第16話 2013年10月11日、金曜日 ②

「この電話番号とID、大和省吾様のものじゃありません。山汐凛様のものです」

 ぼくはアリスの言葉に愕然とした。

「なんだって?」

 その言葉の意味がわからなかった。理解できなかった。

「意外とあっさり引っかかったな」

 彼の表情が変わっていた。豪快で豪傑な古き日本の良き侍といった顔から、冷淡で冷酷な殺人鬼のような顔に。

「どういうことだ?」

「お前に渡したのは、山汐凛の携帯電話番号とRINNE IDだよ。で、これが昨日、こっそり死体から拝借した山汐凛の携帯電話」

 彼はぼくの目の前に、山汐凛の携帯電話を取り出して見せた。

「これで、俺は自分の電話番号もIDも知られることなく、お前の電話番号とIDを手に入れられたってわけだ。マヌケだな、お前。所詮は不登校のひきこもりってことか。踏んできた人生の場数が違うんだよ」

 彼はもう一台携帯電話を取り出し、

「セリカ、こいつをすぐに『友だちに追加』しろ」

 彼のメイドに命じた。

「騙したのか」

「金がいるんだよ。家のためにさ。潰れかけた自転車屋なんてやってるとさ」

 彼はそう言うと、靴のかかとで、ぼくの信頼と折れた肋骨を踏みにじる。

「最後に言い残すことはあるか? 俺は慈悲深いんだ。敬虔なクリスチャンでね」

 終わった。

 ぼくはそう思った。

 けれど、それは負けた、という意味じゃない。

「彼女に命令しておいてよかったな」

 勝利を確信して、ぼくは「終わった」と思ったのだ。

「何?」

 彼が彼女の存在に気づいたときには、すでにもう遅かった。

 彼の手にある携帯電話は叩き壊されていた。

 あやが、Sが置いていった金属バッドで叩き壊していた。

 続けざまに彼の体に、あやは思いっきり金属バッドを叩き込んだ。

 非力な女の子でも金属バッドをふるえばそれは立派な凶器になる。

「ぼくとは踏んできた場数が違うんじゃなかったのか?」

 ぼくはガードレールを支えにしながら立ち上がると、血反吐を吐く彼に向かって笑って言った。

「女に守られてる奴の台詞かよ」

 ぼくをけなしているつもりかもしれないが、ぼくには負け惜しみにしか聞こえなかった。

「この女、いつから居た?」

 彼はきっと適格者・所持者になるまで、ぼくに最初に見せていたような、男らしい、愚直なまでにまっすぐな生き方をしてきたのだろう。人を騙すことなどこれがはじめてだったのかもしれない。

「気づかなかったのか? 棗弘幸の話をしてた頃にはもういたよ。RINNEで呼んだのは、お前の顔を見た瞬間だ」

 だから彼はぼくを騙すのに全神経を集中させていて、彼女の存在に気づかなかったのだ。

「Sに襲われて意識を失う直前に、ぼくはアリス――ぼくの携帯電話を通じて彼女に、ぼくのボディーガードを頼んでおいたんだ。いつまた誰に襲われるかわからないからね。ぼくを陥れたり嵌めたりするような輩が現れたら、そいつの携帯電話を壊すように言ってあったんだ」

 形勢逆転だ。

「これでお前は脱落だよ」

 ぼくそう言って、激痛に耐えながら、体をふらつかせている彼を蹴り飛ばした。

「くそ」

 アリスが呼んだ救急車がサイレンを鳴らしてぼくたちのもとにやってきたのはちょうどそのときのことだった。

 ぼくはあやに支えられながら救急隊員に彼だけを搬送するように頼み、救急車に載せられる彼に最後の警告をする。

「よかったな、ぼくが慈悲深くて。『友だち削除』されなくてさ」

 お前が金が欲しいなら、ぼくが世界の再構築でなんとかしてやる。だからもうこの件から手を引け。

 ぼくはそう言い捨てると、あやといっしょに救急車を見送った。

 ぼくはあやの手を握った。

「ありがとう」

 そう言って、強く握り締めた。

 もう誰も信用できない。信用できるのはアリスとあやだけだ。

 あやにはぼく以外の友だちをすべてブロックさせてあった。

 つまり彼女はぼく以外の誰からの命令も受けることがない。

 女の子だし、ボディガードとしては頼りないけれど、Sが神田透か誰かの他の適格者・所持者の支配下にある以上、頼りになるのは彼女だけだった。

 ぼくは神になるつもりなんてないけれど、すべてが終わったそのときぼくがまだ生き残っていたなら、ぼくは彼女を元通りの世界に戻してあげようと思う。

 それがこんな事態に巻き込んでしまった彼女に、ぼくにしてあげられる唯一のことだとぼくは思っていた。

 彼女がぼくを好きでいてくれるのも、ぼくが行った世界の再構築の結果にすぎない。

 元通りの世界に帰してあげれば、きっと彼女はぼくのことなど忘れてしまうだろう。けれど、それでいい。

「痛いよ、秋月くん」

 あやが言って、ぼくはあわてて手を離した。

「でもうれしい。大好き」



 このクラスの脱落者は二名。山汐凛は死亡。大和省吾は携帯電話を失い、再起不能。

 残りの所持者は5名だが、全国指名手配中で逃亡を続けている棗弘幸の存在を忘れてはいけない。

 神にひとしき力を手にし、なおかつ世界を手にすることができる槍(今は剣の形をしているけれど)それを手に入れた棗がこれから何をしでかすかぼくには想像がつかなかった。

 今日は学校で山汐凛の自殺に関する臨時集会が行われ、集会が終わると授業はすべて休講となっていた。

 Sや大和省吾に襲われたぼくが学校に着く頃にはその集会はとうに終わっており、教室には数人の生徒が残っているだけだった。その数人は皆、適格者・所持者だったので、ぼくはあやを先に家に返した。

「だいじょうぶ?」

 帰り際にあやは心配そうにぼくを見つめた。

「だいじょうぶ」

 とぼくは返したけれど、何かあれば彼女を呼ぶつもりだった。まったくどこまでも情けない男だ。

 適格者・所持者たちはまるでぼくを待ち構えていたようだった。

 その中に、神田透の姿があった。

 眼鏡をかけた、神経質そうな顔をした少年だった。

 神田透はぼくを見るなり舌打ちをした。

「何だよ」

 ぼくがそう言うと、

「どうやら大和が君を仕損じたようだから、ついね」

 と答えた。

 どうやら待っていたのはぼくではなく大和省吾のようだ。

「ぼくを山汐のストーカーに仕立てあげたり、Sを使ってぼくを殺そうとしたのはお前なんだってな。大和を差し向けたのもお前か?」

「加藤麻衣様だよ」

 神田は答えた。そして言った。

「ぼくたちは全員、彼女に携帯番号とIDを知られている。だから逆らえない」

「なるほど。加藤麻衣の犬ってわけか」

「従順なる下僕と言ってほしいな」

「それを犬っていうんだろ。そのメガネは伊達か? メガネキャラは頭がいいって相場が決まってると思ってたよ」

「どうとでも言い給え」

 まるで舞台役者のような台詞に、ぼくは思わず笑ってしまった。

「何がおかしい」

 神田は苛立ちを隠しきれない様子で言う。

「お前の喋り方を聞いてたら、安っぽい小劇団の喜劇でも見ているみたいだなと思ってさ」

 ぼくがそう言うと、神田は黙りこくってしまった。まぁ、小劇団の喜劇なんてぼくは見たことがないのだけれど。

「彼は麻衣様の洗脳が最も強く現れてしまったから仕方ないわ。麻衣様の親衛隊にでもなったつもりでいるのよ」

 紅一点・宮沢理佳が言った。

「そう言うお前の台詞も結構、加藤麻衣様親衛隊っぽいぜ」

 ぼくはからかうように言う。

 しかし宮沢理佳は怒らない。笑いもしない。

「あなたはどうして自分がわたしたちに狙われているか理解しているかしら?」

 その問いにぼくは答える。

「ぼくは加藤麻衣に携帯番号とIDを知られてないからだろう」

 その通り、と拍手をしながら声を上げたのは、真鶴雅人だった。

「君は麻衣様ではなく、彼女の兄、加藤学に選ばれた特別な人間だ」

 氷山昇が続ける。

「加藤麻衣様の望む世界に、世界を再構築するためには48台の携帯電話、DRRシリーズのすべてが必要だ。加藤学は麻衣様を裏切り、そのうち二台を盗み出した。一台は自分に、もう一台は君に手渡された」

「ぼくたちはその2台の回収を仰せつかっている」

 どいつもこいつも親衛隊気取りの口ぶりだ。加藤麻衣がそう設定したのだろうが、気に入らない。

「加藤麻衣ってのは何者なんだ?」

 ぼくは訊ねた。

「この世界の女王となるお方だ。世界のすべてを手に入れる」

 しかし、その答えにはため息をつくしかなかった。

「そういうことを聞いてるんじゃないよ」

 どうやら君の解答は彼が求めるものじゃなかったようだよ、と真鶴雅人は氷山昇に言い、

「麻衣様と麻衣様の兄、加藤学様が所属しているという国立の研究所のことは知っているか?」

 とぼくに聞き返してきた。

「少し話を聞いただけだ。詳しくは知らない」

「研究所の名は国立デュルケーム研究所という。人間に秘められたあらゆる可能性を研究している」

「人間にどんな可能性があるっていうんだ?」

「君は人は神になれると思うか?」

 馬鹿馬鹿しい問いにぼくは思わず笑ってしまった。

「神様ってのは人間が作り出したもんだろ。妄想の産物だ。存在しないものになれるわけがないだろ」

「逆だな。確かに神は存在しない。だから研究所は神を作り出す研究を始めた」

「麻衣様は研究所の試験管の中で生み出された。精子バンク、卵子バンク、それぞれから最も優秀な精子と卵子をかけあわせ、さらに遺伝子操作が施された完璧・究極のデザインベイビーだった」

「スーパーコーディネーターってわけか」

 ぼくは子供の頃にそんなアニメがあったことを思い出した。

「だから加藤学とは血は繋がってはいない。麻衣様は、彼女をお作りになった加藤博士夫妻の家の養女になっただけだ。加藤学は夫妻の子だったが、デザインベイビーではない。ただの人間だ」

「しかし完璧なはずの麻衣様の頭脳や肉体は、人間の域を超えることはなかった。神の領域に踏み込むには程遠い存在だった」

「そこで研究所は完璧な人間としての麻衣様に、神の肉体を用意する計画を立ち上げた。DRRシリーズはその計画の柱となるものだ。神の肉体はすでに2000年前にこの世界に残されていた。古代宇宙飛行士であったイエス・キリストが遺した肉体だ。研究所はその肉体を48の部位の分け、そのひとつひとつからDRRシリーズは生み出された」

 次々と紡がれる真鶴雅人と氷山昇の言葉に、ぼくは真約聖書・偽史倭人伝を読んだときと同じようなめまいを覚えた。

「なんでそんなまどろっこしいことをする必要があるんだ? 最初からそのイエスの肉体に加藤麻衣の精神だか魂だか、脳そのものでも移植すればよかったんじゃないのか?」

「イエスの肉体が48の部位に分けられたのは2000年も前だ。DRRシリーズの研究は2000年前から続いている」

 つまり、携帯電話の形になったのは、たまたまこの時代に完成の目処が立ったから、というわけか、とぼくは思う。

 時代が違えば、全然別のものになっていただろう。

「棗弘幸が熱田神宮から草薙の剣を盗み出したのもその計画のうちか」

 ぼくは質問を変えることにした。

「その通り。ロンギヌスの槍は麻衣様の手にこそふさわしい」

「今頃麻衣様は棗弘幸からロンギヌスの槍をお受け取りになっているはずだ」

 こいつらの話が本当なら、ぼくたちは加藤兄妹の壮大な兄妹喧嘩に巻き込まれたというわけだ。

 ぼくは自分の運の悪さを呪うしかなかった。けれど、運がいいとも言える。

 世界を巻き込むことになるだろう兄妹喧嘩はどれほどの被害を世界にもたらすかわからない。

 ぼくが守りたいものは姉ちゃんと、それからあやだ。

 あやはぼくは何としても守ると決めた。

 姉ちゃんは彼氏である加藤学が死に物狂いで守ってくれるだろう。いつだったか、ぼくは姉ちゃんを大切にしてやってくれと彼と約束をしていた。

 ぼくが加藤学に選ばれたのは、たぶん姉ちゃんの弟だったからだ。

 あの男はあの男なりに大切なものを守ろうとし、守りきれないかもしれないぼくには自分の身を守る術を与えてくれたというわけだ。

 アリスをぼくに与えてくれたことを、ぼくは彼に感謝しなくちゃいけないのかもしれない。それは大変不本意なことだけれど。

 いつかすべてが終わったら礼のひとつは言ってやろう。

 問題は今、この場をぼくが切り抜けられるかどうか、だった。

 どうしたものかと考えあぐねていると、座っていた四人が一斉に立ち上がった。

「4人がかりで、ぼくを潰すつもりか? いじめだな。集団暴行だぜ」

 ぼくは首を回し、指の骨をポキポキと鳴らして構える。喧嘩なんてしたことがなかった。けれど、ぼくは四人の携帯電話番号もRINNE IDも知らない。それは四人も同じだった。だったら拳と拳でやりあうしかない。

 一斉に立ち上がった四人は、一斉に赤い携帯電話を取り出した。

 そして、時計回りに向き合うと、互いに互いを「友だち削除」しはじめた。

「お前ら一体、何を……」

 ぼくが言い終える前に、四人の存在は消滅し、あとには四台の携帯電話だけが残された。

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