第15話 2013年10月11日、金曜日 ①

 誰かがぼくを本気で潰そうとしている。

 ぼくは適格者同士・所持者同士で争うつもりなんて毛頭ないのに。

 普通の高校生でいられたらそれでいいのに。

 ぼくを潰そうとした奴は他の所持者も潰して神にでもなるつもりだろうか?


 目が覚めると、部屋のベッドの上だった。

 あやが警察署までリムジンで迎えにきてくれたところまでは覚えている。たぶん車の中で眠ってしまったのだ。

 朝食を食べながら、姉ちゃんがあやのリムジンの運転手がぼくを部屋まで運んでくれたと教えてくれた。

 毎朝のテレビアニメを弟は今朝も楽しみにしていたけれど、

「番組の途中ですが緊急ニュースをお伝えいたします」

 アニメは途中でテレビ局の報道センターの映像に切り替わり、熱田神宮から御神体である草薙の剣が盗まれたというニュースを伝えた。20年に1度社殿を建て替える伊勢神宮の「式年遷宮」が先週に行われたばかりだというのに、忙しい話だ。

 ぼくはこのニュースをちゃんと見ておくべきだったと、後になって思い知ることになるのだけれど、このときのぼくはまだそれに気づいてはいなかった。

 ぼくは学校に行く準備をしていた。昨日、山汐凛が死んで、今日は全校集会が行われる予定だ。

 あやから事情を聞いた姉ちゃんは1日くらい休んでもと言ってくれたけれど、1日休んだらぼくはまた不登校になってしまいそうで怖かった。それに今日は金曜日だ。今日行けば、明日明後日は休みだった。

「あんた最近、母さんのこと無視してない?」

 玄関で靴を履いていると、姉ちゃんに言われた。

 無視どころか、ぼくにはもう母さんは見えもしなければ、声も聞こえない。母さんの影や母さんが立てる物音が見えたり聞こえたりするだけだ。

「もしかして反抗期?」

 姉ちゃんはそう言って笑っていた。


 その日ぼくと姉ちゃんが別々に家を出たことは今思えば幸運だった。

 自転車で学校に向かう途中、Sが道路の真ん中で仁王立ちしていたからだ。

「何してんだ? お前」

 ぼくがそう言い終える前に、Sは手に持っていた金属バッドでぼくに襲いかかってきた。

「お前、サッカー部じゃなかった?」

 自転車にまたがっていたぼくは反応が遅れた。

 カゴに入れていた学生鞄でガードしようとしたが、間に合わず、頭を思いっきり金属バッドで殴りつけられた。

 脳が激しく揺さぶられ、痛みよりめまいと吐き気が先にぼくを襲った。

 ぼくは自転車ごとその場に倒れ、立ち上がろうとしたところをまた殴られた。

「世界の再構築で、甲子園級の4番バッターにでもされたか」

 ぼくの体は激しく飛んだ。

 と言っても人間相手にホームランを飛ばすのは難しいらしく、せいぜいピッチャーゴロってところだ。

 全身をしたたかに打ち付けて、ぼくの体はもう動かなかった。

「誰の命令だ?」

 ぼくはSに訊ねる。

「ぼくを潰そうとしているのは誰だ?」

 しかし、Sは答えない。

 ホームランを予告するような仕草をして、金属バッドをもう一度構える。

 姉ちゃんやあやといっしょじゃなくてよかったな、とぼくは最後にそう思って、気を失った。


 


 目を覚ますと、大柄の少年がぼくを覗き込んでいた。

 適格者・所持者のひとり、大和省吾だった。

「大丈夫か? 誰にやられた?」

 心配そうにぼくの顔を覗き込んでいた。適格者・所持者だが、Sにぼくを襲うよう仕向けたのはどうやら彼ではないらしい。

「Sだ」

 ぼくは短くそう答えた。大和は、誰のことかわからなかったのか一瞬視線を泳がせると「ああ」とうなづいて、

「お前が復学すると同時に連れてきたふたりの男の方か」

 と言った。その言葉からは、お互いに適格者・所持者であることはわかっている、だから隠す必要もない、という彼の意思表示が感じられた。

「やっぱりお見通しか。お前も持ってるんだな。赤い携帯電話」

 だからぼくも隠さない。確認するように訊ねると、彼は今度は肯定の意味の「ああ」と言った。

「誰からもらった?」

 簡単に教えてもらえるとは思わなかったが、

「加藤麻衣だ」

 彼は思いのほか簡単に教えてくれた。そして、

「昨日お前を山汐凛のストーカーに仕立て上げたのは、神田透だ。たぶん、そのSってやつにお前を襲わせるよう仕向けたのも奴だろう」

 と言った。

「どうしてそんなことぼくに教えてくれるんだ?」

 ぼくは不思議でしょうがなかった。

「俺はお前の敵じゃないってことだよ」

 そう言って、彼は満面の笑みを浮かべた。その表情に裏はないように思えた。信頼できる顔だった。

「悪用するつもりがないってことか」

「そういうことだ。俺はあんな力に頼らなくても生きていける」

 彼が適格者として選ばれ、所持者になったのは携帯電話を持っていなかったからだ。しかし彼は携帯電話なんて必要ないと言う。一日中電話がないかメールがないか気にして生きるなんてまっぴらごめんだ、と彼は言った。

「強いんだなお前」

「お前らが弱すぎんだよ」

 そう言って彼は豪快に笑う。確かにそうかもしれない。

「立てるか?」

 彼がぼくに手を差し伸べ、

「なんとか。骨は折れてないみたいだ。ヒビくらいはいってるかもだけど」

 ぼくはその手を握った。立ち上がろうとして、肋骨のあたりに激痛が走って呻いた。

「無理するな。俺は医者じゃないが、喧嘩には慣れてる。たぶんアバラ2、3本はイってるぜ」

 彼はぼくを支えてくれると、「どっこいしょ」とオッサンのような掛け声を出して、背中にぼくをおぶった。

「なんだよ、やめろって。はずかしいぞ」

 ぼくは抵抗したけれど、声を出すだけで激痛が走る。

「待ってろ。すぐ病院連れてってやる」

 そう言ってくれたものの、

「このあたりにはバス停はないし、タクシーも滅多に通らんからな」

 彼は困ったように、あたりを見回す。田舎の田んぼ道だった。

「30分くらいかかるけど、いいか?」

 どうやら歩いて病院に行くつもりらしい。

「悪いが、救急車を呼んでくれ」

 ぼくが言うと、彼は「その手があったか」と驚いたように言った。しかし、「でもだめだ」と言う。

「ここがどこかわからん。119番しても、ここの住所が伝えられないから、救急車はこれんだろ」

 そんなことを言い出すので、ぼくは携帯電話にはGPSという機能がついていることを説明した。

「GPS? カタカナで言われてもわからん。日本語で言え」

「位置情報を教えてくれる機能だよ」

「最初からそう言え」

 怒られてしまった。

 ぼくはアリスを呼び出し、住所を教えてもらった。アリスはそのまま、救急車を呼んでくれた。

「便利なもんなんだな」

 と、彼は感心したように言いながら、ぼくをアスファルトの上に下ろした。

 ぐちゃぐちゃに壊された自転車が目に入った。

「あの自転車はもうだめだな」

 ぼくは言う。中学校の入学祝いで、自転車通学になるからと、父さんに買ってもらった自転車だった。3年が経っていたけれど、ぼくはまだ数えるほどしか乗っていないから新品同然だったのだが、サドルもペダルもハンドルももう原型をとどめてはいなかった。

「直してやろうか?」

 彼が言う。

「直せるのか?」

 驚いてそう訊ねると、

「俺、自転車屋の息子なんだよ」

 と、また豪快に笑った。 

「そっか。悪いな。頼むよ」

「その代わり、お前も俺に協力してくれ」

 意外な言葉が彼の口から飛び出した。

「協力?」

 ぼくはオウム返しに訊ねる。

「昨日、山汐凛がとうとう『友だち削除』をやっちまった。今まで誰もクラスメイトを『友だち削除』してなかったのに。たぶん所持者全員のタガみたいなもんがあのとき外れちまったと俺は思ってる」

「タガ?」

「山汐凛は俺たちの引き金を引いちまったっていうか、背中を押したっていうか、うまく言えねぇけど」

「なんとなくわかる」

 やってみるまで本当に出来るかどうかわからなかったクラスメイトの「友だち削除」を、山汐凛は実際にみんなの前でやってしまったのだ。もっとも、ぼくはアリスや姉ちゃんの彼氏からRINNEの使い方をレクチャーされたときに、フラウ・ボウさんが目の前で消えるのを経験していたけれど。たぶん、適格者・所持者の誰もが、ひとりかふたりは実験的に「友だち削除」を経験しているだろう。

「なーんか嫌な予感しかしねーんだわ」

 けれど、ぼくの目の前の、そんなことをしていなさそうに見える彼はそう言って、

「ぼくもだ。これからたぶん、所持者同士で携帯電話の番号やRINNE IDの探り合いが始まると思う」

 ぼくも同意し、言葉を続けた。

「『友だちに追加』して『友だち削除』するためには番号かIDが必要だ。互いに『友だち削除』できない今、昨日や今日神田透がぼくを陥れようとしたみたいなことも起きるだろうな」

 彼は、まいったな、という顔して、

「お前らは、うまく共存するってことはできないのか?」

 と、言った。

「共存?」

 ぼくはまたオウム返しに訊ねる。

「所持者同士で理想の世界を作り上げるっていうか、再構築のしあいにならないような、妥協案っていうか」

 世界っていうのは、もともとそういうものだろう、と彼は言った。

「難しいだろうね。あれは神に等しい力だ。同じ力を持った神がクラスに7人もいるんだぜ」

 ぼくは別に特定の宗教を信仰したりしていない。家が仏教の何ていう宗派なのかすら知らない。だから、神様のことはあんま詳しくないのだけれど、神様ってやつはどの神話でも割と人間っぽいっていう話を聞いたことがあった。

「神様だって憎しみとか妬みとかそういうので殺し合いしたりするらしいよ。本物の神様ですらそんななのに、ぼくたちみたいなちっぽけな人間が、神にも等しい力を手にしておきながら、お手々繋いで仲良くなんてできるわけない」

「人間なんて所詮そんなもんなんかねぇ」

 と、彼はため息をついた。

「ん? お前、今7人って言ったか?」

 思い出したように彼が言った。

「ああ、言ったけど」

「神田透、氷山昇、真鶴雅人、宮沢理佳、それから俺とお前の六人だろ?」

「棗弘幸はどうした?」

 彼の質問に、ぼくは担任の教師の名前を口にした。

「あー、先生ならもういないぜ?」

「どういうことだ?」

「新聞とかニュース、見てないのか? あの人、全国指名手配されたよ。熱田神宮に盗みに入ったとかで。なんとかっていう剣、ほら、よくRPGなんかに出てくる、あれを盗んだらしい」

「もしかして、草薙の剣か?」

「そう、それ。ドラクエでヤマタノオロチ倒したらもらえるやつな。実際にあるとは知らなかったわ」

 お気楽そうにいう彼を尻目に、ぼくは考え込んでいた。

「まずいかもしれないな」

「何がだ?」

「山汐凛が『友だち削除』したときの、あいつのおかしな授業、覚えてるか?」

「あー、なんか変なこと言ってたなぁ」

「あいつ、宇宙考古学とか古代宇宙飛行士説っていう、自分が信じる誇大妄想のような歴史を、真実の歴史に世界を再構築してたんだ。

 確かあいつこう言ってた。イエス・キリストを処刑したロンギヌスの槍が、イエスといっしょに日本にもたらされて草薙の剣になった。ロンギヌスの槍には手にした者が世界を手に入れるだけの力があるって」

「どういう意味だよ?」

「あいつが盗んだ草薙の剣は、この世界を手に入れることができるロンギヌスの槍だってことだよ」

 棗弘幸は本当に神様になるつもりなのかもしれない。

「それはさすがにまじーな」

 事の重大さをわかってくれて何よりだった。実のところ、ぼくにも棗弘幸がその草薙の剣だかロンギヌスの槍だかで何をどうすることができるかまったく想像すらできないのだけれど。一高校生がかかえるべき問題の範疇をとうに越えている。

「とにかく、所持者同士で潰し合いだけは避けなきゃなんねぇ。それからこれ以上クラスの連中を『友だち削除』させるわけにもいかねぇ」

 彼はそう言うと、ぼくに一枚の紙片を差し出した。

「なんだ、これ?」

「俺の携帯電話番号とRINNEのIDだ」

 ニッと笑って見せる。何を考えているのかわからなかった。ぼくが敵になるかもしれないという考えはないのだろうか。かなりの大物か、じゃなきゃ大馬鹿者のどちらかだ。しかし、少なくとも、ぼくには前者に見えた。

「いいのか?」

「もちろん。お前は悪い奴じゃない。昨日山汐凛が『友だち削除』したとき、俺は何もできなかった。けど、お前は消された連中のために動いた。人を見る目は確かなつもりだ」

 これから連絡を取り合う必要もあるだろうしな、と彼は言って、受け取るべきかどうか悩んでいたぼくにその紙片を無理矢理押し付けてきた。

「アリス、この電話番号とIDを登録しておいてくれ」

 ぼくはアリスを再び呼び出して、そう指示する。

「ご主人様……」

 ぼくを呼ぶアリスの声が震えていた。

「どうした?」

「この電話番号とID、大和省吾様のものじゃありません。山汐凛様のものです」

 ぼくはアリスの言葉に愕然とした。

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