お題『インパクトのある導入』_『琵琶法師』


『琵琶法師』


 びぃんと、路地に張りつめた音が響いた。細い路地、街頭の下、灯りのまあるく当たるその場所に、一人の琵琶法師が座っていた。

 持つは体ほどの琵琶を一つ。びぃん、びぃいんと弦を弾き、老いた法師はそこに居た。冷たい空気に吐く息が煙る、深い真冬のことだった。

 そこには男と琵琶法師のみ。男が聞き手で、法師が語り手。べぃんべぃんと、弦の音だけが二人の間を満たしている。

 正気の沙汰とは思えぬ様子に、そこまで金に困っているのかと財布を取り出しかけた手は、べぃんという弦の音に止められた。

 月を背にした老人は、冬の夜更けにかまいもしない。

 べぃん。

「本日は有りがたき幸せに御座います。此度ある恋の顛末を、語りまするはにわか仕立ての琵琶法師、この老人めにございます。時代遅れの物語、非難の向きはあろうとも、思案の末の琵琶法師。意の有るところくみ取って、どうかご容赦頂いて、ご聴聞かた宜しくお願いします」

 蕩々と、蕩々と法師は語る。

 琵琶法師の吐く息は、不思議と煙らない。指先の赤くなるほどの凍えがないかのように、語る。語る。

「わたくしめが語りまする物語は、昭和のころあい、ある村で起きました血も凍る凄惨な恋についてでございます」

 べぃん、と弦が一本打ち鳴らされる。

 男は、寒さも忘れ見入っていた。

 まあるい街頭と、月の光に照らされて、男と老骨の間に語りが響く。

「今日よりも深く、寒風吹きすさぶある村に、チヨという娘がおりました。娘の年の頃は十五。今はどうあれ、当時は女の盛りでございました。さて娘には焦がれる男が二人。何の因果かその二人、忌み仔の双子でありました。名前も持たぬその二人。仮に甲と乙と呼びましょう」

 べべぃん。

 琵琶法師と言えば、平家物語。そんな想像をしていた男は、法師の語りにすっかりのまれ、ただただ聞き入っていた。

「チヨは気立ての良く、夜光石を羅紗で包んだような美しさを持つ娘でありました。けれど完全なるは仏ばかり。人の身なれば、欠けた部分の一つや二つきまってあるものでございましょう。チヨにはひとつばかり、欠けた部分がございました」

 弦が鳴る。法師が息を吸う。

「チヨは移り気な娘でありました。やれ夏の日に甲にのぼせたと思えば、やれ秋には乙にしなだれかかる。甲と乙の間をふらふらと、誘蛾灯に惑うかのように揺らめき続けるのでありました。女心は秋の空。そうは申しますが、哀れなのは忌み仔の双子。季節が変われば嫉妬に狂い、また季節が変われば幸福に狂う。忌み嫌われているだけならどれだけ楽であったことでしょう。さてそうして冬を迎え、チヨはとうとう一人を選んだのであります」

 男はそこで気づいた。琵琶法師の目は、不自然に落ちくぼんでいた。盲いた老骨は、男を意に介さず語る。語る。

「チヨは甲を選びました。安らかならざるは乙でありましょう。忌み仔の双子。同じ畜生腹から生まれた息子。同じ顔に同じしぐさ。さて何の違いがあるのかと、乙はチヨを問い詰めたのです」

 ぶぉんという音がして、路地の向こうに過ぎ去るトラックが見えた。琵琶法師は構わず続けた。男の足も、動かなかった。

「チヨはただ一言。こう申したのであります。性分を許してくださると言うからと。乙は言葉を失いました。甲はチヨの移り気を許すというのです。ならばならばと乙に邪心が走ったのはその時でありました。移る先がなかりせば、この娘は俺だけに心を注ぐであろうと、そう思ったその日」

 

 べん、と一際大きく琵琶の音が響いた。


「乙は忌み仔の片割れを、かつて繋いだその手で、やわらかくくびり殺してしまったのです。とは言えども忌み仔の双子。顔も同じ、声も同じ、しぐさも同じとくれば、考えることも同じでありました。甲はえいやとひと思い。ぷつりと乙の目を潰してしまったのでございます」

 べん、べんと琵琶がかき鳴らされる。本能的に、語りの終わりの近さを男は悟った。

「夜光石の娘と忌み仔の片割れ、二人は手に手を取って、さてどこへやら逃げてしまいました。ただ困ったことに、夜光石の娘は変わらず移り気で、盲いた忌み仔は仕方なく、移る先をそのたびなくしてしまうのでありました」

 

 べべぃん。


「さてお仕舞いに、言わずもがなのことながら、ご聴聞たまわりましたからには拍手喝采はもちろんのこと、念仏申して下されば、俄か仕立ての琵琶法師、これに過ぎたる果報なし、これに過ぎたる果報なし……」

 琵琶法師の語りは、そこで終わった。べんべんと鳴り響く琵琶を遮り。男は一つ、彼に問いかけた。

「ご老人、ひとつよろしいですか」

 ぴたりと、琵琶の音が止まる。

「その目は、どこで喪われましたか」

 男はその時、老人のくぼんだ眼と、確かに目が合ったように思った。


「言わずもがなの、ことながら……」


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