第7話 2013年10月9日、水曜日 ②

 昨日まで、ぼくの友だちどころか、この学校の、この教室の人間でもなかったSとあや。

 教壇に置かれていたクラス名簿にはふたりの名前がちゃんとあり(名簿にも、Sとあやとしか書かれていなかったけれど)、ふたりの席もちゃんとある。教室の後ろの壁に貼られた美術や書道の授業で描かれたものにも、Sとあやのものがあった。

 まるで最初からふたりがこの教室にいたかのように。

 ぼくがアリスに頼んだ、Sとあやがぼくの友だちでクラスメイトという設定は、ふたりの中だけでなく、この世界にまで影響を及ぼしていた。

 昨日まで不登校のひきこもりだったぼくは、ちゃんと学校に通っていたことになっていて、おまけにクラスの人気者だ。

 そういえば、ぼくはなぜ人気者になったのだろう?

 ふとそんな疑問を覚えたぼくはSに訊ねた。Sは教室の窓際、一番うしろのぼくの席の斜め右前の席だった。その隣、ぼくの前の席はあやの席だった。

「お前、今日はほんとどうかしてるな。ゆうべ頭でも打ったのか?」

 Sが心配そうにぼくの顔を覗き込んだ。あやも心配そうにぼくを見ていた。

「お前が部活でとんでもないことやらかしたからだろ」

 と、Sは言った。

 Sによれば、ぼくは宇宙考古学研究部という、いかにも怪しげな、おまけに廃部寸前だった部活動の部員だったらしい。

 けれど、廃部寸前だったのは、先月の体育祭の前のことだそうだ。

「どういうこと?」

「みんなもう高校生だからさ、文化祭なら喜んでするけれど、高校生にもなって体育祭なんて、おまけに組み立て体操とか、馬鹿らしくてやってらんねーなって言ってたんだよ。そしたらお前、体育際の前日に、俺がなんとかしてやるって言い出してさ」

 Sは言った。

 体育祭当日、教師たちが準備のために早めに出勤してきたところ、運動場いっぱいに巨大なナスカの地上絵みたいなものが描かれていたそうだ。

「まさかその犯人って」

「お前。そんな大事なことお前よく忘れられるな」

 体育祭の前夜、ぼくは夜な夜な学校に忍び込んで、そのナスカの地上絵もどきを、体育準備室にあった白線引きで描いたらしい。

 体育祭は延期になり、ぼくは教師たちからはこっぴどくしかられることになったらしいが、その一件でぼくの株は急上昇、廃部寸前の宇宙考古学研究部には新入部員が殺到したそうだ。

「ちなみにその宇宙考古学研究部ってのは何をする部活なわけ?」

 ぼくが訊ねると、Sはすごく言いづらそうに言った。

「宇宙と交信するんだそうだ」

 なんじゃそりゃ。

「他にも超古代文明とか、オーパーツ? ってのを研究してるってお前、俺が聞きもしないのによく話してたろ。あ、あとノストラダムスとか。おかげで俺、その手の話題、すっげー苦手」

 そう言ってSは笑った。

 それもアリスが設定した、世界の再構築のひとつなのだろうか。

 何か意味があるのかもしれない。ないかもしれない。

 とにかく授業が終わったら、ぼくはその宇宙考古学研究部を訪ねてみようと思った。


 まもなくホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴るころになっても、ぼくの隣の席は空席のままだった。

 あまりSにばかり質問をするのはどうかと思ったぼくは、目の前に座っているあやの背中をちょんちょんと指でつついた。

「ど、どうしたの?」

 あやがぼくに訊ねた。

「ぼくの隣の席の奴、まだ来てないみたいなんだけど」

 ぼくがそう言うと、あやは「ああ」とため息をついた。

 どうやらぼくの隣の席の奴は、学校に来たり来なかったり、っていう問題児らしい。そのくせ試験ではいつも学年トップの成績をとっているそうだ。不良というわけでも、不登校ってわけでもないらしい。自由人っていうのかな、そういう感じ、とあやは言った。

 その自由人が男子なのか女子なのか、名前は何ていうのか気になったけれど、あまり質問をするとぼくが本当に記憶喪失になってしまったと思われかねない。実際それに近い状況なのだけれど。クラスの人気者のぼくが記憶喪失だと知られたらきっと面倒なことになるだろう。ぼくはそれ以上あやに質問をするのをやめることにした。

 チャイムが鳴ってしばらくした頃、見覚えのある顔の担任の教師が教室にやってきた。二十代後半か三十代前半のまだ若い男だった。

 不登校になったぼくを何度か家に訪ねてきたことがある。ぼくは決して家にはあげなかったけれど、ドアの覗き穴ごしに何度も見た顔だった。ぼくを心配して訪ねてきている、そんな雰囲気はその顔からは感じられず、仕事だから仕方なく来ている、いつもそんな面倒臭そうな顔をしていた。学校に行く気など起きなかったぼくは漫画みたいな熱血教師じゃなくてよかったとぼくはその顔を見るたびに思ったものだ。その顔は見れば見るほど学校に行く気が失せる顔だった。

 最後にぼくの家にやってきたのは、一学期の終わり頃だった。明日も学校を休んだら、出席日数の都合でぼくの留年が確定する、と教師はぼくに告げた。

「高校って何年留年できるんですか?」

 そのときぼくは教師にそう訊ねたのを覚えている。

「四年生大学は確か八年生まで留年できましたよね。高校はどうなんですか?」

 覗き穴ごしに教師は答える。

「君みたいに出席日数が足らなかったり、試験で赤点をとって追試や再追試でも赤点をとったり、そんな感じで一年留年する生徒はたまにいるけど、二年留年っていうのは聞いたことがないな」

「二年留年するような奴は退学ですか?」

「そういう校則はなかったと思うけれど。そういう生徒は大抵自主退学するね」

 教師はそう言って、

「ぼくは別に君が学校に行きたくないというなら、それでいいと思っているんだ。

 ほとんどの生徒が目的を持って学校に通っているわけじゃない。友達が学校に行くから、親がうるさいから、留年すると恥ずかしいから、そんな理由で通っているだけだ。高校は大人になってからでも行きたくなれば通える。夜間や通信の高校がある。今無理に高校に通う必要はないよ」

 教師らしからぬ言葉を続けた。

「今度来るときまでに何年留年できるか調べておこうか?」

 教師はそう言ったけれど、それきりぼくを訪ねてくることはなかった。

 教師が教室にやってきても、クラスメイトたちは静かにならなかった。教師はそれを注意もしなかった。相変わらず面倒臭そうな顔をして、何かを待っているようだった。

「きりーつ」

 クラス委員らしい女の子が慌てて声を上げた。

「れーい、ちゃくせーき」

 教師は面倒臭そうにクラス名簿を読み上げ、出席の確認をとり始めた。やる気の一切感じられない、抑揚のない声で出席番号1番の青山元(あおやまはじめ)という生徒の名前が読み上げられる。

 秋月蓮治という名のぼくの出席番号は二番だ。

 しかし教師はぼくの名前を飛ばして次の生徒、大河内真矢(おおこうちしんや)の名前を呼んだ。

「先生、秋月くんの名前忘れてますよー」

 誰かが言って、教師はああそうだったなという顔をして、ぼくの名前を呼んだ。

 不思議に思うべきところだったのかもしれない。アリスによって世界は再構築されたのだから。

 けれど再構築前の癖が、再構築後にも現れたのだろうとぼくは気にも止めなかった。

 ぼくは毎朝、この教室で名前すら呼ばれていなかったのだ。


 授業は退屈だった。

 県で最底辺の高校とはいえ、中学校にも行ってなかったようなぼくに、高校の授業の内容がわかるはずもなかった。 今日は十月九日の水曜日で、教師たちは出席番号が10番や9番、19番の生徒ばかりを指名したので、ぼくは運良く一度も教師にあてられずに済んだ。

 休み時間にはクラスメイトがみんなぼくのまわりに集まってきた。

「ねぇねぇ、秋月くんこの問題なんだけど」

「今俺が蓮治に教えてもらってるところなんだから邪魔すんなよ」

 クラスメイトたちは、先程まで行われていた授業の質問を、教師にではなくぼくにした。教師は苦笑して教室を出ていった。

 ぼくはクラスの人気者で、宇宙考古学研究部なんていう怪しげな部活の部員で、おまけに学年でトップクラスの成績の秀才らしかった。

 毎日学校に通っている彼らがわからない問題をぼくがわかるわけもなかった。

 けれど、アリスは問題を見るとすぐに解き方と答えがわかるらしく、それをぼくにでもわかるようにわかりやすく説明してくれたので、ぼくはその説明を一言一句たがわず繰り返して、その場をやりすごした。

 アリスがいればきっとテストも楽勝だ。


 昼休みになるとSとあやをはじめ、たくさんのクラスメイトがぼくを囲んで弁当を広げた。

 彼らはみな、ぼくが所属しているという宇宙考古学研究部の部員らしく、先月稲の収穫を待つばかりだった学校の近くにある田んぼを狙ってみんなで巨大なミステリーサークルを作り、農家と教師たちからこっぴどく叱られたときの話をしていた。

「で、その宇宙考古学ってのは何なわけ?」

 ぼくはアリスに尋ねた。

「人類史上の古代または超古代に宇宙人が地球に飛来し、人間を創造し、超古代文明を授けたという科学の一説です」

 聞くんじゃなかったと思った。そんな科学があってたまるか。

「別名を『古代宇宙飛行士説』、『太古宇宙飛行士来訪説』、『宇宙人考古学』とも言いまして、この範疇でキリスト宇宙人説も唱えられています」

 キリストが宇宙人? 馬鹿げている。

 みんなは楽しそうに、次は何をやらかそうか、そんな話で盛り上がっていたけれど、ぼくはあまり乗り気にはなれなかった。

「巨大な考古学遺跡やオーパーツは、宇宙人の技術で作られた。

 宇宙人は、類人猿から人類を創った。

 世界各地に残る神話の神々は、宇宙人を神格化したもの、など様々な」

「あー、もういいや、ろくでもない学問だってことはわかった」

 ぼくはそう言ってアリスの言葉を遮り、アリスは頬を膨らませた。

 あとになって気づくことになるのだけれど、ぼくはこのときアリスの話をもっとちゃんと聞いておくべきだった。


 結局、その日、ぼくの隣の席の自由人は来なかった。




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