第4話 2013年10月7日、月曜日 ④

「1.友だちをブロックすると、その友だちは使用者に触れることができなくなる」


 あの男がそう言うと、

「はい、ご主人様、フラウ・ボウさんをブロックしますね」

 アリスが言った。

「ブロック?」

 その瞬間、フラウ・ボウさんの体はぼくから弾き飛ばされるように飛んだ。

 ぼくは何もしていないのに。

 フラウ・ボウさんは壁にしたたかに体をぶつけ、その衝撃で意識を失ってしまったようだった。

「友だちと絶交したいときっていうのがあるだろう? これはそういうときに使う機能だ」

 あの男は何の感情も込められていない様子でそう言うと、次の機能をぼくに告げる。


「2.友だちを非表示にすると、使用者の視覚・聴覚、あらゆる感覚からその友だちが消える」


「フラウ・ボウさんを非表示にします」

 ぼくの視界からフラウ・ボウさんが消えた。

 けれど、フラウ・ボウさんのものらしき影はある。

「ブロックすることによって、彼女は君に触ることはできなくなった。けれど、君が彼女の顔も見たくない場合、非表示にすることによって、君の視界から彼女を消すことができる。そして」

 あの男はさらなる機能を告げた。


「3.友だちを削除すると、その友だちはその存在自体がなかったことになる」


「フラウ・ボウさんを友だち削除します」

 その瞬間、フラウ・ボウさんのものらしき影すらも消えた。

 フラウ・ボウさんがつい先ほどまでこの部屋にいたという痕跡がすべて消えていた。

「どういうことだよ? 何が起こってるんだよ?」

 戸惑うぼくに、あの男が言う。

「それがアリスの能力だよ。RINNEに限らず様々な携帯電話のアプリケーションの機能をアリスは拡張・増幅させ、携帯電話だけでなく世界そのものに干渉する」

「フラウ・ボウさんはどこに行ったんだ?」

「言ったろう。存在自体がなかったことになった、と」

「殺したのか?」

「違うな。存在自体がなかったことになる、ということは、生まれてこなかった、という意味だ。彼女の存在は世界の歴史から抹消された。もう誰も彼女のことを記憶している者はいない。ぼくや君、つまりアリスのような次世代の携帯電話を手にする者以外はね」

「どうしてたかが携帯電話にそんなことができる?」

 ぼくは問う。

 電話の相手を目の前にホログラム投影する、それくらいのことは未来には実現可能な技術なのかもしれない。

 しかし、携帯電話のアプリの「友だち削除」くらいでその相手の存在がなかったことになるなんて、そんなことが出来るとはとても思えなかった。

「こいつは次世代の携帯電話の試作品だ。実用化されるのは十年後か二十年後か、それくらい先の話だけどね。

 携帯電話は擬人化した姿を持つようになり、メイドや執事のようにご主人様お嬢様に寄り添い歩くようになる。

 RINNEをはじめとした無料通話アプリケーションが友人関係を構築する基盤になり、使用者の使い方次第では幸福な友人や恋人を作ることができるようになる。

 けれどさっき君が体験したように、使用者はその友人関係を簡単に破壊することができる。触れられたくない相手をブロックし、顔も見たくもない相手を非表示にできる。友だち削除で、その存在すら消すことができる。

 どうしてそんなことができるかと言えば、この世界のすべてが実に高度で複雑ではあるけれど、所詮プログラムされたものにすぎないからだよ。

 人の思考は電気信号によるものだし、脳なんてデータにすればたかが1.8GB程度のものでしかないらしい。君が持っている携帯ゲーム機のディスクの容量と同じだよ。

 人の体もDNAという途方もないプログラムによって作られているけれど、容量はわずか2テラバイトにも満たない。一万円程度で買えるパソコンの外付けハードディスクにまるっと収まってしまう。

 この世界はすべてプログラムされたものなんだ。

 人の体、魂、そして運命、縁、ありとあらゆるものが地球という巨大なハードディスクの中のプログラムで動いている。

 この携帯電話はそれに干渉して、プログラムを書き換えてるだけだ」

 それは到底信じられない話だった。

「そんなもの、実用化されたら世界はめちゃくちゃになるだろ」

「だろうね。だから現段階では市場に流通していない。機が熟するのを待っているというわけ。気が熟したとしても、その機能はかなり制限されたものになるだろう。試作品というのは、すべからく研究者が持ちうるできる限りの機能が搭載され、量産される際には機能のほとんどが削られる。ガンダムとジムの関係だよ」

 信じられない話だが、現実にぼくの目の前で人がひとり、その存在を削除された。信じるしかない。

「わかりやすいたとえをありがとうよ」

 ぼくはそう言ったけれど、一体どうして、なんでこんなものがぼくのもとにやってきてしまったのだろうと、内心頭を抱えていた。

 今すぐにもこの携帯電話を捨ててしまいたかった。しかし、あの男は以前ぼくに忠告した。ぼくがモニターであることを拒否するなら、ぼくを始末すると。

 あの男はぼくを殺す必要すらないのだ。ただ、自分が持っている携帯電話のRINNEでぼくを友だち削除するだけで、ぼくはこの世界に存在しなかったことになる。そしてそれは殺人でも何でもない。何の罪にも問われない。

 ぼくはこの携帯電話、アリスの使い方をしっかりと考えなければいけない。

「まさか君にそんなたいそれたことができるとは思えないが、念のため釘を刺しておくけれど、言っておくが、君がぼくを友だち削除することは不可能だよ」

 なぜなら、君の携帯電話(アリス)より、ぼくの携帯電話(夏目メイ)の方が上位の立場にあるからだ、とあの男は言った。言うなれば、ぼくの持っているものが親機で、君のものはその子機にすぎない、子は親の存在を消去できない、タイムパラドックスが起きてしまうからね、そう言った。

 その言葉を補足するようにアリスが言う。

「加藤学様に限らず、アリスがご主人様のご両親やご兄弟、ご親戚を友だち削除すると、ご主人様の存在までなくなってしまうから気をつけてくださいね」

「あんた一体、何者なんだ? 確か、国立の研究所の人間だと言っていたな。一体何の研究をしてる?」

「ぼくは、まだ見ぬ神の使いのひとりだよ。

 ぼくたちの目的は神の創造だ。ぼくたちの意のままに動いてくれる、都合のいい神のね。

 神話の通り神が世界を作ったのなら、ぼくたちはその神を創造し、世界をもう一度作り変える。

 ぼくたち選ばれし者だけが生き残り、それ以外の人間は淘汰され、人類の新しい歴史が始まる」

「昔、ぼくが生まれる前に、東京の地下鉄にサリンを撒いたカルト教団があったらしいけど、あんたもその手の人間ってこと?」

 今でもその教団は名前を変えたり、宗派が分かれたりして今でも存続しているようだけれど。

「あんなテロ集団といっしょにされては困るな。ぼくたちが行おうとしているのはテロなんて陳腐なものじゃない」

 ぼくたち。

 ぼくにはその言葉が引っかかった。

 あの男が「研究所」の人間なら、「ぼくたち」というのはその研究所の人間たちのことを言っているのだろう。

 そして、その研究所が国立である以上、つまりこの国の偉い人たちが一般国民にはあずかり知らぬところで、世界をもう一度作り変えようとしているということだ。その偉い人たちは1年や2年やそこらでころころ代替わりする首相だとは思えない。

 この国にはたぶん、政府や内閣といったものより上の存在があるのだ。

「ちなみに、その選ばれし人間に、ぼくは含まれているのか? 姉ちゃんは?」

 ぼくのその問いにあの男は答えなかった。

「説明はこんなところかな。使い方は君次第だ。どういう風に使ってもいい。君がアリスをどう使いこなしてくれるか楽しみにしているよ」

 あの男は最後にそう言って、通話が切れた。

「ふふ……ふふふふ」

 ぼくは笑うしかなかった。いや、笑いがこみ上げてきた、と言うのが本当かもしれない。

 政府や内閣よりも上の、この国がトップの人間たちが世界を作り変える理由とはなんだろう。

 この国は敗戦後、自衛のため以外には戦争をしないようになった。憲法第九条にそう定義されている。しかしそれはアメリカから押し付けられたものだ。しかし、この国の自衛隊という名の軍隊は世界で17位の軍事力を誇っている。 非核三原則というもので、この国は核を持たないとしているが、この国には原子力発電所がある。3.11の震災以来、脱原発の声をたからかに上げる人々の姿が目立つようになったけれど、この国のお偉いさんは脱原発ではなく再稼働のことしか頭にない。

 ぼくは以前何かで読んだことがあった。原発があれば、核はいつでも作れると。

 隣国の独裁国家は、何十年も前からこの国の人間を拉致し続け、その拉致問題はいまだ解決していない。

 戦時中に行ったとされる虐殺や従軍慰安婦問題で、この国はアジアの一国家でありながら、アジアにある様々な国家から反日感情を抱かれたままだ。

 この国は一見平和に見えるが、もう60年余りいつ隣国に攻め入られてもおかしくない四面楚歌の状況にあるのだ。

 世界を作り変える理由はひとつしかない。この国がアメリカに代わり世界のトップに立つ。たぶんそれが、あの男の言う「ぼくたち」の目的なのだろう。

 ぼくはアリスのモニターに選ばれた。

 そんな馬鹿馬鹿しい「ぼくたち」の目的達成のための片棒を担がされてしまったわけだ。

 おもしろい。やってやろうじゃないか。ぼくは思った。

 ぼくが最初にするべきこと、それが何であるか、ぼくにはもうわかっていた。

 ぼくはアリスに言った。

「とりあえず、母さんを非表示とブロックにしておいてくれ」

 きっと顔色ひとつ変えずに。


 ふああああと、ぼくは大きなあくびをする。

「そういえば、スマホって電池の減りが早いって姉ちゃんから聞いたことあるけど、お前も充電した方がいいの? 確か箱の中に充電器が入ってたよな?」

 ぼくはふと思い出してアリスに訊いた。

「アリスの電池は半永久なんで、充電は必要ありませんよ。あれは緊急用の充電器です」

「そっか、じゃ、ぼくそろそろ寝るけど、お前、ぼくが寝たあとどうするの?」

「お気になさらず。アリスは研究所に送る報告書を作成しなければいけませんから」

 アリスがそう言うので、ぼくは枕元にあるリモコンで、部屋の電気を消した。

 ふとんに潜り込んで目をつぶる。

 今日はなんだか信じられないようなことがたくさん起きて疲れた。

 段々意識が朦朧としてくるのを感じながら、ぼくはゆっくり睡魔に身を預けて……

「ってお前、なんでぼくのふとんの中に入ってきてるんだよ!」

 ぼくはいつの間にかふとんの中にもぐりこんできていたアリスにそう言ったけれど、アリスはすでにまるで充電が切れたように静かに眠っていた。

「まったく、報告書を書くんじゃなかったのかよ」

 ぼくがそう言うと、アリスは寝言のように、けれどはっきりした口調で、

「あれはご主人様を油断させる方便です」

 と言った。

 ぼくは笑うしかなかった。

 ふとんから出て、アリスにちゃんとふとんをかぶせてやると、ぼくは暗い部屋の隅に座って携帯電話を見つめた。

「次世代の携帯電話か……」

 ぼくがアリスと出会ったことには何か意味はあるのだろうか?

 ぼくに何か変化みたいなものが訪れるだろうか? ぼくは変われるだろうか?

 変わりたい。

 それはこの三年間ずっと思っていたことだった。

 この部屋から抜け出して、普通の高校生になりたい。

 けれど一体どうしたら、ぼくは普通になれるんだろう?

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