お題『トリックは本格推理の核である』_『蝶になれない少女たち』


『蝶になれない少女たち』


 千鳥栞は妾の子だ。

 指先凍える冬の日の、寒風が吹き込む襤褸の家。そこにそぐわぬ身なりの男。彼に、そう伝えられた。

 柳と名乗るその男は、栞の手を、宝石かなにかのようにうやうやしく握りしめた。

「君は妾の子だけれども蝶になれる素質がある。それは得がたいものだから、君はあすこに行くべきだ」

 そう言って男が指さしたのは、遙か彼方の摩天楼。その麓にある学園だった。

「君は蝶になれるのだから」

 男はそう言い、栞にたらふく与えた。つやつやと光る革靴を、ぴんと糊のきいた制服を、そして最後にちいさなブローチを与えた。ブローチの端は冬の冷えた光にちらちらときらめいた。そこには揚羽蝶が一匹、紋章としてそこに居た。

 それは、栞が学園の扉を叩くための切符だった。

「蝶になれるのだから」

 蝶になれるのは血筋の証。得がたい素質。それは学のない栞でも識っていた。

 そうして男に背を押され、栞は諏訪園女学院の敷居をまたいだのだった。


 蝶とは血筋の証である。

 昔々の話である。ある貴族に美しい子供が産まれた。白雪の頬、椿の唇。美しい子供は何不自由なく育てられた。すくすくと育ち、そして少女になった。他の子供と違うのは、彼女が待っても待っても「少女」のままだったことだ。それだけならまだ良かった。裕福な貴族の両親は、彼女が迫害されることなく育ててやれた。

 少女がある日、「蛹」になるまでは。比喩ではない。やわい腹を持つ幼虫が蛹となるように、少女は瑞々しい緑の殻をまとい、壁に糸を張り籠もってしまった。やれ困ったのは貴族の両親。娘が化生に変貌し、殺すか生かすかの二択を迫られた。

 親が選んだのは、生かすことだった。親は子かわいさにその蛹を、暗い場所に隠して暮らした。娘の蛹はきっかり14日。そこにただ動かず在った。15日目のその日のこと。貴族の両親は驚愕した。

 殻は破れ、そこから白魚の指がのぞいていたからだ。

 緑の蛹は喪われ、そこから美しい女となった娘が現れた。

 その血筋が、血統が、現代まで残ったのが蝶娘たち。そして、千鳥栞だった。


「妾腹の」

 そう小さく、教室のどこからか声が聞こえた。栞が席について、5分も経っていなかった。

 薔薇の、椿の、白百合のごとき麗しい少女たちの間でも、醜聞はあるものなのだと、栞は諦めとともに考えた。その声が聞こえていたはずの教師も、それを咎めはしない。諏訪園女学院はそういう場所なのだと、栞は説明されるまでもなく理解した。

「諏訪園。ついてやれ」

 す、と美しい所作で少女が立ち上がった。骨にたたき込まれてきたのであろう。育ちの良さを感じさせる動きだった。教師の言葉に、少女の花園がざわつく。

「承りました」

 そう言う少女は振り返る。黒檀の短髪が、柔らかく空気を含んで広がった。栞のくすんだ茶の髪と違い、それは墨を溶かしたようでひどく美しく見えた。目を合わせて、栞は「あ」と声を漏らす。その目に、蒼玉のような透き通る瞳がはめこまれていたからだ。

「私が学園を案内するから」

 にこ、と笑う彼女に、栞の体の力がふと抜ける。そこでようやく、栞は自分が一丁前に緊張していたことに気がついた。

 諏訪園、という姓がこの学園の名前と同じだと、気がついたのは彼女と学園を歩き始めてからだった。


 飴色に光る廊下を諏訪園と歩く。4月のやわらかな日差しが、廊下の空気を暖めていた。

「諏訪園さん」

「杏子でいいわ。同い年だもの」

 「あっ同い年であっていたかしら」と慌てる諏訪園に、栞は首を縦に振った。蝶娘たちが通うこの学園は特殊だ。まず学年が年齢で決まらない。一年生はまだ蛹の兆しが見えない少女たち。二年生は蛹の兆しが見えた者、または「蛹期」と呼ばれる蛹の期間を迎えた者。そして三年生は、蛹の皮を脱ぎ捨てた女たち。諏訪園と栞は二年生。蛹の兆しが見え、やがて女になる少女たちだ。

「私とあなたが蛹様のお部屋の当番なの。よろしくね」

 「蛹様」という呼び方に、栞は思わず眉を顰めた。栞は話に聞くのみである蛹期が、たいそう嫌いでたまらなかった。この学園の少女たちは、女になる過程として「蛹様」などと呼んでいるが、要は臓器の再構築だ。堅い殻の中で少女の体はどろどろに溶かされ、形を変え、女の型にはめられていく。その過程は繊細で、異物がひとつ混じれば、蝶にはなれない。

 怖くはないのだろうか、と栞は思う。そして、怖くはないのだろうな、と思い直す。 

 振り返った諏訪園のそのとろけたような眼差しが、すべてを語っていたからだった。


「あっ」

 小さくそう零して、諏訪園が突然走り出す。走るといってもそこは深窓のお嬢様。とととと、とかわいらしい足音を立て、走るというより転がるといった風情だ。

「柳様」

 諏訪園はそう口にだす。その名前に、思わず栞は固まった。

 柳。冬のあの日、家とも言えぬ栞の家を訪れた男の名前。栞は視線が上げられず、光る廊下をじっと見つめた。

「柳様。蛹様のお部屋になにかご用ですか? 諏訪園がお力になれることはあるでしょうか?」

「大丈夫よ諏訪園。ありがとう」

 栞の頭の向こう側で、涼やかな声がやりとりされる。栞は小さく小さくなって、どこかに消えてしまいたかった。

「あら……? その方は?」

「あ! ご紹介します。外部からいらしたの。二年生の千鳥栞さんです。編入してらっしゃったの」

 びくん!と体がはねるのが分かった。氷の棒が背骨に差し込まれたようだった。そこから体全体が冷えてゆく。

 栞は静かに視線を上げた。気づくな。気づくな。気づかないで。

「外部の方が編入してくれるなんて嬉しいわ。……柳亞由美です。亞由美でいいわ。二年生よ」

 初めて瞳にうつした亞由美は、木蓮のようだった。やわらかく巻かれた髪を体にまとわりつかせる様は、やんちゃな少女のようにも、無造作で静かな色気のある女にも見えた。静かな海のような瞳だけが、あの男と同じだった。

「よろしくね」

 そう笑う、天使のような顔で栞は悟る。

 この娘はなにも知らない。何不自由なく生き、何不自由なく死んでいく。

 彼女に都合の悪い、妾腹の妹のことなど知りもしないまま。

 栞は笑い出すのをこらえるのが大変だった。なんだかすいぶん自分が馬鹿でおかしかった。

 目尻に涙の粒が浮かんだのは、笑いのせいだと思うことにした。


「ちょうどよかった。諏訪園。私しばらく授業には出られないの。ノートをとっておいてもらえないかしら」

 亞由美はなにがそんなに楽しいのか、幸せそうに笑み崩れながらそう言った。驚いたのは諏訪園だ。

「お体の具合でも悪いんですか」

 そう問う諏訪園に、亞由美はあはあはと笑う。

「違うわ。みんなには内緒にしているけど、教えてあげるわね」

 亞由美はそう言うと、ちらと制服のすそをまくりあげた。その行動にもぎょっとしたが、さらに驚かされたのはその中身だった。亞由美の腹は、一部が変色し、堅い殻のようになっていた。栞は絶句し、それを見つめる。これは何だ。

「おめでとうございます!」

 諏訪園の叫びに、栞は体を強ばらせた。彼女の反応から察するに、どうやら病気の類いではなさそうだ。

「私、明日にも蛹になるの。女になるのよ」

 亞由美は笑う。蛹になれるのが幸せでたまらないという笑みだった。栞にはその笑顔がひどく美しく、そして理解しがたいものに見えた。冷えた栞の心情に対し、諏訪園はやれ「蛹様のお部屋の準備をしないと」だの「夜番は私にやらせてくださいましね」などかしましかった。

 栞をぽつねんと置いていき、そこには幸せな空気が満ちていた。


 柳亞由美の惨殺された蛹が発見されたのは、その翌日のことだった。


「妾腹が殺したのよ!」

 遠慮もなにもない叫びが、蛹部屋に響いた。5人の「蛹様の部屋」当番の少女たちは狂乱していた。自分が守るべき蛹が、割れ、引き裂かれ、造形途中の臓器をまき散らしているのだ。当然だ。だが栞は何もしていない。

 赤毛の少女、阿笠と呼ばれていた少女が叫ぶ。

「私は柳様とお家の関係が近いの! だから知っています。この女は柳の当主のつくった不義の子。柳様を殺す理由のあるのは貴方しかおりません!」

「私はなにもしてない」

「どの口がそれを言うの! だって、だって」

 阿笠は震える唇で言葉を紡ぐ。

「貴方が夜番をしている時に、柳様が殺されたのよ!」

 栞は顔を顰める。阿笠、諏訪園、そして名前の知らぬ2人の少女。その視線全てが語っていた。お前が殺したのだろうと。


 阿笠という少女の言うとおり、事件は栞が夜番をする夜半に起こった。

 家の用事があるからと、栞は阿笠に蛹部屋の番を任されたのだった。栞はその時初めて重そうな蛹部屋の鍵を渡された。次の当番への交代は朝6時。それまで蛹の少女たちの眠る部屋を守るのが、栞の仕事だった。

 正直ぞっとした。「蛹様のお部屋」と優美に呼ばれてはいるが、実態は等身大の蛹がところ狭しと糸をはっている。ここから産まれるのが美しい女でなければ、怪奇小説もかくやの光景だった。栞は嫌々蛹部屋の中にあるソファに腰を下ろし、眠気覚ましの珈琲を飲んだ。カップは当番ごとに決まっていると言われたので、誰もつかっていない粗末なマグカップで熱い珈琲をすすったのだ。

 問題はそこからだった。

 珈琲を口にしてから時刻にして三十分後。栞のまぶたは重くなり、視界は闇に落ちたのだった。

 そうしてもう一度目を開けたその時には、諏訪園、阿笠含む少女たちに囲まれ、臓物を零した蛹の中に居たのだった。臓物と、殻と、肉に馴染んだ折れたナイフの一つ落ちる場に。


「私はなにもしていない」

「この……っ!」

 手を上げかけた阿笠を、諏訪園が制した。彼女の穏やかな印象は消え失せ、その顔には指導者の風格が満ちている。

「栞さん」

「はい。諏訪園さん」

「大変申し訳ないのだけれど、口だけで言われても信じることはできないの。これは分かってくださる? なにもしていないという理由を示してください」


 その時、栞は、ああそういうことかと理解した。

 理解し、そして腹がたった。

 自分がくだらない茶番に巻き込まれたことを分かってしまったからだ。


「わかりました」


 栞はそう言って、床をつ、と指し示した。少女たちは顔を顰めながら栞の視線を追う。そこには、一つ分の蛹の臓器が散乱していた。

「臓器が散乱してるでしょう」

「見ればわかります」

「いいえ。見ているだけです。理解はしてない」

 栞の蓮っ葉な言い草に、少女たちは鼻白む。

「いいですか。この部屋の鍵は、この中の人間しか持っていない。この前提をまず覚えておいてください。その上で、これほど臓器が飛び散っているにも関わらず、私の服は汚れておりません」

「着替えただけでしょう! 白々しい」

「いいえ。それは不可能です」

 あえて栞は慇懃に振る舞う。そうしたくなるほど、この場が馬鹿らしかったからだ。

「私は昨日編入したばかりです。そして私はある方のご支援のおかげでここに入学できました。故に私は制服の替えも持ち合わせておりません。そしてこの学園で制服の汚れをしのぐようなものを調達するすべをもっていません。すなわち」

 栞はひとつ、ため息をついた。

「私には柳さんを殺した後の始末ができないのです」

「そんなこと……。誰かと協力していればどうとでもなります!」

「阿笠!」

 頭に血が上るあまり、自分が何を言っているか理解していないのだろう。暗に学園の中の少女たちが共犯と言わんばかりの阿笠の言い草に、諏訪園から叱責が飛ぶ。納得してもらえないなら、仕方がなかった。もう一つ。言いたくはなかった事実を一つ、言わなければならなかった。

「ナイフの刃先を見ましたか?」

「え……? ナイフ?」

「ナイフの刃先は、柳さんの肉に取り込まれるように刺さっていました。ご存じの通り、蛹の中では臓器の再構成が行われます。つまり」

 栞は少女たちを睥睨した。愚かな羊たち。狼が混じっていることにも気がつかない。

「ナイフの刃先が肉に取り込まれていたということは、蛹にナイフが刺されてから臓器の再構成は続いていたということです。そして蛹は繊細です。ナイフなどが入っていれば、まともに女の体を再形成できません」

 「よくて奇形でしょうね」という言葉が、少女たちの沈殿する沈黙に混じった。

「いいですか。これはカモフラージュです。柳亞由美が殺されたのは、蛹になってすぐなんです。そして、私は夜になるまで鍵を渡されていない。蛹部屋には入れない。これは私にはできないんです」

 私以外には誰にでもできたことだ、とは言わなかった。

 少女たちの疑心暗鬼の視線が、それを十分理解していることを示していたからだ。


 事件から一週間後。学園はマスコミの対応に追われていた。ただ、騒がしいのは外ばかりで、学園の中は静かな水のごとき沈黙に満ちていた。

 栞は南国の草木の隙間に体を横たえた。亜熱帯を模された熱気が、体に心地良い。諏訪園学園は有数のお嬢様学校なだけあって、ガラス張りの植物園を有していた。お嬢様たちは亜熱帯の熱気を好まないらしく、一人になれるそこを栞はこのんでいた。

 瞼ごしの暖かな光が、何かに遮られた。薄く瞼を開ける。睫毛でけぶる視界に、蒼玉の瞳が映り込んだ。

「諏訪園さん」

「栞さん。ちょっと散歩でもどう?」

 はは、と笑って栞は首肯する。

 茶番の女王のお誘いだ。応える以外に選択はない。


 熱気で汗をかいたうなじを追う。ぽてぽてと歩く様子からは、悪意のかけらも感じられない。

「栞さん頭がいいのね」

「粗野な田舎娘ですよ」

「謙遜はよして」

 しだれ柳のような腕が、ひらひらと揺れる。


「私がナイフ刺したこと、わかってたんでしょう」


 それを聞いて、ああこの少女も羊なのだなと思った。狼を気取った愚かな羊。

「まあ誰でもわかります」

「そうよね。亞由美ったら蛹になるのを内緒にするんだもの。ナイフ刺せるのは、亞由美が蛹になるのを知っていた貴方と私だけ」

 亞由美という呼び方は、柳様という呼び方よりも自然に聞こえた。「だからなんとか貴方のせいにできないかと思ったんだけどな!」と諏訪園は伸びをする。小柄な体がしなる様は、本当に小さな子供のようで、人一人を殺したようには見えない。

「共犯者は阿笠ですか」

「あー! それもばれるか! 私ね、発育が遅いの。いつまでたっても蛹にならない。阿笠は蛹期の兆候が出てた。蛹の時に殺しちゃうからって脅したら、うんうん頷いて手伝ってくれたの」

 くふくふと笑う顔は天使のようだ。まろい頬に汗の雫がはじけ、ガラス越しに差し込む光を弾いた。

「阿笠、ちゃんと滅多斬りにしてくれたのに、あの子馬鹿だから動揺してナイフの回収忘れたの。もう台無し!」

「あの」

「なあに」

「柳さんを殺した、意図はなんですか?」

 蒼の瞳がこちらを見つめる。光をたらふくため込んだそれは、本当の蒼玉のように見えた。

「だって蛹期を終えたら、女になっちゃうんだもの。私たちは女になったら、家の利になる男に嫁がなけらばいけないから」

 そうして、諏訪園は唇を半月にゆがめる。唇の赤は、突き放すような美をたたえていた。


「私は、少女の亞由美を永遠に手に入れたのよ」



 

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