第6話 約束すること

 常盤さんの着ているオフホワイト色のワンピースは可愛らしく、彼女の魅力をより引き立たせていた。また背中からちらりと見えるバックリボンがフリフリして翼みたいで、まるで妖精の様だった。

 僕が息を飲んで彼女を見ている時間が長かったのか、自動券売機は操作を放棄したとみなしてホーム画面に戻った。

「あ……すいません。今日似鳥さんに月岡さんが映画を見に行くことを聞いて『さみしがっているから暇だったら行ってやって欲しい』と言われて来ちゃいました」

「あのやろう」

 それを聞いてあの時を思い出した。あいつは最初から映画を見るつもりはなく、僕と常盤さんをブッキングさせようと情報を聞き出していたのだと。

 おもしろい展開になれば、自分が見ていない時でも満足する。それがあの男だ。


「月岡さんに聞いてからにしようと思いましたけど、あの日の約束とは違うので言い出せませんでした……。ですが、私もその映画を気になってしまって」

 あの日にした約束は常盤さんの創作活動を手伝うことだけだ。今日見る映画を観たところで彼女の役には立たない。

「だから、現地で会えば大丈夫だと思ったのか」

「私の我儘が過ぎました。月岡さんの気持ちを考えていませんでした」

 僕は呆れていたが、こんな事をさせた似鳥になのか、そのことに乗った常盤さんになのか、密かに望んでいたことなのに何故か受け入れられない僕なのか、誰に対して呆れているのかは分からなかった。

「分かった。一緒に見よう」

 彼女は僕が来ることを信じて待っていたと考えると、このまま一緒に見ないわけにもいかない。

「——ありがとうございます」

 周りからは、デートに見えているのだろうか。

 彼女は僕のすぐ横から、券売機を細い指で操作している。慣れていないのか、全然違う映画を選ぼうとして思わず笑ってしまった。


 入場開始となり、僕たちは劇場に入りチケットに書かれた席に座った。

 隣には常盤さんがいるわけで薄暗い劇場で、何か話した方がいいのだろうかと気まずくなっていた。

「常盤さんは僕が朝一の上映に行くことをなんで分かったの」

 気になっていたことを聞いてみた。

 バイト前の午前中に行くことは決めていたが、朝一で行くことは決めていなかったし、上映初日という事で上映回数は多い。

 笑いながら「女の勘ですよ」と自慢げに語っていた。それが本当なら恐ろしい能力である。

「今日は常盤さんを映画に誘わなかった僕が悪かったと思う。僕は常盤さんの創作活動を手伝うだけと言ったから、それを気にしてくれていたのは嬉しいよ。けど、言ってくれればいいのに」

 僕は誰かを楽しませようと想う事は向いていないし、とても疲れる。それでも、約束していれば僕はもっといい服を着た、プランも考えた、話題も考えた。


「……という事は創作活動以外でも月岡さんをお誘いするのもありということですか?」

 彼女の少し悪い顔に見えたその笑顔で僕は固まった。


 しまった——。彼女はこの展開を狙っていたのか。だとしたら相当な策士である。

 そうこう考えているうちに天井の照明は消えてスクリーンだけがぼんやりと明るくなり予告が始まった。


 映画が終わり、劇場内の天井は緩やかに明るくなり始めた。

 僕はエンドロールの間、涙を引かせるために少し上を向いて踏ん張っていた。

 泣いていた僕は、彼女に見られていないかと心配であった。

 ちらりと横を見ると彼女は上映前と同じ顔であった。満足感のある顔をしているが、泣いてはいない。

 すると、彼女も僕の方を見て目が合い、恥ずかしくなった。

「素敵なお話でしたね——」

「うん……そうだね」

 最後のシーンを思い出して、また泣きそうになった。

「月岡さんって、意外と泣くんですね」

 彼女は僕のことをどういう風に見ていたのか。

「意外で悪かったね——。僕はこういうのが好きなの」

 僕は、普段はおとなしい方だと思うし、あまり熱くなることはない。しかし、物語を見た時の感受性だけは高いようで、時に人が死ぬオチは分かりやすいものだが、なぜか昔から泣いてしまう。

 手で眼を擦っていると、僕の左眼の辺りがなにかで包まれた。一瞬の事で何が起きたかわからなくなり、反射的に顔をそれから離してよく見ると、彼女がハンカチを持って僕の顔に押し付けていた。

「びっくりしちゃいました?手で涙を拭うと眼に良くないですよ」

 彼女は微笑みながら、再び僕の目頭の辺りをやさしく拭いていた。

「もう……大丈夫だから。ちょっと恥ずかしい」

 こんなことをされて、平常でいられる男性はいないだろう。僕は動揺しながらも彼女の好意に甘えるしかなく、結局両眼を拭いてもらった。


 劇場を出ながら映画の話をした。

「そういえば主人公役の俳優さん、うちのクラスの沖野さんが大ファンらしい。あ……これは友達の大塚が沖野さんと付き合っていたから知っている話だけど」

 主人公を演じた。藤堂涼真は原作と全然違う顔とスタイルで最初はキャスティングを疑っていたが、演技はとても上手であったと思う。

 去年、大型新人企画でデビューした注目のイケメン俳優であり、次々と注目作品に起用されている。

 常盤さんもこういう人が好きなのだろうか。興味本位で聞いてしまった。

「確かにかっこいいですよね……。どの場面も堂々と演じている印象でした」

「うん、そうだね」

「でも、贅沢言うと私の好みとは違います」

 彼女のルックスであれば、どんな贅沢も通用するはずであるが、謙遜しながらもきっぱりと彼女の意見を言っていた。

 ではどんな男性がタイプなのか聞きたかったが、それを聞いたらカウンターが来そうで恐ろしく、そのまま黙っていた。

「月岡さんはどんな女性がタイプですか」

 やられる前にやっちまえとはこういうことだ。僕は正面から彼女の質問というストレートパンチをもらった。

 女性にこれを聞かれてなんて答えるのが正解なのだろうか。ずっと迷っているのは嫌な時間だったので、思いついたことを答えた。

「一緒にいて、じわじわと幸せを感じられる人かな」

 そう言うと彼女は考え込み小さく呟いた。

「…………遅効性が必要という事でしょうか」

「難しく言い換えなくていいから。なんとなく思いついたことだし……」

 そう言った後も、僕の答えに悩んでいる彼女がとても愛おしかった。


 ロビーに戻り、時計を確認すると。あと一時間でバイトが始まろうとしている時刻であった。

 とても惜しいがエスカレーター近くで彼女に今日の別れを告げる。

「常盤さんごめん。いつも土曜は午後からバイトがあって、これから行かなきゃいけないから……」

「分かりました。私はもうちょっとここにいます。アルバイト頑張ってきてください」

 常盤さんとただ、映画を観るだけで終わってしまった。

 それにしても、常盤さんの行動力は異常で非効率だと思う。非効率なことをするのも、させるのも僕は好きじゃない。


「今日は一緒に見てくれてありがとう——今度からは常盤さんの興味がありそうなことがあれば僕からも誘ってもいいかな?」

 勇気を出してそう聞いてみた。

 常盤さんは大きく首を縦に振った。

「はい。今度は月岡君から誘ってくれることを待っています——」

 僕がちゃんと常盤さんを何かに誘う。その機会を貰えたことは、とても光栄に思えた。

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