第51話 怪異について

彼女は見つめていることに僕が気づいた、とわかった途端、また自分の読書に戻った。僕は少女に近寄って、肩ごしにのぞき込み、彼女が『グラシオーサとパーネットの歴史』という本を読んでいるのを見た。

「非常にためになる本でさぁ、旦那」明るい諧謔と共に老農夫は述べた。「私たちのいるここは、なんと妖精界随一のパワースポットらしいですわ。ハ! ハ! すごい嵐でしたなぁ昨晩は、旦那」

「そうなのですか?」僕は答えた。「僕のいたあたりはそうでもなかったです。いままで見たこともないほど、大層美しい夜でした」「本当に!? 昨晩あなたはどこにいらしたんで?」

「森で過ごしました。道に迷いまして」

「ほう! でしたら、たぶんあなたは私の妻に『森には何もおかしなことはなかった』と納得させてくれそうですな! というのは実の所この森について、ここいらではちょいと悪い噂がありましてね。まああなたはあなた自身より悪いものは何も見なかったでしょうが」

『そうだったら良かったのに』僕は心の中でそう呟いたが、実際に口に出すのは、次のような言葉に留めた。「そうですね、確かに殆ど説明のつかないような現象はいくつか目にしましたが、未知の樹海の中で、辺りを覚束ない月の光だけに照らされ歩いたのでは、べつに不思議なことでもないでしょう」

「まったくその通り!! あなたはもののわかった言い方をなさりますな、旦那! 私たちの周りに『話のわかる連中』ってのはほんのわずかしかいませんからな。現に、あなたには信じられんでしょうが、私の妻は今まで書かれた妖精物語のすべてを信じているんですよ。私には理解できませんよ。彼女はそれ以外のことでは全て、本当にもののわかった女なんですが」

「けれどあなたは彼女の信じているものを、たとえそれを共有はできないにしても、尊重すべきではないでしょうか?」

「ですな、理屈としてはまったくその通りです。しかしあなたもここに来てこんなバカらしさのただ中に毎日いたら、そいつを尊重するなんてまったくもって簡単じゃないんでさあ。ほら、『白猫』の話はご存知でしょう? 言っちまいますが、妻はあれを事実だと信じとるんですわ」

「そうした類の物語は子供の時分に全部読みましたし、その話はとくに良く知っています」

「でも父さん」と、炉端の隅にいる小さな女の子が口をはさんだ。「知ってるでしょ? 母さんは、いじわるな妖精のせいで白猫に変えられたまさにそのお話のお姫さまの子孫なのだって!! 母さんはわたしに何度もそう話してくれたわ、だから父さんも、母さんのお話はぜんぶ信じなきゃいけないのよ?」

「簡単に信じられるさぁ、そりゃ」農夫は答えながら、また極上の笑いを響かせた。「なんたって昨晩、ねずみがチューチュー鳴いて床下を引っ掻くもんだから、わしらはちっとも眠れなかった。で、お前のお母さんはベッドから跳ね上がってできるだけねずみの居る床下に近づくと、でっかい猫が地獄から響かせるみたいにミャーと鳴いたのさ!! その途端、引掻き音はピタリと止んじまった。わしはたぶんあの可哀そうなねずみは恐怖で死んじまったんだと思うね。なにせあれ以来ねずみの引っ掻く音をわしらはちっとも聞かないからな。ハ! ハ! ハ!」

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