第10話「卒業」

 相田実。

 海外に単身赴任中

 相田和江

 都を引き取り育てている。

 相田美和

 都の義姉。

 自分のことを話そうとしない都に、困惑している。

 都がデザインズ・ベイビーだと、知っているかどうかは不明。

 

 隆はキーボードを打つ手をとめた。

 

 登録してある都の家族構成を確認する。どうやら、一般家庭に引き取られたらしい。普通の家庭に引き取られたからといって、幸せだとは言いきれないだろう。


「彼に会ってきました」

 鈴が言う彼とは、都のことだろう。

「黙れ」

 

 隆は眉間にしわをよせた。

 

 自分の支配下にいるくせに、自由に動く鈴が気に入らない。

 隆の濃紺の瞳が、鈴を睨んだ。鈴は涼しい顔で着ている制服を脱ぐ。ラフな格好に着替えて、長い髪をポニーテールにする。いつでも、隆と戦える格好だった。


 一触即発の空気が流れる。


 他の研究員たちが、手を止めて逃げ出すぐらいだった。


「本当にいいのですか? 実の息子と争うなんて。殺し合うなんて。悲しいだけですよ? 苦しいだけですよ?」

「お前はいつから、私に意見ができるようになった? 作られた存在で偉そうに」

「意見をして悪いですか? 私にも感情というものがあります」

 

 自分だって一人の人間だと、思えるようになったのはごく最近だった。都と会ってから、その感情が鈴に芽生えていった。


 今までになかった自我が出てきた。


「――笑わせるな」

「自分の気持ちに、素直になっただけです」

 

 利用されるだけの駒ではないのだと、はっきりと伝える。


「私に依存しているお前が、今更、普通の生活などできないはずだ」

「私が教授を撃てないとでも思いましたか?」

 

 隆の頬を銃弾がかすめていく。心臓を狙わなかったのは、無駄な殺人をしたくなかったからだった。

 

 鈴は隆と間をあける。

 

 悲しい運命さだめ

 

 生い立ちなんて関係ない。

 

 動かなければ、変わらない。

 

 変われない。

 

 前に進めない。

 

 そのために、立ちあがった。

 

 自分の足で歩こうとした。

 

 誰にも縛られることなく、未来を見ようとした。

 

 現実を知ろうとした。


********* 


「――使えないな」

「教授のやり方に、疑問をもっただけです」

「忘れてないか? お前の命も都の命も私が握っている」

「そちらこそ、大丈夫ですか? 一般人よりも情報処理能力が、高いことをお忘れですか?」

 

 研究結果なら頭に入っていると隆に告げる。

「そこまでして、生きたいとは無様だな」


「何とでも言ってください。私は生きることを決めました」

 

 生き抜いてみせると、隆に吐き捨てる。


「あなたの脅しには屈しません。殺したいのならどうぞご自由に」

 

 作った子供を殺せるのなら。

 

 その勇気があるのなら。


「自ら追いかけてくるというのなら、私は逃げません。隠れたりはしません」

 

 むしろ、どちらかといえば戦うつもりでいた。


 「長い間、お世話になりました」

 

 後悔はない。

 

 鈴は戸惑うことなく、研究室をでた。

 

***************


「こっちだ。一人で行動するのは危なすぎる」

 

 鈴は一人の青年に、腕をひっぱられた。指紋照合で扉を開けて、別の研究施設に入館する。いくら、隆の側近だったとはいえ、別の研究施設に入るのは初めてである。

 青年――菊本湊は足早に通り過ぎると、扉にロックをかけた。


「原田都に会ったか?」

「ええ。つい最近会いました」

「調子はどうだった?」

「限界が近いみたいです」

「――そうか」 

 

 都は湊によく懐いていた。

 

 兄弟だと知ったのは、奈美と都がいなくなってからだった。

 

 夢の中で奈美が教えてくれた。

 

 都を助けるために薬を開発していたが、間に合わなかった。遺伝子が崩壊しているなら、とめる方法はない。

 

 お前は僕が守る――その約束は守れそうになかった。


「母と都を助けられなかった。君だけでもと思ってね」

「似ていますね。あなたと原田都」

 

 瞳と髪の色が違っても、眼差しと身に纏う空気――表情がよく似ていた。都の親戚――いや、違う気がする。


 もっと、身近な人物――都の家族なのかもしれない。


「そう思うか?」

「思います」

「僕は菊本湊。都の実兄だ。あまり、周囲には知られてはいないけどな」

「会いたいのなら、会いにいったらどうですか? 離れていても。住む場所は違っていても。遠くにいても、実の弟だというのはかわらないでしょ?」

 

 湊は奈美側の祖父母の菊本姓を名乗っていた。原田姓を名乗るのが嫌だったからである。少しでも、隆と距離をおきたかったからである。周囲からの視線をそらすという理由もあった。

 

 湊自身が氏名変更の手続きなどを行った。


「都に新しい家族ができたことは、知っているよ。会いにいって、混乱させるつもりはない」

「後悔しませんか? 私が近くまで案内します」

「僕はいかない。最後まで残る義務がある」

「あなたは優しすぎる」

 

 鈴は耐えきれなくなって、うつむいた。湊は鈴の頭に手をおいた。

 

 励ますつもりが、逆に慰められている。

 

 この兄弟はどこまで、優しいのだろうか?

 

 自分よりも他人を優先させることができるのだろうか?

 

 鈴はその優しさを、胸の中に刻み込んでいく。


***********


「長時間とどまるのはよくないね」

 

 いつ隆に見つかるかわからない。見つかってしまえば、恐らく鈴は殺されるだろう。


 湊はもう誰にも死んでほしくなかった。

 

 死ぬ姿を見たくなかった。

 

 仲間が苦しむ姿を見るのが嫌だった。

 

 この場所だって、安全というわけではない。湊はレンガをずらして、隠しボタンを押す。普段、このボタンはわからないようにカモフラージュしてある。鈍い音がして、壁の一部分が開いた。そこには、人が通れるほどの通路が整備してあった。

 

 そこは、湊が自分の研究室にいる同僚に何かあった時のために、作っていた隠し通路だった。


「――原田さん。あなたも一緒にいきましょう。都君と会って沢山愛情を注いであげてください」

 

 鈴は湊にむかって手を伸ばす。


 湊が差しだした手をとるとことはなかった。


「早くいきなさい。そして、二度と戻ってきてはいけないよ」

 

 一瞬――湊の薄紫色の瞳が、揺らいだ。だが、すぐに無表情に戻ってしまう。この兄弟は感情を表すことが、へたとしか言いようがない。人には色々な価値観や思い――考えがあるだろう。

 

 鈴が自分の気持ちを押しつけることはできない。それに、兄弟間の間にこれ以上鈴が、口をだすわけにはいかなかった。

 

 鈴が歩き出すと、扉が閉まる。ここで、自分がたちどまってしまったら、湊の優しさが意味をなくしてしまう。強い意思で人を守ろうとする湊や都――その優しさに鈴は応えなければいけない。


(立ちどまるわけにはいかないわ)

 

 薄暗い通路を歩き始める。

 

 不安を払拭するように、廊下に明かりがついた。湊が背中を押してくれているようで、鈴に思わず笑みがこぼれる。


 出入り口の扉から、太陽の光が道を照らしていた。

 

(原田さん。あなたの優しさは忘れないわ)

 

 鈴は大地へと一歩を踏みだした。

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