第7話 彼女の正義感
僕の好きなものが、このお店の中にすべて詰まっている様な気がした。
文庫本にコーヒー、ホットサンド、そして常盤さん。
学校がある江戸中央駅から電車で20分、神保町というところに古本や古着などが集まる商店街がある。
僕のお目当ては、今訪れているカフェ『漂流』であった。ここのカフェは店内の棚に並べられている古本が読み放題で、さらにそれを持ち帰ることができる。
ただし、持ち帰るにはお金を払うのではなく代わりに本を一冊置いていくというシステムであった。だからここにある本はすべて誰かが置いていった古本なのだ。
そんな不思議なお店の存在をネットの記事を読んで一度訪れたいと思った僕は、常盤さんも興味があるかと思い、約束を果たそうと誘ってみたら、あっさりOKが貰えた。
彼女も、テストが終わり落ち着いたところで物語を書きたいと言っていたので、それを話せるカフェ形式のお店で都合がいい。
お昼ご飯をとらずに、このお店に向かったので到着したとき、僕たちはとてもお腹が空いていた。
お腹を満たそうと、僕はホットサンド、常盤さんはパンケーキを注文した。どちらもウッドプレートに盛り付けされていて、とてもお洒落な見た目であった。
僕は、断面から見えるとろけたチーズと色鮮やかな野菜に一層食欲をそそられ、かぶりつくと、それから夢中で食べた。
「ここのパンケーキ、すごくフワフワで美味しいです」
常盤さんもその味にご満悦な様子だ。
パンケーキと言えば、クリームがたくさん盛り付けられて、見るからに甘そうな印象があるが、このお店のパンケーキは白い粉砂糖が降りかけられて、はちみつがかかっている。そのシンプルな見た目で少し興味があった。
「良かったら、一口どうぞ」
常盤さんは僕のその視線に気づいたのか、ナイフで一口分に切り、フォークで刺してから、はちみつをどっぷりつけて僕の口の前にそれを待機させた。
「本気?」
こんなことになるならば、パンケーキに興味を持つべきでなかった。
明らかに挑発をしている彼女は「早く食べないと、はちみつがテーブルに落ちそうですよ」と言って余裕を見せている。
『心を乱すな。落ち着け、それをただ食べるだけだ』と自分に言い聞かせた。
僕は決心して、机から身を乗り出して食べた。
はちみつの甘さが口の中で広がり、急いでコーヒーを飲む。
食べる前は恥ずかしかったが、思い切って口にした後は意外となんともない。しかし、常盤さんを見ると、彼女の方が顔を赤くしていた。
僕はホットサンドを完食すると、店内にある本棚を眺めるため、立ち上がった。
棚には最近出版されたばかりの本から、日に焼けて変色している本まで様々である。
「月岡さんはどんな本を持って来たのですか?」
いつの間にか常盤さんも僕の横で本棚を眺めている。
「一応誰かに勧めたい好きな作品を持ってきたけど、なにかは教えない」
そう言いながら、手に持っているその本の題名を見えないように隠した。
別に見られてはいけない本ではなかったが、ここに置いた本の名前を僕だけしか知らないようにしたい。
「月岡さんの勧める本、読んでみたかったのに……」
落ち込んでいる常盤さんだった。
それでは仲間内で終わってしまうではないか。ここに来た意味がない。
「じゃあ、このお店を出たら教えてあげるよ」そう言いながら、目についた適当に手に取りぱらぱらとめくり始めた。
「月岡さんは、文化祭の時の書いたようなクローズド・サークルが好きなのですか」
僕の読んでいる本を見て、聞いてきた。
「前にも言ったけど、僕はあの作品が好きじゃない。そしてミステリーもあんまり好きじゃないんだ」
本を読みながらそう答えた。
文化祭の時僕が書かされたミステリーは、絶海の島に建つ館で、そこへ訪れた少女達が次々と何者かに殺されていくという、クローズド・サークル内で起きる王道のミステリーであった。
「けれど、あの結末とトリックに私は驚きました。しばらく、席から立てなかったです」
読んでいた本の冒頭があまり面白くなかったのでそっと閉じて元の場所に戻した。
「まあ、楽しんで貰えたならいいけど、僕としては全滅エンドなんて迎えたくなかった」
その舞台のトリックは、実は島の南北500メートルくらいの所に小さな浮島があって、そこからいかれた殺人鬼がスナイパーライフルで島にいた少女を狙撃していただけであった。
もう少し詳しく内容を言うと、島にいた少女は皆仲良しではなく、銃の知識を持っていなかったので、島内に銃を持つ犯人がいると思い込み、遠くから狙われている可能性に気づけなかったため紛争を起こして、次々と死んでいく。最終的に死体が転がる島に上陸した殺人鬼が笑うというどうしようもないエンドである。
「私にとっては、ミステリーをちゃんと見たのはあれが始めてでしたから」
「その衝撃が忘れられなくて、自分も書きたいと思ったんでしょ」
彼女の顔を見ると、思いつめているような顔をしていた
「それもありますが——私の夢のために必要だと思ったのです」
彼女の頭の中にはどんな夢が描かれているのか、僕は興味が湧いた。
「よかったら聞かせてほしい」
そう言いながら、僕はさっきまで座っていた席につくと、常盤さんもそこへ戻った。
「私の祖父は元警察の関係者で、父も法曹関係です……。あまり私も詳しくないのですがお二方、結構偉い方だそうです。これを言うと皆さん私を警戒するのであまり話したくないのですが」
その話は有名である。だけど彼女には黙っておこう。
「そんな家族に育てられてきたので、私も自然と憧れていました」
「正義の味方にか」軽く馬鹿にしたような風に言ってしまい、傷つけてしまったと心配したが、彼女の眼は真っすぐで、とてもかっこよかった。
「はい。私は刑事を目指しています。祖父や、父がこれまでやってきた事と同じように、闘っていきたいのです」
「家族を尊敬しているのね」
彼女は照れながらも「はい」と胸を張って言った。
「そういえば、その夢と、ミステリーを書きたいと思ったことにどんな関係があるの」
話のきっかけを思い出した僕は、慌ててそう聞いた。
「私の父は、人が死んでしまうことが嫌いです。この気持ちは当たり前の気持ちですが、父はその気持ちが一層強いようで、私に人が死ぬ物語でさえも排除しました。その事を私は父の考えが正義なのだと思っていたので、今まで疑問に思わずに生きていました」
「凄いお父さんだね……」返しが思い浮かばず、驚くしかなかった。
そんな父に育てられたら、彼女みたいな考えになっていただろう。別にミステリーが無くても人は生きていける。
「でも、月岡さん脚本の舞台を見た時、私の夢のためには必要だと気づきました」
「僕の……書いたアレで?」
ますます分からなくなった。
「この国では、日々事件が起きています。他の国よりは平和と言われていますが、中には未解決事件や誰がどう考えても理解できない動機で起こした事件など報道もされない事実がたくさんあります。私はそういう事件の解決をするには、物語が解決の糸口になると思ったのです。一つの物語に一つ以上の事件があって、その真相を知ることができる。それも、現実で誰も死なずに」
確かにその通りだと思った。
「だから君は、物語で事件を学んで現実に活かしたいと」
ミステリーをそういう風に感じ取っている人と出会ったのは、彼女が始めてである。
共感はできないけど、彼女は僕の書いた舞台を見て、父親の考えに疑問を持った。それから、自分の考えを導き出したのだろう。
そこに、きっと葛藤もあったはず。
「そうです。祖父や父とは違う方向で物事を捉えるにはそれしかないと思ました」
「ミステリーを書く理由はなに?物語を読めばそれだけで勉強になるでしょ」
「私がミステリーを考えて書くことで、トリックを解く刑事や探偵、仕込む犯人、どちらの気持ちも分かることになりませんか?」
真剣な表情で答えていた。
真面目で、純粋な彼女らしい答えだなと、可笑しく思った。
「そうだね——楽しみにしているよ」
「とびっきりのトリックを考えるので待っていてください」
夢を聞いて、改めて彼女の書いたミステリーを読みたいと思った。きっと、他の作品とは一味違うのだろう。
「文化祭で本当に書きたかった物語、私は読んでみたいです」
「それは一生お蔵入りだよ」
変えてしまった物語を戻すことなんて僕にはできない。ただ、ミステリーを書きたい常盤さんを見ていると、僕もまた何かやってみたいと思えるのは正直なところであった。
しかし、今は常盤さん手伝いや、常盤さんの事を想うのに一杯いっぱいで、そんな余力はない。それをするとしたら、どちらかが片付いたあとだ。
こんなこと思うのも常盤さんに出会い、僕を連れ出してくれたお陰だと思う。
そうして僕は、ここに来た目的を果たそうと、持ち寄った本を持ってもう一度本棚へ向かった。
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