃあ、またね」

「――またね」

 

 さようならでもなくバイバイでもなく、湊と都が選んだ言葉は、「またね」という言葉だった。その方が、また会えるような気がして、希望があり、前に進めるような気がしていた。

 

 二人は自然と笑みを浮かべていた。

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