第3話 2013年10月7日、月曜日 ③

 ぼくはベッドに寝転がった。

 アリスはちょこちょことぼくのそばにやってきて、顔を覗き込んできた。

「お前、すごいよな」

 ぼくはアリスに言った。

 アリスはきょとんとした顔をする。

「お前っていうか、この携帯電話」

 姉ちゃんが持っていた携帯電話と見た目はほとんど変わらないのに、本当に十年も二十年も先の技術がこいつにはある。

「あんなのアリスの機能のほんのほーんの一部分ですよ?」

 アリスは笑っていう。

「お姉さまが持っていた携帯電話、ターンエーユーの一昨年の春モデルですけど、あれだって今でこそ当たり前ですけど十年前からしたらとんでもない技術がいっぱい詰め込まれているんですよ?」

「たとえば?」

「携帯電話をかざすだけで自動販売機やコンビニやスーパーで買い物ができたり、電車やバスに乗れたり……」

「え、今の携帯ってそんなことできるの!?」

 ぼくはびっくりして飛び起きた。

「常識だと思いますけど……」

 アリスが苦笑して言う。

 ぼくはもう三年もこの部屋にひきこもってて、テレビや新聞もあんまり見ないから、世間から取り残されてるんだろうなぁとは思ってたんだけど、まさかそこまで取り残されてるとは思いもよらなかった。

 ぼくは護身用のキッズケータイすら持たせてもらえなかったから、携帯電話っていうもののことも実はよくわかってないんだよな。

 ゲームは好きだから、最新のゲーム機のことにも詳しいし、携帯電話でできるソーシャルゲームっていうののこともある程度知識はあるんだけれど。特に最近流行ってるっていうパズル&クエストにはすごく興味があった。

「先ほどご主人様はお姉さまに電話をされましたよね?」

 ぼくは、ああ、とうなづく。

「1分程度の通話でしたから、通話料は十数円ってところでしょうか。もっともアリスはまだどこの携帯会社の商品でもありませんし、一番近い基地局をハッキングして電話をかけてるので、通話料なんてものは発生しないんですけど」

「お前、何かさりげなくすごいこと言ってない?」

「大したことありませんよ。一応アリスを開発した研究所は国立の機関なので、各携帯会社の重役には話が通ってるはずですから、違法じゃありませんのでご安心ください」

 全然大したことあるじゃないかと思ったけれど、ぼくは言うのをやめた。

「で、さっきの電話がどうかしたの?」

 アリスを開発した研究所っていうのに少し興味があったけれど、話が長くなりそうなので聞かないでおくことにした。

「はい、携帯電話というくらいですから、電話をかけるのがアリスたちの主な役割なんですけれど、普通に電話をかけたら通話料が発生しますよね」

「ま、そりゃそうだろ。電話なんだから」

 ぼくの返答に、アリスはうっしっしと笑う。

「普通に電話をかけたら通話料が発生しますが、加藤学様やお姉さまとのお話しにでてきたRINNEというアプリを使えば、無料で通話ができるんですよ。通話料を気にせず通話がし放題になるんです」

 それはまたすごい話だ。

 携帯電話会社っていうのは通話料でもうけてるんじゃないんだろうか?

 携帯電話でするインターネットも、確かホームページや動画なんかを見たりするとパケット通信料というものがかかると聞いたことがある。でもそれも、パケットし放題みたいなサービスがあって、本当は十万二十万と使ったパケット通信料を月々5千円くらいで済ませられるんだとか。

 通話料でもパケット通信料でももうけられないんだったら、携帯会社は一体どうやって儲けをだしているんだろう。

 まぁぼくには関係のない話だけれど。

「ご主人様もRINNEをやってみませんか?」

 アリスが言った。


「別にいいけど、今ぼくがRINNEで友だちになってるのって、姉ちゃんと姉ちゃんの彼氏だけだろ」

「それからお母様ですね」

 ぼくは少し驚いた。RINNEはてっきり若者が使っているものだとばかり思っていたから。そういえば父さんが持っていたのはガラケーだったけれど、母さんが持っているのはスマホだった。姉ちゃんが携帯電話を買いに行ったときに、確か母さんも付き添って行って、そのときスマホだけれどテンキーがついている変わった機種に機種変更していた。

「ご主人様には小学生の弟さんもいらっしゃることですし、ママ友同士でRINNEをしてらっしゃるんじゃないでしょうか」

 なるほど。

「では、試しにひとり友だちを作ってみましょう。お友達の携帯電話番号をアドレス帳に登録してみてください」

 アリスが言ったけれど、

「いないよそんなの」

 ぼくは自嘲気味に言う。

「またまたーご主人様ったら。ひとりくらいいるでしょ?」

 ぼくが黙っていると、

「もしかして、本当にいないんですか……?」

 アリスは大きな瞳に涙をためた。

「泣くなよお前が。泣きたいのはぼくの方なんだから」

「だってお友だちがいない人生なんて悲しすぎます!」

「そんなこと言われてもなぁ」

 そのとき携帯電話がブブブと震えた。

「電話か?」

「いえ、加藤学様からのRINNEチャットメッセージのようです」

 アリスに言われて、ぼくは携帯電話に手を伸ばし画面を見た。

 初めて見るRINNEの画面。相手の顔のアイコンがあり、漫画の吹き出しの台詞のようにメッセージが表示されている。

 そこにはこう書かれていた。


──じゃあ試しにぼくの友だちを友だちにしてみるかい?


「なんでこいつ、さりげにぼくたちの会話に参加してきてるわけ?」

 ぼくは驚くというよりも、半ば呆れつつアリスに問う。

「加藤学様もアリスと同じ携帯電話を持っていますから」

 それは初耳だった。

「夏目メイ」

 とアリスは何者かの名前を口にした。

「ご主人様の携帯電話がアリスであるように、それが加藤学様の携帯電話の名前です」

 そう続けた。


──前にも言ったけれど、その携帯電話は試作品で、君はそのモニターだ。

──研究所の人間であり、君をモニターに選んだぼくはモニターの君の携帯電話の使用履歴、簡単に言えば君とアリスとの会話を常にモニタリングする権限を持っている。


 とんだプライバシーの侵害があったものだ。

「そういうことって最初に説明しておかなくちゃいけないんじゃないか?」

 ぼくは言った。

 成長が人より遅れているぼくは、まだマスターベーションをしたことがない。けれどぼくが世間一般の男子と同じように人並みの成長をしていたら、携帯電話でエロ動画や画像を見てそういうことをする可能性だってあるわけで、あの男はそういうぼくの人には見せられないような恥ずかしい行為も見ることができるということなのだ。

 もっともこの携帯電話には常にアリスがいるので、人並みの成長をしていたところで、ぼくはそんなことをしないだろうけれど。世の中にはそういう行為を、アンドロイドとはいえ女の子に見られたいという変態もいるだろうけれど。

 ぼくはアリスを見て思う。

 結構かわいいしな、こいつ。姉ちゃんには負けるけど。


──最初から全部説明したところで理解はしてもらえなかっただろう?

──世の中の多くの人間がろくに読まずに簡単に契約書にサインするようにね。

──こういうことは順を追って説明していった方が理解してもらいやすいんだ。


 なんだかどうでもよくなってきた。とにかく、アリスとの会話はこの男には全部筒抜けだというわけだ。気をつけなくちゃいけない。

 ぼくは話を元に戻すことにした。

「ぼくとあんたの共通の知り合いなんて、ぼくの家族だけだろ。つまりあんたが紹介してくれる友だちはぼくの知らない奴じゃないか。そんな奴と簡単に友だちになれるかよ」


──それはやってみればわかるよ。


 あの男はそう言って、


──友だちは男がいいかな? それとも女の子?


 と尋ねてきた。どうやら、あの男から友だちを紹介されることはもう決定事項のようだ。

 ぼくはもう諦めて、それから少し迷いながら、

「女の子……かな」

 と言った。口にすると思っていた以上に恥ずかしかった。きっとぼくの顔は赤くなっているに違いなかった。

「ご主人様ひどーい、アリスがいるじゃないですかー」

 そんなぼくにアリスが抗議する。お前はメイドで、アンドロイドで、おまけに携帯電話だろ、とぼくは思う。


──ぼくの友だちだから、君より少し年上になるけどいいかな?


「……うん」


──わかった。じゃあアリス、ID検索してくれ。IDは"frawbow"だ。


「はーい。検索完了しました」

 あの男からのチャットメッセージが届いた次の瞬間には、もうアリスはそう答えていた。

「フラウ・ボウさんを友だちに追加しますね」

 アリスはぼくに向かって、確認するように、というより、やはり決定事項のように言った。

「フラウ・ボウ?」

 ぼくはアリスが口にした名前を反復した。確か有名なロボットアニメの主人公の幼馴染の名前だったような気がする。 


──ハンドルネームだよ。


 携帯電話の画面にはそんなメッセージが届いていた。

「フラウ・ボウさんをお友だちに追加しましたー」

 アリスがそう言った瞬間、ぼくの部屋には新たな闖入者が現れた。

 立て続けにおかしなことが起こりすぎて、ぼくの感覚はもう驚くことには飽きてしまったようだ。一応、RINNEで友だちを追加しただけで、なぜ目の前にその相手が現れるのかと困惑はしていたけれど。

 フラウ・ボウは20代半ばくらいのきれいな女の人だった。背が高くて、華奢で、まるでモデルみたいだ。

「フラウ・ボウさん……?」

 その人はぼくの顔を見るなりにっこり笑って、

「こんばんは」

 と言った。

 そして、困惑するぼくをなぜか抱きしめた。

 ぼくはその人の大きな胸に顔を埋める形になった。

「ちょ、ちょっとこれどういうこと?」

「アリスが今言ったろ、その子をお友だちに追加したって」

 携帯電話からあの男の声がした。

 ぼくが今まさにRINNEを確認できない状況にあることを知って、たぶんチャットから通話に切り替えたのだろう。

「全然意味わかんないんだけど」

 ぼくは今度こそ本当に困惑して言う。

「RINNEで友だちになるってことは、君とその子は最初から友だちだったってことなんだ。どういう友だち関係になるかは、君が望んでいる通りになる。君の性癖は年上のお姉さんにかわいがられたいってとこかな。君はお姉さんによく懐いてるみたいだし、シスコンの気があるようだね」

 あの男が電話の向こうで、楽しそうにそう言った。

 言い当てられて、ぼくは恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。

 ぼくの名前を呼びながら、その人は頭を撫でてくれた。

 いい匂いがした。温かい。

 それはたぶん、妄想なんかじゃなく、これが現実である証拠だった。

「年上のお姉さんの胸に顔を埋めるのはそれくらいにして、話の続きをしようか」

 見てるこっちが恥ずかしくなる、とあの男は言った。ぼくとアリスの会話を聞いているだけでなく、見ているのだ。

「彼女は一応ぼくの友だちでもあるから本当はこんなことしたくないんだけど、RINNEの使い方を知ってもらうためには仕方ない。今からざっと使い方を説明するから、RINNEにはこんな機能があることを覚えてくれ」

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