第10話 大博打

 学校が終わると、すぐに電車に乗った。家に帰ろうとしたが、その途中近所の公園に立ち寄った。

 公園は昨日の雨でまだ少し地面がぬかるんでいたせいで、そこで遊ぶ子供の姿はなかった。

 ここなら、たとえ僕がどんな話をしようと、叫ぼうと、泣こうと騒ぎにはならないだろう。そう思ってここを戦場に決めた。

 スマホの発信を押す指がプルプルと震えている。

 これを押してしまえば、もう引き返せない。


 帰りの電車で『法務省 問い合わせ』と検索した。まさか人生でこんなワードを検索することになるとは思わなかった。

 僕はこの国の法に関して聞きたいわけではない。

 常盤さんの父と話がしたかった。僕は常盤さんの父について法務省の幹部であることは聞いていたが、名前やどこの部署にいる人なのかなどは分からなかった。

 そのため、探すのに苦労するかと思ったが、幸い公開している法務省の幹部組織図に『常盤』の苗字は一つであった。

『常盤りつ

 法務省刑事局の幹部であった。電車で知ったときは唾を飲み込んだ。

 ごく普通の会社員の父のせがれである僕は、本能的に危険を察知できた。

 僕は今この方と話がしたい。しかし、直通の番号もSNSの連絡先も知るわけがない。

 だから僕は勤務先にかけるしかなかった。

 かけたところで、繋いでもらえるかも分からないし、何らかの罪で捕まるかもしれない。

 それでも、話がしたい。

 常盤さんのためにその父親と一戦交える覚悟はある。しかし、今後の事を考えると常盤さんの父に迷惑をかけず、さらに恨まれない方法を模索していた。午後の授業中ずっと脳内シュミュレーションをしてきたが、そんな方法は思い浮かばなかった。

 それでもずっと考えた。こんなに必死になったのは久しぶりだった。

 今から僕は自分の気持ちから逃げて来たツケ代償をここで払わなくてはいけない。

 公園のベンチに座り深呼吸をして発信ボタンを押した。


「——はい。法務省相談窓口です」

 電話はすぐに繋がった。

「すいません。私法務省刑事局にお勤めの常盤律さんと話がしたくて、私は娘さんの通っている、学校の担任をしております稲垣と申します」

 学校にいる担任の名前を使わせてもらった。

「はい?」

「それが、連絡帳を見ても常盤さんのお父さんの直通が分からず、急ぎの様でもあったので、こちらから繋いで頂けないかと思い連絡した次第です……」

 急かしながら言ったつもりだが、確認して折り返すと言われたら僕は即終了だ。

「お待ちください」

 保留音が流れた。僕にとってその時間は拷問に近く、このメロディーが嫌いになった。

 そして曲が一周する頃だった。

「お待たせしました、京の父の常盤律です」

 繋がれた事に安心してしまった。しかし、勝負はここからだ、スマホを握りしめる。

「本当にすいません。私先生ではなくて、常盤京さんと同じクラスの月岡照といいます」

 少しの沈黙があった。

「いたずらか。切らせてもらう——」

 向こうの状況は分からないが、このままじゃ切られてしまうと危惧した。

「ちょっと待ってください。僕は常盤京さんにミステリーを書きたいと思わせた張本人です。どうしてもお話がしたくて電話しました」

 電話の向こうから舌打ちのような音が聞こえた。

「あなたですか。言っておきますがこの電話は録音されていますから、言葉には気をつけた方がいいですよ」

「じゃあ、貴方も下手なことは言えませんね」こんなこと言うはずなかったが、彼の落ち着いた口調を乱したくなったので、挑発してしまった。

 しかし乱れず「早く要件を仰ってください」と構えている様だった。

「常盤京さんにミステリーを書いたり、読んだりすることを禁止しないで下さい」

「断る。そもそも、禁止はしていない。私はそういうのは良くないと言っただけだ」

 子どもにとってはそんなもの禁止しているのと同じだ。

「どうして、ミステリーは良くないと思っているのですか?」

「物語でも、フィクションだとしても人が死んで、それをエンタメとして楽しむことが許せない。実際世界で残虐的な物語が有害図書として分類させている国もある。教育上よくないからな」

「あなたは、ミステリーに影響された娘さんが罪を犯すとでも?」

「そんなこと思っているわけないだろ!」

 彼は初めて声を乱した。もちろんそんなこと分かっていたが、これはいたずらに聞いた僕が悪かったと思う。

 常盤さんのお父さんの娘を思う気持ちは本物だ。

「すいません。僕もそう思っています」

「いい加減にしろよ」


「常盤さんは、物語の事件を見て、現実に活かせないかと考えています。ミステリーを書く理由も、時折想像をも超える人の想いを理解して、それを文字で起こそうとしているのです。すべては京さんの夢のために」

 僕は、声が震えながらそう訴えたが、まだ言いたいことはある。一呼吸おいて続けた。

「京さんは家族の事を尊敬しています。そして自分も父や祖父のように正義の味方になりたいと思っています。さらには、その憧れの存在を超えようと自分なりに考えています。そうしてミステリーに興味を持ったのです。その気持ちだけは分かってほしいです」

 電話の向こうは受話器がどこかに置かれていて、聞いている人がいないかのように無音であった。それでも、常盤さんのお父さんは必ず聞いてくれていると信じて話し続けた。

 彼はこう答えた。

「君に何が分かる。娘にそんなもの必要ない。そんなものがなくても立派になれる」

 大人を説得するのは初めてだった。そして、その難しさを実感した。


 ここからは、彼女を救うための賭けだ。そして、相手が強敵ならハッタリでもなんでもするしかない。

「分かりました。これは僕個人の、いわゆる脅迫になるかもしれません」

「は?」

「京さんの考えたミステリーのトリックを僕は知っています。このトリックはそう簡単に解けないです。なので、僕は勝手にそれを使って、現実で事件を巻き起こします」

 僕は常盤さんの考えたミステリーをまだ知らない。

 だが、彼女が完成させるだろう物語を信じて脅した。

「何を言っているのか分かっているのか?」

「はい。京さんの考えた素晴らしいトリックが、ミステリーを禁止されたせいで、世に出されないのはもったいないです。だから、僕がこっそり使った方がマシですよね。もちろん、あなた達にはどの事件が常盤さんの考えたトリックなのかは教えないので、解いてみてください」

 常盤さんを助けたいと思っていながら、彼女の考えたミステリーを使って犯罪をすることは、僕がそれをやる気はないにしても裏切りと言えよう。そして、こんな脅しが通用する相手ではないことは電話を通してよくわかった。

 しかし、彼女にこれからもミステリーを書いてもらうために、彼から禁止を解く方法はこれしかないと思った。


「そこまで、虚勢を張って娘にミステリー書いてもらいたいのか。それともただ、ヒーローを気取って娘を救おうとしているのか?」

 彼の声はさっきよりも穏やかであった。僕の戯言がくだらなすぎて落ち着いただけかもしれないし、僕の気持ちを理解してくれたのかもしれない。

 まあ、後者はありえないか。

 だから答えてやる。

「常盤京さんのことがす——」

 そこで電話が切れた。僕の気持ちを伝えることは出来なかった。

 ツーツーと切ない効果音が耳元で響いている。

 常盤さんのためになれたのか、分からない。手ごたえはないが自己満足という達成感だけは確かにあった。

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