第18話 出席番号男子6番・笹木舎聡 ②

 笹木舎の長い小便が終わった。

「あー、すっきりした」

 そういう彼の頬を、立ち上がった内藤が平手打ちした。

「おいおい、小便くせえ手でぼくに触るなよ」

「あら、ゴミだらけだったわたしをあんたの黄金水がきれいにしてくれたんじゃなかった?」

「ふざけるなよ」

 笹木舎が内藤を蹴り飛ばした。

 思い切り蹴り飛ばされ、床に転がった内藤は、立ち上がりながら、

「あんた、いじめの首謀者は実はぼくでしたーって武勇伝を語ってたわりに、いじめの才能ないね。やめといた方がいいよ」

 そして、言った。

「いじめっていうのはさ、もっとスマートにやるもんでしょ」

 それは先ほど笹木舎が口にした言葉だった。

「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!」

 笹木舎は逆上し、何度も内藤を蹴った。

「お前こそ、いい加減にしろ」

 祐葵が笹木舎に殴りかかろうとしたその時、チェーンソーの轟音が教室に響いた。

「うわあああああああああ」

 山汐凛がチェーンソーを振り上げていた。笹木舎の右肩にチェーンソーの刃が食い込んだ。チェーンソーはそのまま斜めに左腰まで笹木舎の体を引き裂いていた。山汐の握力が弱かったせいか、チェーンソーは彼女の手を離れ、宙を舞うと、白いペンキの窓を割って、窓の外に落ちていった。

 どさっと床に落ちた笹木舎は、何が起こったのかわからないという顔で、自分の下半身を見上げていた。

「嘘だろ? 今は休憩タイムだろ? 誰も死ななくていい時間じゃなかったのか? 何で俺が殺されなきゃいけないんだ?」

 ぼくたちにも何が起きたのかよくわからなかった。なぜ山汐が内藤をかばって笹木舎を殺すのだろう。

「どうしてだ、山汐。ぼくは君に何もしてない。君をいじめてたのは内藤だろう? 君が殺すべきなのはぼくじゃない、内藤のはずだ」

 癪だけれど、笹木舎の言うことはもっともだった。

「…………んを………る奴は…たし……さない」

 山汐は小さな声で、何か言った。

「あ? なんだって? もっと大きい声で言ってくれよ。こっちは死にかけてて、しゃべるのがやっとなんだ」

 笹木舎はこれから数分もしないうちに間違いなく死ぬというのに、口ではそう言っているけれど、まるでそれが自分でもよくわかっていないように見えた。ずっと人生をゲームのような感覚で生きてきたからだろうか。人生にリセットボタンがあると思っているほど馬鹿じゃないだろうけれど、彼は自分がこれから死ぬということの現実味を感じていなさそうに見えた。

「美嘉ちゃんをいじめる奴はわたしが許さない」

 山汐は今度は大きな声でそう言った。

「お前、馬鹿?」

 笹木舎は、ぼくこんな馬鹿にわけもわからず殺されるのか、そう言って、それきりもう喋らなくなった。

「大丈夫? 美嘉ちゃん、平気?」

「大丈夫なわけないでしょ。小便くさいったらありゃしないわよ」

 まるでふたりは友達のような会話を交わした。

「なぁ、あれどういうことだ?」

 祐葵がぼくに聞く。

「ぼくにわかるわけないだろ」

 ぼくは言った。

「わたし、なんとなくだけど、わかるかも」

 鮎香が言った。あのふたりの間には何か行き違いのようなものがあって、いじめとか売春の強要とかとんでもない事件にまで発展しちゃったけれど、内藤さんを早々と見限った三人と違って、あのふたりは本当に友達なのよ、と鮎香は続けた。

 何となく、本当に何となくだけど、ぼくにも少しわかった。

 まだわからないと言った顔をしている祐葵に、

「秋月くんも榊くんもわたしのこと好きじゃない?」

 わかりやすい例え話を鮎香はした。

「でも、わたしは秋月くんが好きだから、榊くんとは付き合えない。秋月くんと付き合う。そのせいで、榊くんは秋月くんのことを嫌いになったり憎んだりするかもしれない。けれど、ふたりが友達ってことは変わらないでしょ」

 すごくわかりやすい例え話だったけど、

「え、なんで俺、このタイミングで振られるの?」

 祐葵がちょっとかわいそうだった。

「でも、おかげで俺もわかったよ。俺、確かにそうなったら蓮治のことを嫌いになったり憎んだりするかもしれない。でも、蓮治がピンチのときは絶対に助けちゃうと思う」

 友達だもんな、と祐葵は恥ずかしそうに言った。

「なんでわたしを助けたの?」

 内藤も、ぼくたちと同じ疑問を、山汐にぶつけていた。

 山汐はただ笑って、

「友達だか」

 ら、と言おうとしたのだと思う。

 けれど、その言葉を山汐は最期まで言い終えることができなかった。

 乾いた音がして、山汐の額に穴が空いていた。

 先生が教壇で、拳銃を構えていた。銃口から硝煙が出ていた。

 なんで? どうして? 様々な疑問がぼくたちの頭の中でめぐった。

 山汐の体は、ふらふらと窓の方に向かい、先ほど割れた窓から外に落下していった。骨が砕け肉が裂ける、いやな音がした。

「山汐!」

 ぼくは窓に駆け寄った。真夜中だったけれど、他のクラスでもいじめロールプレイは行われていて、一階の教室に明かりがついていたせいで、なんとか山汐らしき物陰を確認することができた。けれど、山汐の体が動く気配はもうなかった。

 ぼくはまた例の既視感に襲われ、頭が割るように痛んだ。山汐がこんな風に死ぬ光景を見たことがあるような気がした。

「山汐凛さんはルール違反を犯しました。ルール違反は銃殺刑です」

 先生はそう言った。

「ルール違反だと? 何のルールだ?」

 ぼくは先生に問う。

「このゲームで、人を殺すことができるのは、いじめられる者、つまり内藤美嘉さんだけです。内藤さんが人を殺せるのも、1日4回の処刑タイムと、20回の指令メールを誰も実行できなかったときだけ。それぞれひとりずつです。みなさんが内藤さんをいじめからかばったり守ったりするのは自由です。ですが内藤さん以外の方が内藤さんを守るために誰かを殺すのは認められません。そういうルールです」

 先生は淡々とそう言った。

「ふざけるなよ……」

 激しい頭痛を我慢しながら、ぼくはそう言うのが精一杯だった。

 さっきぼくは野中を殺そうとした。そのとき、ぼくは先生に許可をとった。先生は自分も大和を殺したからいいでしょうと言っていた。その言葉を信じてぼくが野中を殺していたら、ぼくは山汐のように殺されていたのだ。

 ぼくのそばに祐葵と鮎香が駆け寄ってきた。

「また頭痛か?」

「だいじょうぶ?」

 ふたりにそう問われ、ぼくはだいじょうぶ、そう答えようとした。

 けれど、その瞬間、先ほど内藤のために立ち上がった生徒たちが全員、先生に向かって走り出していた。拳を思い切り握りしめて、椅子や鞄を手に持って、みんなはそれぞれ思い思いの方法で、先生に襲いかかっていた。

 みんながなぜそんな無謀な行動をとったのか、ぼくにはよくわかった。

 許せなかったのだ。山汐の、クラスメイトの友達を思う気持ちを踏みにじられたことが。このくそったれなゲームが。先生が。何もかもが。

「先生に危害を加えようとするのもルール違反です」

 けれど、その行動はあまりに無謀すぎた。

 また乾いた音がして、青山が倒れた。続けざまに大河内、神田、氷山、真鶴がやられた。

 ぼくたちは倒れたクラスメイトの名前を叫んだ。

 しかし、山汐を撃った銃弾も入れれば、これで6発。先生の拳銃は内藤に渡されたものと同じリボルバー式の拳銃で、一度に撃てるのは6発までだ。いくら先生が電子ドラッグのせいで驚異的な身体能力を持っていたとしても、次の弾を込める間に誰かが先生を倒せるかもしれない。ぼくはそう思った。けれどそうはならなかった。

 和泉、大塚、杉本、服部、宮沢、宮負の六人が後ろから射たれた。ちづる先生だった。

「おい、嘘だろ」

「みんなやられちまったのか?」

「そんな……誰か返事をして!」

 ぼくたちは叫んだ。けれど、撃たれた十一人は誰も返事をしなかった。

 たった一時間の、それも休憩タイムで、十三人が死んだ。

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