第5話最終話、まだオレの頭上に月が浮かぶ。
月光の蒼い光りが、スファルトに刺すように満ちている。指先どころか地面も小石まで良く見える程だ。
私の影を囲むように、黒い子供達の影が集まって私の組み立て作業を見ている。
私も子供の頃は何でも珍しく興味があった。特に機械や、植物・動物だ。
カチカチと動く歯車とピカピカ光るネジとバネ、それらが組み合わさって時計を動かし時間を刻むのをワクワクして見ていた記憶がある。
(確か、電池の取り替えだったか?)小さなネジを取った時計は蓋が外され、正に精密機械その物だった。
今の子供はそんな物は知らないだろうか?ブラウン管のTVを分解したりしないのだろうか?あの楽しさを知らないのは少し可哀想と思えるな。
(良し、組み上がったぞ。みんな並んで見ろよ)
薬が限界まで効いて、とにかく眠い。フラフラと足元の影を追い、車の扉を開けた。
フロントガラスの向こうでは、黒い男の影が月を見上げている。
(本当に熱心な人だ、余程月に魅入られているのか?)
ふふっ、彼の目に写る月はどんな風に写っているのだろうな・・
子供達のはしゃぐ声が聞こえる。車は揺り篭のように揺れ、私は月の光に見守られながら月の影に落ちて行った。
「また貴方ですか、いや遠くからでも車の車種と色で解ってはいましたけど」
私を起こしたのは、もう顔なじみとも言うべき男の声だった。
頭はぼやけ目も霞む、それでも彼の大きな声は車内に響き、私の目をこじ開けた。
「全く、今日は少し気になって早く来たから良いものを。本当に大丈夫ですか?顔色悪いですよ?」
男が私の顔を覗き込み、その後サイドミラーで私は自分の顔を写す。
白く血の気が抜けた肌と青く落ち込んだ隈、ここ数日で何年も老け込んだ私の顔がそこにはあった。
ケホッ「少し風邪気味で無茶したからでしょうか、心配をおかけしました」
そう言えば前日から食欲が落ちたせいで、殆ど物を口にしていない。
市販の風邪薬でなんとか凌いでいる感じだ。五十を越えた体は正直だ、不調は直ぐに体に出てしまう。
(今日は・・休むか・・それと病院か・・たしか保険証が・・)
熱は下がっているが、血圧が上がらないせいで脳に血が回って無い気がする。
「・・病気なのに無理して、アナタ何してるんですか!いい歳でしょう?」
「ほんとうに面目ない、今日は直ぐに帰りますから・・」
そう直ぐに望遠鏡を片付けて・・・
車の扉を開けたまでは記憶している、その後の事は・・よく解らない。
気が付けば畳みに寝かされ、見知らぬ部屋の天井を眺めていた。
「起きましたか、頭は大丈夫ですか?痛みは有りませんか?」
頭・・頭に痛みは無いが、肩が酷く痛む、貧血か?目が回っているみたいだ。
「アンタ車の扉を開いたまま、いきなり倒れたんですよ?」覚えてますか?
そう言われても、そうかこの肩の痛みはその時打ったものだろうか。
・・時間・・携帯・・私は掛けてあった上着のポケットを探り携帯を取り出した。
時間はすでに九時を少し過ぎてギリギリ遅刻、病院の後で会社に行くにしても、休みを入れるにしても連絡を入れて置かないと。
「ああ、もしもし?ハイ・・熱がありましてして・・はい多分今日は無理だと思いますので・・ハイ、スイマセン・・では・・ハイ・・ありがとうございます」
当日の休みを済まない気持ちでお願いし、病院次第では明日も休む事を伝えた。
向こうも『今は急ぐ仕事も無いので』とありがたい言葉を頂き、肩の荷が下りる。
「病院に行く前に何か食べたらどうですか、サンドイッチとかしか有りませんが」
冷えた陳列棚には、おにぎりやサンドイッチが種類少なく並んでいて値段も普通。
「お盆の時季なら弁当とかも仕入れるんですけど、いまの時分はお客さんも少ないですから」墓参りの家族連れ達が小腹を満たす為に販売しているらしい。
サンドイッチ二つと珈琲を買う、珈琲はよく聞くメーカーの物で味もよく知っている。だがサンドイッチ・サンドゥウィッチ?はコンビニとかで売ってるヤツより上物だった。 中に挟んだハムや卵は、切り口から三角の頂点までぎっしり詰まり、レタスやキュウリ・トマトに到っては新鮮ではみ出るくらい多い。
「墓参りなんてつまらないでしょ?特にお子さん達からすれば。だからせめて美味しい物でも食べて『また来たいね』って思われたいじゃないですか」
だから工場の物では無く、町のパン屋さんにワザワザ仕入れに行っているそうだ。
「おにぎりも・・まぁいい米使ってるんですけどね・・」そちらは、米の味が解る大人用らしい、この男良い仕事をしている。
「原価とか考えたらギリギリでしょう?儲けとか出てるんですか?」
「そこはほら。宗教法人と駐車場、後は仏花とか蝋燭とか線香とかでね」
・・・線香の相場は解らないが、花とか霊園の掃除とかの付加価値をこの男が付けているなら、どちらにしても安いんじゃないかと思う値段だ。
「私も、おにぎりにしておくべきでしたか」大人として。
「食欲が無い時はアッサリした物が食べたい筈。
体が直感で選んだ物を食べる方が、体にはいいんですよ」きっと、そう言って男が笑う。
「直感はいいんですけどね、熱がある時に無理しちゃ駄目ですよ。心の疲れから夜空を見上げるのは結構ですが、体の疲れも考えてやって下さいよ」
・・・確かに男の言う通りだ、昨日は子供達には済まないが無理だと断るべきだったのだ。それでこの男に迷惑を掛け、会社にも迷惑をかけていたら話にもならないのだから。
「・・同好の士と言うか、子供達の喜ぶ顔というか・・流されてしまいまして・・」
後先考え無いのは若者の特権、オレも無理は体に毒だとようやく解る歳になったんだ。
「誰かが喜ぶ為に、自分の健康を害する・・気持ちはわかるんですけどね」
男は目を瞑り、しばらく考えたあと話を続けた。
「耳無し方一をご存じでしょうか?あの小泉八雲の話ですが」
「随分唐突ですね・・・昔小学校くらいの時に読んだか聞いたかくらいしか解りませんが」
盲目の琵琶法師が平家の亡霊に呼ばれて平家物語を唄った、彼等は方一の唄に涙し感動し次の夜も・次の夜も方一を呼び出す。
平家の亡霊に取り憑かれた方一はやがてやつれ行き、彼の居とする寺の和尚に問われて、「自分は真夜中、御公家様のお屋敷に招かれ琵琶を弾き唄っている」と告げた。
和尚が夜更けに方一の後をつけると、彼は墓場で琵琶を弾き歌っていた。
そして墓の彼方此方から啜り泣きや嗚咽と共に火の玉が浮かび、彼の回りで揺れていた。
和尚は見た事を伝え、これ以上亡霊に取り憑かれていると衰弱死するだろうと伝えた。
方一は恐れ、和尚に対策を願った。そして和尚は方一の体に御経を書いて亡霊が近づけないように考えた。そしてその夜、果たして亡霊はやってきた。
亡霊は鎧の音をガシャガシャとならし、方一を読んだ。亡霊からは方一の姿は見えず、彼が毎晩座していたお堂に耳だけが浮かんで見えた。
亡霊の武者が何を考えていたのかは解らない、だが亡霊はそこに浮かぶ方一の耳を引き千切って去っていた。
夜が明けて和尚がお堂の扉を開けると、耳を引き千切られた瀕死の方一がそこに座っていたのだった。
朧気に聞いた話だから、正しいのかどうかは解らないが多分こんな話だ。
「まさか、私が取り憑かれていると言いたいのですか?
私は歌なんてここ数十年歌った記憶すら無い男ですよ?」
それに誰かに聞かせるほど上手いわけでも無し、五十男・中年の美声など演歌歌手でもお呼びじゃないだろう。
「霊園ですからね、そんな事もあるでしょうと思っただけで。」
彼からすれば、そう毎日・毎日墓場で寝ていて、やつれていけば取り憑かれているように見られても仕方無いのだろう。
「ただの風邪ですよ、それにお化けとか幽霊とか私は信じていませんし。大体、私は目も耳も歳相応だと思いますよ」
火の玉とか亡霊とかに欺された方一とは違い、私のは寝不足と風邪と疲労。科学的にも 説明が付く体調です。医者に行き・薬を飲んで・消化に良い物を食べて寝る事で回復するものでしょう、幽霊とかオカルトとは関係無い。
霊園に勤め、墓や宗教に囲まれて生きて居ると幽霊とか非科学的な物も見えて来るのだろうか?信ずればなんとやらだ。
「ご馳走さまでした」また倒れる前に病院に行かないとな、
忠告はありがたく聞いて、しっかり体力を戻してから挨拶に来ようと思う。
車は順調に走り、マンション近くの病院に着く。腹に栄養を入れたお陰で体調が良い。病院でも少しのビタミン(ブドウ糖?)注射と薬の処方で返された。
『疲労でしょうね、何日も徹夜でもしましたか?過労で倒れる前に休みを取って休んで下さいね』との診断でした。
スーパーで適当な物を買い、今日と明日は休みにして眠る事にした。
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響有り・・
朝、あんな話をしたからか、夢の中で歌が聞こえる。映画で見たのかTVの思い出か、目を瞑った男が琵琶を弾き、蝋燭の光りを汗に写しながら声を上げて延々と歌う。
彼は何故あれほど熱心に歌っているのだろう。
仕事だから?好きだから?使命だからか?
私には解らない。
目が見えなくとも、真夜中に呼び出され朝まで歌を聴かせているのだ。怪しいとか疲れとか何かがあるだろう。それを全霊を掛けて歌っている、なぜだ?
痩せた和尚が怯えた声を上げ、鎧の亡霊に追われて行った。
『方一!お前の歌を聴かせている相手は平家の怨霊だ!取り憑かれて死ぬぞ!』
和尚は方一の体に経を書き、お堂で休ませている。
体のお経は汗で流れないような黒い油のような墨液。
目の見えない方一は和尚を信じ、お経が書かれた体で方一はまた平家物語を歌う。
お前は何故逃げなかったんだ?
寺を抜けて、昼の内にどこか別の場所に逃げ込めば助かった可能生も有った筈だ。
お堂に封をして、亡霊が入らない様にも出来た筈だ。それなのに何故そうしなかった。 目が見えない体力が無い、それでも誰か、例えば和尚の肩を借りて逃げる事も出来ただろう。
方一は答えない、ただ目を瞑り琵琶を奏で、懸命に声を出すだけだった。
耳を失った方一はその後どうなったのだろうか、彼はまた琵琶の音を響かせ誰かを感動させているのだろうか。
その耳には、拍手も感動も言葉も届かないだろうに。
(ひょとしたら・・方一は、殺されたくは無いが、歌は聴いて欲しかったのか?)
自分の琵琶と歌に感動し、涙を流す公家の姫や武士達。
彼は嬉しかったのか?誰かを感動させ感謝され求められて。
もし和尚が後をつけなれば、彼は何も知らず琵琶を奏でながら、彼の歌を求める者達の中心で命絶えたかも知れない。
平家貴族の墓の中央に琵琶だけ残し、共に彼岸で世の移ろいを歌っていただろうか。
『奢れる者は久しからず、ただ春の世の夢の如し』と源氏の行方を宴ていたかも知れない。 そして今は豊臣・徳川・武士の世から国家・兵士の社会になり。市民の世になっても続く日本人の国を歌っているかも知れない。
公家の世から武士の世に変わり、公家達は『武士の世など続くものか』と思っただろう。なら現代を見た方一や平家の亡霊達は『市民の世もまた夢の如し』と歌っているだろうか。
歌を望む者と、歌を聴かせたい相手。その二つを裂いたのは果たして経を書いた和尚か、それとも耳を裂いた怨霊か、私には解らない。
コンコン、コンコン、(ああ、そろそろだと思ってたよ)
私は部屋の扉を開き、彼を招き入れた。
「スイマセン、今日もまた望遠鏡を出しては頂けないでしょうか?」
ああ、それも解っている。私は彼に車のキーを預け、車のシートに腰掛ける。
月は、満月は出ているか。
ベチャ、ベチャ、満月の満ち潮は河の水を持ち上げ岸に色々な物を打ち上げる。それは地上にあった物が帰ろうとする音か、それとも水に縛られたモノの鎖が一夜緩んだ音か。
彼の体はすでに土に還り、魂だけがその間際に映した光りを追い、
上がって来たのだろうか。
肉の無い体は四肢を地面に貼り付け、古代の魚と変わらないような動きで光りを目指す。体はやがて生前を思い出し、ヘドロで濡れた足で坂を上り始めた。
言葉も無い・音も無い、ただ自分と同じ月を見上げているもの達がいる。
静かに満ちた蒼い満月の光り、彼は水に沈む時欠けていた光りを思い出す。
そうだ、ボクはアレを勿体ないと思ったんだ。最後なのに欠けた月、ボクは光りに手を伸ばし届かない月に見えない手を広げた。
「ああ、やっぱりか」誰かの声が聞こえる、声の方を向くと男が笑っていた。
月を見ていた 葵卯一 @aoiuiti123
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