第8話 いらぬトスを上げようとする男

 6月の雨の日。体育館の中は脇の扉がすべて開いているため、外と同じように湿っていた。

 僕は体育館の壁にもたれながら、似鳥のサーブ練習を眺めていた。

 部活はすでに終了しているため広い体育館内は2人だけだ。

 体育館内では似鳥がボールを打ち、地面に勢いよく叩きつけられる音と時々失敗してネットに当たる音が響いている。

「ジャンプしなくても、そこから普通に打てばいいだろ」僕はコート脇から声をかけた。

 彼はボールを高く投げて、エンドラインに向かって走ると、ジャンプをした。そしてボールと手のひらの標準を合わせて思いっきり打つ。

 彼が言うにはジャンプサーブというものを練習しているらしい。強そうでカッコいいが、サーブを打つ時に毎回それをやるとはご苦労な事だと思いながら、それをひたすら見ていた。

「お前じゃ分からんだろう。トス以外の武器が欲しんだ。いまはそのためにサーブを全力で打つ」

 袖で汗を拭きながら、まるでスポーツ漫画の登場人物かのように決め込んでいた。

「そうかい……」

 部活の連中が帰る時間まで、僕が学校に残っていたのは下らないワケがあった。

 帰りのホームルームが終わった時に運悪く、雨が強くなっていたので、落ち着くまで暇を潰そうと図書室に行った。

 長居するつもりはなかったが、エアコンで除湿された室内がさっぱりとして気持ちよく、思わず昼寝をしてしまった。

 やってしまったと後悔しながら帰ると、体育館内で一人で練習をしている似鳥が見えたので立ち寄った次第だ。


 常盤さんは中間試験が終わってから本格的にミステリー制作に取り掛かっているらしい。

 僕は今まで通り、彼女に意見を求められた時に答えて、後はおすすめの作品を勧める程度で、彼女が作品を完成するのをのんびりと待っていた。

「クラスの連中が噂していたぜ、お前と常盤さんがいつ付き合うのか」

「誇大妄想も甚だしい連中だな」

 そう言うと似鳥は「ははっ」とお腹から声を出し笑っていた。

 ムカついた僕はその辺に転がっているボールを彼に目掛けて投げたが、馬鹿みたいに逸れていた。

「実際、昼休みとか放課後とか結構話しているだろ。常盤さんは可愛いけど、後ろについている人間が怖くて誰もちょっかいを出さないから余計にお前が目立つぞ」

「俺はちょっかいを出していないし、そんな彼女の立場も気にしていない」

 常盤さんから家族の話を聞いた僕は、周りより少しだけ彼女を理解しているつもりでいるのだろうか。

 自分でもよく分からないが。単純に彼女に話すことがあるから話をしているだけで、話かけられるから答えているだけだ。


 僕が彼女について考えていると、突然ボールが放物線上に飛んできたが、反応が遅れ頭に命中して僕は阿呆みたいな声を上げた。

「この野郎。先生に言うからな」

「実際の所どうなんだ、常盤さんの事好きなのか」

 似鳥はこちらに向かってきて、僕に投げたボールを拾いながらそう聞いてきた。

 その声は十分に体育館に響き渡り、何度も僕に問いかけているような気がした。

 

「好きだよ……それは否定しない」

「じゃあ告白しろよ。俺がトスを上げていい感じの雰囲気を作ってもいい」

 ボールを上げるトスのジェスチャーをしながらそう自慢げに言う彼の人間性に改めてあきれていた。

「絶対そんなことはするな。そもそもお前は人が困るようなことが好きなんだろう。そんなことをしたら俺は幸せになってしまう」

「俺は基本的に人が喜ぶことをしたいと思っているぞ。特にお前には。あの映画を観に行った件も結果的に楽しかっただろ」

 小学校から話している似鳥は、時々綺麗ごとを言いながら、奇妙な笑みを浮かべている。そういう時、何を考えているのか、僕には分からなかった。

「楽しかったけど、やり方は気にくわない」

「これはお前だけのためじゃない。常盤さんのためでもあるし、俺のためでもある」

「はあ?お前は本当に関係ないだろ」

 そこでなんでお前がそこに入ってくるのか理解できなかった。

「まあまあ。でも常盤さんはお前のことが好きだろ、絶対。だから映画に行くことを教えてあげたのさ」

「そうやって、自分のやっていることを正当化するんだな」

「お前こそ、人がやったことのせいにして、常盤さんの気持ちから逃げようとしている。卑怯者はお互い様だ」

 僕はぎくりとした。彼に言われたことを受け入れたくなく、顔をそらして、床の木目を観察し始めた。

「お前は、人の気持ちがよくわかるやつだよ。だけど大抵途中で満足して、人の心には踏み入らず、満足したふりをする」

 彼のその追い打ちが僕にとって相当なダメージであった。


 常盤さんが僕の事を気になっているのは、僕にだって薄々気づいている。

 そこまで僕は鈍感じゃないから。

 だから、彼に言われずとも決心はしていた。

 彼女の書いたミステリーが出来上がったら告白しようと。

「わかったよ。お前にとって面白くもない、普通の幸せになったとしても、後悔するなよ」

 似鳥は奇妙に笑った。

「するわけないだろ。それが本望だ」

 僕は早く帰りたくなって、ボールを拾いかごに戻すと、似鳥も察してネットを降ろし始めた。


 その日の夜であった。

 お風呂に上がり、部屋に戻った僕は、スマホの通知を確認すると常盤さんからメッセージが届いていた。

 それを見た瞬間、お風呂上がりですっきりとしていた体から、背中に嫌な汗をかいているのが分かった。

『父にミステリーを書いている事がばれて、反対されました。月岡さんの時間を無駄にして、本当にごめんなさい。私はもう書けません』

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