第29話 トネリコの手

ついに彼女はしばらくの間、雲によってほぼ完全に見えなくなった。そして彼女が再び、闇との対照から一層まばゆさを増して輝きを放った時だ。僕の前にある道……その周辺は木々が退いていて、小さな空間に緑の草地が広がっていたのだが、僕はそこに、節くれ立ってあちこちに凸凹した瘤のある長い手の影を見たのだ!

とりわけ恐怖のただ中にあってさえ僕が注目したのは、それら指の先端にあった球根状の盛り上がりだった。僕は急いで周りすべてを見廻したが、そのような影を落とすようなモノはどこにも見当たらなかった。けれども今、僕は確定されてはいないにしても、不安を投影すべき方向を得たのだ。強い危機感と行動の必要が、恐怖のもたらす最悪の負債である不安な息苦しさを打ち負かした。僕は一瞬考え、もしこれが本当に影だとしたら、その影を投げているものは、影と月の間にあり、他のどの方向を探しても無駄だろうと思った。僕は見て、凝視して、そしてあらん限りと血眼になったが、すべて無駄だった。僕は近辺に影の本体どころか、トネリコの木ひとつすら見えなかった。影はなおもそこにとどまり、ただじっとしてはおらずゆらゆら動きながら、一度など、まるで野獣が待ちわびる獲物への渇望を抑えきれず爪を震わせるように、五指を狭めて強くこすりつけて、ワナワナとこちらに近づけてきた! この影の実体を見つけるには、ただひとつの方法しかないように思えた。僕は思い切って前に出、身の内の震えを気にしないようにしながら、影がいる地点に我が身を投げ出した。そして頭を手の影の中に置きつつ、振り返って両目を月へと向けたのだ。なんということだろう!! 何をいったい僕は見たのだろう? ふしぎなのはとにかく僕が立ち上がれたことだ。恐怖に脳を凍りつかされそこに横たわっていた間に、手の影は僕をつかまえなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る