第9話「親心」
「――都」
優しいその声を忘れるわけがなかった。
聞き間違えではなかった。
光の粒子が集まり、奈美の姿になる。
「かあ……さん」
高熱で夢を見ているのだろうか?
「都。無理してないかな?」
心が悲鳴をあげて、苦しくなっていないかと奈美は尋ねる。
「無理をしないと美和と和江さんは守れない」
「あなたは一人じゃないわ。新しい家族がいるじゃない。素直になりなさい」
「今更、素直になんてなれない」
弱さは見せられない。見せてしまえば何かあった時に、和江と美和を守れない大切な人たちを、死なせるわけにはいかなかった。
美和と和江の心を傷つけるわけにはいかなかった。
「私が生きていれば、都にこんな思いをさせなくてすんだ。ごめんなさい」
都が人殺しという罪を、背負わなくてもよかった。
手を血で汚さなくてもすんだ。
「母さんが謝る必要はない」
「研究所に戻るつもりなの?」
ここにいれば安心だろう。
「僕があの人の暴走をとめる」
それが、都の役目――役割ならば、逃げることはできないだろう。
その役割を果たす他ないだろう。これ以上、遺伝子の実験台にならないように、次世代の子供たちの命を守るためだった。
「その気持ちに変わりはないのね?」
「決めたことだ」
「――頑固なのね」
「それでも、この気持ちに変わりはない」
「都の気持ちは受け取った」
やがて、奈美に姿が徐々に薄くなっていく。光の粒子が弾けるようにして、消えていった。
母は傍にいる。
共に戦ってくれている。
(僕に勇気をくれてありがとう。母さん)
都は自室で目が覚めた。そういえば、学校で倒れてしまったことを思いだす。看病中に眠ってしまったのだろう。美和がベッドの横で、眠っていた。都は美和を起こさないように、布団をかける。
(少し風にあたろう)
都は窓を開けて外にでた。
熱がある身体には風が、気持ちよかった。
(もう、迷わない)
都の瞳には決意の光が宿っていた。
************
「――ん」
「ありがとう」
湊は同僚からコーヒーを渡された。疲れた身体に、コーヒーの甘さがちょうどよかった。コーヒーのカップを、ゴミ箱に投げ捨てる。次の瞬間――湊の身体が、ふらついた。
「何をした?」
(油断していたか)
「悪いけど、睡眠薬を入れさせてもらったよ」
「余計なことを」
「バカが。こうしないと、お前休まないだろう? 見ているこっちもつらい」
同僚の愛のある毒舌を、聞きながら湊は意識を失った。
***************
「――湊」
湊は名前を呼ばれてふり返った。
そこには、奈美が立っていた。
「かあ……さん」
「あなたのそんな表情が、見られるとは思っていなかったわ」
驚いた湊の表情を見て奈美は笑う。その笑顔もどこか寂しそうだった。
陰があった。
「母さん。僕は都を守れなかった」
湊は無力さを実感するしかなかった。
「大丈夫。あなたの思いは、都に届いているわ」
「随分、分かったような言い方をするね」
奈美と同じ薄紫色の瞳が細められる。
「私はあなたの母親よ。あなたたちが考えていることぐらいわかるわ」
「まさか、都はここにくるつもりなのか?」
都は帰るという選択肢を選んだらしい。
「無茶をするわよね。あなたも都も。私は見ていられないわ」
「無理をしないとやっていけないからね」
湊は遺伝子操作を受けた子の治療薬を研究していた。同時に隆に対抗するつもりでもあった。湊の隆に対する無言の抵抗でもあった。
「都のことをフォローしてくれるかしら?」
「僕にできることがあれば、やるつもりさ」
それが、都の道を切り開くことになるのなら。
「こうしてでして、でてきたのは理由があるからだろう? それに、隠し事は嫌いだ」
早く話してしまえば楽になると、湊は奈美に迫った。
*********
「あら。鋭いのね。湊」
「何を隠している?」
「都とあなたは兄弟よ」
「僕と都が?」
「都はあなたに懐いていたわ」
「確かに、都は僕に懐いていたけど」
兄弟だとは予想もしていなかった。
本当の家族だったとは――。
予測していなかった。
「言わなかったのは、二人の負担を減らすという意味もあるのよ」
「都が兄弟だと知ってしまったら、今の家族のみならず僕まで助けようとするだろうね」
都のことである。
全部、一人で抱えこんでしまうだろう。ならば、兄として見えないところから手を貸すしかないだろう。
「都に兄弟だと伝えるつもり?」
「かわいそうだけど、伝えるつもりはない」
「でも、あなたたちは引き寄せられるように、仲良くなっていた。知らなくても、血は争えないのかもしれないわ」
「僕は利用されていたわけか」
「ごめんなさい。湊を利用するつもりはなかった」
湊ならきっと、受け入れてくれると思っていた。
「そんな事情があったなんて初耳だな」
「誰にも言わなかったからね」
「――母さん」
「ああ。時間だわ」
奈美の幻影が崩れていく。
「また、どこかで会えるよね?」
「ええ。会えるわ。都をお願いね。私に代わってあの子を見届けてほしい。導いていってほしい」
「その約束は必ず守るさ」
闇にとけるようにして、奈美は姿を消す。
それと、同時に湊は夢から覚めた。
(言われなくても兄として、必要最低限の仕事はするさ)
湊は満月を見ながら心に誓った。
*******
「ゆ……幽霊?」
美和の声は情けないぐらいに震えていた。 突然、現れた奈美と少しずつ距離ととる。背中に壁があたり、逃げ場所を失う。
「まぁ、この姿だもの。そう言われても、仕方がないか」
奈美は怯えている美和を見て苦笑する。
幽霊と呼ばれても、しょうがないだろう。奈美自身、肉体を失い魂だけの存在となっていた。
「私は原田奈美。都の母親よ」
「都の……お母さん?」
「――そうよ」
美和は呆然と奈美を見つめた。
まさか、都の実の母親に会うなんて――。
考えもしていなかった。
「どうして、私のところへ?」
「皆の成長を見て回っているの。あなたが最後よ」
別れの挨拶みたいなものだという。都の新しい家族を見て見たかった。美和がどんな子供なのか興味があった。気になっていた。
魂だけになってもこうして、会いに来たのだと奈美は言う。
「ごめんなさい」
美和は奈美に謝る。
「なぜ、謝るの?」
「都の気持ちをわかってあげられなくて。守ってもらってばっかりで」
美和は何もできない自分に、苛立ちしかなかった。
「都がデザインズ・ベイビーだということは、知っているのね?」
「――はい」
「あの子。変なところで頑固だからね。都から事実を聞くことを、諦めてないでしょう?」
「私は諦めてないです」
「諦めなければ、都に気持ちは伝わるわ。だから、都が話すのを待ってあげてほしい」
「そうですよね。待つしかないですよね」
「美和さん。都を認めてくれてありがとう。家族として幸せを分けてくれて、ありがとう。都に居場所を作ってくれて感謝しかないわ。母としてお礼を言うわ」
奈美は優しく微笑む。その笑顔は美和自身を包みこんでくれそうだった。気持ちが浄化されてしまいそうなほどの優しい笑顔だった。
奈美が美和を信頼しているからこそ見せる表情だろう。
「都には私に会ったことを、内緒にしておいてくれる?」
「どうしてですか?」
「あの子はあの子の道を、進もうとしているのよ。邪魔をしたらいけないわ。それに、私の親としての役目は終わったの」
「会えてよかったです」
奈美の優しさを知り、親心を聞けてよかったと美和は思った。
「――私も同じです」
見届けられてよかったと思った。
「そろそろ、いかないと」
光が散り散りになり、奈美がいなくなる。
美和の部屋に静寂が戻った。
(都。あなたの心が決まるまで。決断をくだす日がくるまで。
私たちはずっと、待っているよ)
美和は海を見つめながら、思いを新たにした。
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