第14話 2013年10月10日、木曜日 ④
山汐凛は即死だった。
ぼくは彼女の自殺に居合わせた者として、八十三警察署で事情聴取を受けることになった。
彼女が行った「友だち削除」によって内藤美嘉をはじめとするクラスの女子の中心的グループは存在自体がなかったことにされ、それ以前に行われた世界の再構築によって、彼女が受けていたいじめも売春の強要もなかったことにされていた今、彼女が自殺した動機を説明するのは困難だった。
ぼくを取り調べたのは安田と戸田というふたりの刑事だった。
安田は30代半ばのいかにも叩き上げといった感じの男で、安そうなスーツを着ていた。
戸田はまだ20代半ばくらいで、キャリアなのか一目で高級だとわかるスーツを着て、ぼくの取り調べにはまるで興味はないといった様子で、携帯電話をいじっていた。
クラスメイトたちの証言では、ぼくは授業中に突然、気が狂ったように騒ぎ出し、山汐凛に詰め寄ったという。
山汐凛は廊下に逃げ、ぼくはそれを追いかけたのだという。
まぁ、そういうことになるよな、とぼくは思った。
安田という刑事が何を言いたいのかもうわかっていた。
「君が山汐凛を突き落としたんじゃないのか?」
ぼくは殺人の疑いをかけられているのだ。
しかしぼくには彼女を殺害する動機がなかった。
安田刑事は頭を悩ませていたが、それ以上に頭を悩ませていたのはぼくだった。
動機がない以上、この取り調べはじきに終わるだろう。まるでぼくが犯人みたいな言い草になってしまうけれど、ぼくが山汐凛を突き飛ばして殺し屋上から転落させて殺したという証拠はない。ぼくは彼女に指一つ触れていないのだ。鑑識がすぐにそれを証明してくれることだろう。
ぼくが頭を悩ませる理由は、ぼくたち適格者・所持者の存在によって、警察の機能が麻痺しつつあるということだ。いや、すでに麻痺している。
警察は、山汐凛の自殺の動機であった、内藤美嘉たちの存在を証明することもできなければ、彼女たちが山汐凛にしていたいじめや、強要していた売春の事実も証明することができない。少なくともこの時代の警察には不可能なことだった。
SF小説なんかに出てくる、未来に出来るというタイムパトロールのような、常に歴史を監視するような組織でもない限り、世界の再構築によってなかったことになってしまった存在や犯罪を証明することはできないのだ。そして、現時点で未来からぼくの目の前にそういう組織の人間が現れていないということは、おそらく未来にはそんな組織は存在しない。おそらく過去や未来に行けるタイムマシンが開発されることもないのだ。
安田刑事の携帯電話が鳴った。
「失礼する」
安田刑事が電話に出る。彼の携帯電話はガラケーだった。
戸田刑事がさきほどからずっといじっているのは、スマホだ。たぶん誰かとRINNEでメッセージのやりとりをしている。
彼のIDをうまく聞き出して、ぼくは山汐凛の自殺とは無関係だからいい加減取り調べを終えろ、と命令でもしようかと考えていると、
「そうか、わかった。ありがとう」
安田刑事が連絡を終え、ぼくに向き直る。
「聞き込みを続けていた刑事が君のクラスメイトから貴重な証言をとってくれたよ」
彼は勝ち誇った顔をしていた。嫌な予感がした。
「君は山汐凛さんに何度も告白をしたり手紙を書いたりしていたそうだね」
やられた。
誰かが山汐凛共々ぼくを自滅させようと、世界を再構築したのだ。
「自宅に電話を何度もしたり、家に帰る彼女を尾行したりしていたそうだね。そういうのを何て言うか知っているか?」
ストーカー。
ぼくは山汐凛のストーカーということにされてしまったのだ。
どうする? ぼくは大きく深呼吸をした。こうなってしまった以上、取り調べは簡単には終わらないだろう。頭を切り替えて、どうすればこの場を切り抜けることができるか、よく考えなければいけない。どうすればストーカー殺人なんていう、いわれもない容疑を晴らすことができる?
ひょっとしたらこれは世界の再構築ですらないのかもしれないという考えが一瞬頭をよぎった。山汐凛の世界の再構築の影響下にない、適格者であり所持者である誰かが、刑事に一言「あいつは彼女のストーカーだった」と言うだけで、この状況を作ることができたのではないだろうか。
いや、ぼくを自滅させるためには、他のクラスメイトからも同様の証言が必要になってくるだろう。やはり世界の再構築が行われたと考えるべきだ。ならばぼくも世界を再構築しなおすしか方法はない。
ひとつしか方法は思いつかなかった。
「アリス」
ぼくは傍らで心配そうにぼくを見つめる彼女の名を呼んで、命令する。
「ぼくはあやと中学時代からずっと交際していた、ということにしてくれ。ラノベなんかによくある、理事長の娘である同級生の女の子と主人公が、両親が親友同士で、ぼくたちは生まれたときから許嫁っていう設定に、ぼくとあやをしてくれ」
ぼくはまたあやを利用する。それしか方法はなかった。
「かしこまりました」
アリスがぼくの命令を実行し、世界を再構築する。
その瞬間、今度は戸田刑事の携帯が鳴った。
「父さんからです。たぶん安田さんにだと思います」
「長官から?」
どうやら戸田刑事の父親は警察庁のトップであるらしい。
戸田刑事から携帯電話を受け取った安田刑事は、
「これ、どうやって電話に出るんだ?」
と、スマホの操作がわからないようで、戸田刑事が画面をタップして電話を繋いだ。
「もしもし、安田です」
電話に出た安田刑事の顔色がみるみる変わっていく。
一体何が起こっているのか、ぼくには見当がつかなかったけれど、
「ご主人様、あや様からメッセージです」
アリスがぼくに耳打ちした。
「あや様は理事長のお父様に連絡したそうです。理事長自ら、あや様の許嫁であるご主人様が山汐凛さんのストーカーであるなんてありえないと警察庁長官にいう抗議をされたそうです」
「なんか、話、でかくなりすぎじゃね?」
とぼくは思ったけれど、仕方ない。
アリスは言った。
安田刑事は納得がいかない、という顔をしていたが、
「君、もう帰っていいみたいだよ。長官直々の命令じゃ、いくら叩き上げで頑張ってるこの人にもどうにもできないから」
戸田刑事がぼくにそう言った。
「あの……ひとつだけ、質問してもいいですか?」
ぼくが言うと、戸田刑事はいいよと言った。
「彼女は自殺……屋上から飛び降りる前に、お腹の中に赤ちゃんがいると言っていました。その赤ちゃんはどうなりましたか?」
ぼくの問いに戸田刑事は答える。
「残念だったけれど……」
もしかして君の子か、と戸田刑事は言った。
「いえ、違います。その子はたぶん、イエス・キリストの生まれ変わりですから」
ぼくがそう答えると、戸田刑事は意味がわからないという顔をした。
「あや様が署の前までお迎えにきてくださってるようです」
アリスが言い、ぼくは「そうか」と言って立ち上がり、ふたりの刑事に何というべきか考えた。お疲れ様でした? ありがとうございます? どれも違う気がした。ぼくは頭を下げるだけにして、取り調べ室をあとにした。
あやは見たこともないような大きなリムジンで、警察署の前までぼくを迎えにきてくれていた。
専属の運転手だろう初老の男がドアを開けてくれて、ぼくとあやはリムジンに乗り込んだ。
「大変だったね」
あやが言う。
「うん、大変だった」
「うちに寄っていく? それとも今日はまっすぐ家に帰る?」
本当なら親父さんにお礼を言いに行くべきだろうけれど、ぼくはひどく疲れていた。
「親父さんによろしく言っておいてくれ」
ぼくはあやにそう言うと、いつの間にか眠ってしまっていた。
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