第46話 罠

彼女は近づいてきて僕に寄り添い、先導して森を通った。だが一度か二度か、ほとんど意識せず、僕が暖かい暗闇を通り抜けるときに彼女の手を取ろうと手を伸ばした時だ。彼女はぱっと数歩跳びすさり、僕に対して常に真正面に顔を向けるようにした。そして立ったままじっと僕を見つめ、半ば見えている敵を恐れるような素振りで、わずかに身を屈めたのだ。非常に暗かったため、彼女がどのような表情を浮かべていたのか、仔細にはわからなかった。それから彼女はすたすたと歩いて戻り、何事もなかったかのように、ふたたび僕の側へと身を寄せた。…それは奇妙なことに思えた。けれども僕は一方で、以前に述べたように、妖精界で起こる現象について説明しようとするのをほとんど諦めていたし、またとても永い間眠っていて、突然目醒めた人間に対して、僕が抱く浅はかな期待に沿った態度を求めるのは公平ではない、とも思った。僕は彼女が微睡みの中で夢見ていたことについてなにも知らないのだ。あるいは言葉が自由であっても、彼女の触れる肌の感覚は優美なまでに繊細だ、ということもありえるのだから。

ついに、森を長い間歩んだ後、僕たちは大理石洞穴のものとは別の茂みに辿り着いた。織り重なる枝々を透して、微かな薔薇色の光が漏れていた。

「枝を脇にどけて、」と彼女は言い、「そうしてわたくし達が入れる隙間をつくってください」

僕は彼女に言われた通りにした。

「入って」彼女は言う。「わたくしはあなたの後に入ります」

僕は彼女が望むようにした。そして自分が大理石洞穴とは全然似ていないというわけでもない、小さなほら穴の中にいることに気づいた。そこはさまざまな種類の緑が、陰になった岩を飾るようにぴったり吸い着き、カーテンとなって覆っていた。最も離れた一隅に、葉っぱで半ば隠されたその隙間を通って輝き、光の落とす魅惑的な影と混じり合って、明るい薔薇色のほのおが陶製の小振りなランプの中で燃えていた。女神は僕の背後から、滑るように壁ぎわを廻り、今なおも顔をしっかり僕に向けたまま、その一番遠い隅っこにするりと座り込んだ。彼女は明かりを背にし、そのランプは彼女によって完全に僕の視界から隠されていた。それから僕は実際、完璧な美しさというものを目の当たりにしたのだ! 薔薇色に輝くランプの光は、ほとんど彼女から射す後光のように思え、(なぜならランプの光は彼女の躰に反射しなかったから……)そしてそのように繊細なばら色の影が醸し出す陰影は、あの大理石の白い色合いにまちがいない!……と僕に思わせた。けれども後になって気付いたのだが、そこにはひとつ、僕に好きになれないことがあった。瞳の白眼の部分が、躰の他の部位と同じく、僅かにばら色に染まっていたことだ。僕が彼女の容貌を思い出せないのは不思議なことだが、それらは僕にどこか少女らしいその姿と、単純にただ強烈な愛らしさという印象だけしか残さなかった。僕は彼女の足元に寝転んだまま、その容貌をじっと凝視していた。彼女は僕に、不思議な物語を話し始めた。彼女の容貌と同じく僕は話の内容を思い出せないが、しかしそれはあらゆる場面、あらゆる間で、どういうわけか僕の目と思考を彼女の極限の美しさにとらえ込んだ。話はいかなる時も、それがあからさまな時も隠されている時も、常に彼女自身の愛らしさに関連づけられて、共に作用するよう計算されているように思われた。

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