第4話 常盤京はミステリーが書きたい

 さっきの話に戻るが、普通財布を忘れたとき、警察に相談しないまでも、保護者を呼んだり、身分証明書を控えさせてもらう事はお店側の当然の権利である。

 彼女の家系は日本の正義を守る法曹界や警察に所属して、そのなかでもトップ集団である。

 彼女がそんなリスクを取った戯れをするのか、僕にだって一応警察に相談する選択肢はあった、彼女もそのことを流石に考えていただろう。

 現金を持っていたとして、やっぱりお金はありますと言えば事態を避けられるにしても、やはり僕を楽しませるために実行していたとは到底考えられない。

 まだなにか目的があるはずだ。


 彼女は2個目のクリームドーナツを口にしていたが、構わず聞いてしまった。

「僕はこんな貴重な体験をさせてもらったけど、常盤さんは本当にそれだけの理由で行動をしたとは納得できないね。まだ目的があると思っているんだけど、どうだろう」

 その時、彼女の咥えているドーナツの間に挟まったホイップが勢いよく零れ落ちた。動揺しているのは明らかであった。

 机にある紙ナプキンを差し出すと、耳を赤くしながらそれで手と唇を拭いていた。


「——すいません。お恥ずかしい姿をお見せして」彼女が拭き終わるまで僕は外の方をみながらこれからの彼女の弁明にワクワクしていた。

 彼女は今日一番の落ち込みを見せていたが、ついに話し始めた。

「もう少し月岡さんと親しくなってから話そうと思っていました——。私、小説を書きたくて、それを手伝って欲しいのと、もし完成したら最初に見て頂きたいと思っています」

 突然そんなことを言われ、何故その役目が僕なのかと思ったが、あることを思い出した。

「もしかして、去年の舞台を見たのか」

 去年文化祭の出し物として僕たちのクラスは、舞台をやることになった。

 そして僕は舞台の脚本を書いた、いや書かされたという表現が正しいだろう。僕は昔から小説を読んだり、映画を見たりするのが好きで、好きなら書いてとクラスメイトに頼まれた。

 僕にとって、あの思い出はあまりいい思い出ではない。


「——はい。衝撃を受けました。両親は本をよく読みますが教養書やビジネス書だけで、人が死ぬミステリー作品は家にありません。それだけでなく、テレビでミステリーやサスペンスのドラマやアニメが放送されているのも見たことがありません。なので、これまで私も家族の意に反してまでミステリーをみたいと思った事はなかったです」

 たしかに常盤さんの家族事情を考えると、日ごろから犯罪を仕事で向き合っている人が、家族に人が死ぬ作品を見せたいとは思えない、むしろ遠ざけたいという気持ちが自然なのだろう。

「でも、たまたま文化祭であれを見て、常盤さんは変わった」

 彼女から昨日貰った文庫本は海外のミステリー作品であった。

「はい、それからミステリー小説を読むようになりました」

「こんなこと言いたくないけど、俺は自分が書いたあの作品は好きじゃないけどね」

 彼女にとってそのことは予想外であるようで、仰天している。

 オリジナルで書いた脚本は刺激が足りないとダメ出しをされて、要望を聞いていくうちにグロテスクなシーンが入り、結局名作ミステリーを模倣したようなオチになった。

「そう……だったのですか」

 それが面白いと評判になり、僕自身も注目を浴びたが、自分の書きたいものではなかったし、教頭先生に『学校でこんなものを上演するな』と叱られて、いい思い出なんてなかった。

「うん、それと小説と脚本は作り方が違うから役に立てないよ」

 それでも彼女は諦めてはいない顔をしていた。

「それでもミステリーを書くためには、月岡君の力が必要だと思っています。私の我儘に付き合ってください」


 僕は悩んだ。また常盤さんと話せるならやりたい気持ちがあるが、一応存在する僕の信念に反するのではないかと考えてしまった。

 その時だった。僕の脳内から誰かが囁くようにある事実を告げられた。

『彼女がミステリーを書きたいと思った原因は俺だ、だったら責任を持つべきではないのか』

 彼女が僕の書いた舞台を見たときの感想を言っているときの顔はとても楽しそうで、本当にミステリーに興味を持ったのだと感じることができた。

 常盤さんではなく、彼女の家族ばかりの評判しか聞いたことがない僕にはとても新鮮で、もっと知りたいという気持ちが生まれてしまった。


「具体的には、何をすればいい?あまり期待はしないで欲しい。人前で見せたことがあるのはあの作品だけだし、俺が今後創作することもないよ」

 僕の答えに彼女はほっとしたようで、だらしなくホイップがこぼれたドーナツを食べ始めた。

「スマホから連絡させてもらって相談をしたり、カフェで相談をさせて欲しいです。あとは、創作の役に立ちそうなことを一緒にしてもらえれば嬉しいです」

 彼女の話に乗ってしまった以上、もう断ることはできないが、それを聞いてこれから2人で一緒に時間を過ごすことがあると意識してしまう。そして、彼女が満足する作品を作るためには僕も手を抜くことは許されない。本当にそれでいいのかと思ったが請け負った以上やり抜くべきだ。

「分かった、常盤さんの創作活動を手伝う。でも、バイトもあるし、時には手伝えないとはっきりと言うけどいい?」

 一応の保険でそう言っておいた。

「もちろんです。月岡さんの大切にしている信念は理解しているつもりなので、嫌がりそうなことは絶対にしません。月岡さんは私と美味しいものを食べて、ちょっとだけ貴重な経験をして楽しいと思って頂ければ嬉しいです」

 常盤さんは僕の気持ちを尊重しようとしてくれている。その気持ちだけで十分であった。

 僕も二つ目のドーナツを口にすると、その甘さに衝撃が走る。

 砂糖でテカテカにコーティングされたドーナツは、コーヒーを飲んでやっと中和された。

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