第4話 九月第一週(解答編)

「今週もありがとうございました長瀬さん。貴方の頑張りに免じて、この爆弾を炸裂させるのは来週以降にしましょう。お帰りになってくれて構いませんよ」


 一上はそう言って、退室を促した。

 いつもの彼女なら謎が解ければすぐさま自慢げな顔になり、軽快なトークでもって解決編を始めるはずなのに、今回はなんとも淡白な対応だった。

 一上の奇妙な態度は、爆弾と苦手な相手が存在する部屋に滞在したくない私としては、むしろ喜ばしいくらいなのだけど、しかし、『謎』が『謎』なまま帰らされるというのも、なんだか嫌な感じである。


「ここで私が答えを教えたら、何かの拍子に長瀬さん経由で妹さんにも真相が伝わってしまうかもしれませんからね。そうなると、ちょっと困ります」


「妹の夢を壊したくない……だっけ? 爆弾魔がよく言うよ」


「いえ、それは私の人情的な部分の問題ですから、究極的にはどうでもいいこととして切り捨てることができますよ」


 切り捨てるな。人情を。

 肉体だけでなく精神まで人間離れしてるじゃないか。


「私が真に危惧しているのはですね、長瀬さん。貴方を経由して『時間が飛ぶ道』の真相を知った妹さんが、自分の姉に真相を教えた秀才美少女の存在に感付く可能性ですよ。私と長瀬さんの繋がりが明らかになれば、この爆弾の存在も芋蔓式でバレかねません──そうなると少し、いや、かなり困ります」


 そんな可能性を憂慮するくせに、それ以上にありえそうな『私が爆弾の存在を周囲に言いふらす可能性』についてはこれっぽっちも心配していないのは何故だ。


「いやあ、そりゃあないですよ。ありえません。だって、もしもそんなことになったら私が何をするかなんて、頭脳明晰な長瀬さんなら簡単に予想がつくでしょう?」


「……『爆弾を破裂させる』」


 長瀬は微笑を浮かべながらコクリと頷いた。


「不意のアクシデントが原因でやむを得ず起爆するのは、私としても望ましくありませんからね。できることなら、避けたいところです」


 その微笑は神秘的なオーラさえ感じられるほどに美しかった。

 ……怖すぎる。破滅的な推測を笑顔で肯定するな。

 ともあれ、一上が言う通り、私は彼女がそのような行動を取ることが予想できてしまっているからこそ、外部に爆弾の情報を言いふらすことができなかった。

 爆弾魔を打ち倒す協力者を募ろうとすれば、誰かと手を結ぶよりも前に学校がドカンだ。おかげで学校の危機という、落ちこぼれひとりで抱えるには重すぎる問題を、誰とも共有できないのである。

 また、私がこの場で一上に飛び掛かって無力化するというのも、もしものことを考えれば不可能な行動だった。

 揉み合いの最中に一上が爆弾のスイッチを押したり、あるいは私が誤って押してしまったりしたら……と思うと、足が震えて踏み出すことができない。

 普段は考え足らずなくせに、こういう嫌な想像だけは出来てしまう自分の頭が、本当に恨めしい。


「というわけで、今この場で長瀬さんに『謎』の答えを教えることはできません」


 一上は同じ台詞を繰り返し、「ですけど」と続けた。


「妹さんが結成するという調査隊が十分な調査を行えば、きっとすぐにわかると思いますよ」


「え、これってそんなに簡単な『謎』だったの?」


「ええ。仲良しグループという狭いコミュニティの中で語られる噂話でなければ、流布されることもなかったくらいには」


 そこまで言われたら、返す言葉はもうない。

 一上にとってはアームチェア・ディテクティブですぐに答えが分かり、現地調査を行えばすぐに解答が得られる程度の『謎』すら解き明かせない自分の不出来さに打ちのめされながら、帰路に就こうではないか。


「とはいえ、せっかく『謎』を持ってきたのに、その答えを教えられないまま帰されるというのは、長瀬さんにとっては不満を感じずにはいられない待遇でしょうし、ヒントをふたつ差し上げましょう」


 化学準備室のドアを開けた私の背中に、美少女の声が飛んだ。


「そもそもタイムトラベルを最初に体験したという妹さんの御友人は、正常に作動している広場の時計を見たというのに、どうして『時間が飛んだ』と思ったんでしょうね?」


 そして。


「A地点からB地点へ移動したら時間が飛ぶらしいですけれど、では逆にB地点からA地点への移動を試された方はいるんですかね?」


 ◆


 一上と別れた後、校内に残していた諸々の用事を終えて帰宅した私を迎えたのは、愛しの妹だった。

 私と違って普段から溌溂とした表情を浮かべていて元気溢れる子なのだけど、そんな彼女にしては珍しく、今日はやけに暗い雰囲気を漂わせていた。

 今にも泣きだしそうなくらいに落ち込んでいる。

 どうしたのだろう? 

 そんな顔をしていたら、そのうち私みたいに暗い奴になってしまうぞ。

 何かあったのかと尋ねてみると、返ってきたのは『時間が飛ぶ道』についての話だった。


「さっそく調査隊を引き連れて、調査をしたんだけど……」


 行動に移すのが早すぎる。ノロマな私の妹とは思えない行動力だ。


「その結果……『時間が飛ぶ道』は……『時間が戻る道』だったの」


「時間が戻る道? え、じゃあつまり、その道を歩いたら、時間が巻き戻るってこと?」


 五分先の未来ではなく、五分前の過去に戻れるってことだろうか?

 たしかにそれは大きな違いだが、しかし、タイムトラベルという点では大した差異はないように思える。むしろ、過去への移動なんて凄いではないか。昔どこかで読んだSF小説の知識になるけど、たしか、タイムトラベルにおいて難しいのは、圧倒的に過去への移動だという。それに比べたら、未来への移動は理論上は可能なんだとか。まあ、それはあくまで『理論上』であって、実行しようとすれば、途方もない量のエネルギーが要されるらしいのだけど。


「あっ、もしかして、未来に飛ぶA地点からB地点への移動とは逆に、B地点からA地点への移動をしたら、過去に飛んだのかしら?」


 化学準備室からの帰り際に一上から渡されたヒントを思い出しながら私はそう言ったが、それは全くの見当違いだったらしく、妹は手を横に振った。


「ごめんねお姉ちゃん。紛らわしい言い方になっちゃってた──戻るっていうのは、世界とか私たちとか道の時間じゃなくて、ズレていた時間がなの」


「ズレていた時間?」


「そう、時間がズレてたんだ──時計の時間が」


 時計の、時間の、ズレが、戻る道。


「いや、でも広場B地点の時計は壊れてなかったんじゃあなかったっけ?」


「うん。それは間違いないよ──ズレていたのは公園A地点の時計だったんだ」


 事の真相は以下の通りだ。

 A地点を歩行者が通過し、その際に公園の中にある時計を目にする。

 しかしそれは壊れていて、を示している時計だ。

 ズレた時間を刷り込まれた歩行者はそのままB地点に到着し、そこでを示している時計を目にする。

 そこでようやく、彼彼女は『時間のズレ』を認識するのだ。

 SF的に言えば、五分前の世界から戻ってくるのだ。

 しかし当の本人は自分が五分前の世界にいたことを自覚していないため、主観的には『時間が五分飛んだ』というミステリーが生じてしまうのである。


「思えば仕方のない勘違いだよね。誰だって、何かしらの異常を認識すれば、自分が気が付いたタイミングや場所にこそ、その発生源があると思い込んじゃうものだもん。実際、調査するまで、私たちの誰も公園A地点の時計の存在に気が付かなかったし」


 妹はブルーな気分のまま、納得したように言った。

 時間が飛ぶ道──その答えはA地点に戻ればすぐに明らかになるものだった。

 五分とかからずに解明できる謎である。

 下校中だったという妹の友人たちは、その僅かな手間をかけることすら惜しんだのだろうか?

 ……いや、そんな理由がなくとも、彼女たちが再びA地点へと戻ることはなかっただろう。

 時空間的な異常を体験した直後に、その原因と思える道を再び歩くという挑戦を、たったひとりで敢行できるのは、よほど肝が据わってないと無理だ。少なくとも私にはできない。

 そんなことができるのは、『謎』に異様な執着を持つ天才美少女くらいである。


「私としては『時間が飛ぶ道』よりも、その正体が明らかになった後の調査隊の空気の方が怖かったけどね。「ここだけ冬が到来したのかな?」って思うくらいキンキンに冷えちゃってさあ……泣きそうになっちゃった」


「すべての真相を知った後で考えると、狭い範囲で語られる噂話だからこそ成立する話よね、これ」


 A地点の『知尽高校の裏門から延びる道から外れた脇道』という立地が、この『謎』を噂に留めるのに欠かせなかった要素だったのは間違いあるまい。これがもっと人の往来が激しい場所での出来事だったら、真相はすぐに明らかになっていただろう。

 体験者が少なかったからこそ、タイムトラベルはタイムトラベルであれたのだ。

 夢を壊されて落ち込んでいる妹を慰めながら、私は心のどこかにほっとしている自分がいることに気が付いた。

 一週間という少ないタイムリミットの中で四苦八苦している私にとって、時間は何よりも大切なものである。

 たった一瞬で時間を失ってしまうタイムトラベルなんて、悪夢のような現象だ。

 だから、それが否定されたというのは、妹には悪いけど、喜ばしいことだった。

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一上銅華の導火線 女良 息子 @Son_of_Kanade

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