第2話 八月第四週(解答編)

「要するに警告なんですよ、その化物の落書きは」


「警告?」


「ええ。危険性を伝えるためのハザードシンボルです。長瀬さんだって道路で黄色い警告標識を見たり、病院で放射線マークを目にしたことはあるでしょう? 身近なところで言えば……ほら、この部屋のすぐ近くにもありますよね?」


 そう言われ、私は特別教室棟の三階から屋上へと続く階段を封じているロープを思い出した。


「あれは単なる通行止めだけではなくて、『こんな風に封鎖されているということは、ここから先は危険だ』と示す役割も兼ねているんですよね」


 ちなみにだが、この部屋で、薬品や劇物が犇めく『化学準備室』で最もデンジャラスな物体と言える爆弾には、その危険性を示す表記がひとつもついていなかった。

 ……ともあれ、なるほど。

 一上が言うように、世の中には我々の生活を日常的に守ってくれる標識があることは理解した。

 しかし。

 しかし、だ。

 あの見るだけでトラウマになること間違いなしな絵の何処に、そんな教訓めいた要素が含まれているというのだろう?


「そもそも警告なんて、怖くて恐ろしいのが当たり前ですよ。そうじゃなければ、効果はありませんからね。その点、長瀬さんが見たという大蛇のイラストは、警告として効果覿面だったわけです」


「それは……たしかにそうだけど」


 『目を閉じれば今でもその絵を鮮明に思い出せる』と言った私が、一上の推理を否定することはできなかった。あの蛇と直面した際に感じた恐怖を完全に忘れるには、かなりの時間がかかりそうだ。

 警告としての落書き──だとしたら、私がそれを見て、メッセージ性めいたものを感じたのは当たり前だった。何せ、それはメッセージそのものなのだから。


「だけど一上さん。あの大蛇の化物が警告として描かれたと言うのなら、それはいったい何を警告しているの?」


 私が見た掲示板が大蛇を収容している檻の前に立っていたのなら、その答えは明白だが、そんな動物園みたいな都市計画をわが町は実施していない。

 蛇についての警告、と言うのなら、たしかにあの絵を見る前と見た後で、私の中にある蛇への警戒心はかなり変わった。今後しばらくはコーンスネークにだって触りたくない。

 しかし、蛇なんて警告されるまでもなく危険だと周知されている生き物だし、そもそも(私が記憶している限り)蛇が発見されたという報告が出たことが一度もない地方都市に住んでいる私たちに、そんな警告が必要だとは思えない。


「そう、それです。。そのステレオタイプを、作者は利用したんです」


 危険性を伝えたかったのではなく,危険性で伝えたかったんですね──と美少女は言う。


「ですから、絵の中で人間を襲っていた化物が必ずしも蛇でなければいけない理由なんてないんですよ。その恐怖が知られていれば、ライオンでもワニでも鬼でも悪魔でもよかったんです。それでも蛇を描いた理由を見出そうとするなら……描きやすいからですかね?」


 蛇って他の動物と比べて手も足もないシンプルな体の構造をしていますし、と言って、一上は開いた両手と浮かせた両足をぶらんぶらんと振った。

 

「代替可能なハザードシンボルであるソレと、道路の警告標識や病院の放射線マークや階段を封鎖するロープの間に、本質的な違いはありません。──さて、ここまで語れば、私に劣らず優秀な頭脳をお持ちの長瀬さんなら、大蛇の存在が何を警告しているかなんて、もうお分かりですよね?」

 

 ニヤニヤと揶揄うような笑みを浮かべながら問いかける一上。これではどちらが『謎』の出題者なのか分からない。

 優秀な頭脳て。

 たったひとりで爆弾を完成させた天才児から言われると、嫌みにしか聞こえない。

 前話でも言ったように、私は自他ともに認める落ちこぼれなのだ。学校の存亡がかかった危機の中心なんて、役不足が過ぎるのである。


「他ならぬ長瀬さんに対してこんな指摘をするなんて釈迦に説法みたいなものだと思いながら言わせてもらいますけど、役不足の意味は『能力に対して役目が軽すぎること』であって『能力に対して役目が重すぎること』ではないですよ」


「間違った日本語を使ってしまうくらいに自分はポンコツってことを表現したんだよ、今のは──それで、なんだっけ」


 大蛇が何を警告しているか、か。

 そんなもの、ここまで聞けば誰でもわかることだ。

 むしろ、一上のように話の概要を知っただけで、この答えにたどり着くことができなかった自分の不出来さに嫌気がさす(たどり着けていたらたどり着いていたで、彼女に献上する『謎』を喪失し、私は非常に困ったことになっていたんだろうけど)。

 ……ああ、やれやれ。

 これだから嫌なんだ。

 秀才とか、天才とかいうやつは。

 一上銅華は賢く美しい少女であり、並ぶ者などいない至高の存在だ。それゆえに私は、彼女と一緒にいるだけで劣等感に苦しめられてしまう──苦しくて狂いそうになる。

 圧倒的な美点。それは一種の劇物だ。

 私はそれを恐ろしく思う。

 爆弾がなくとも、こんな部屋からは一刻も早く退散したい。

 だから私は言った。


「落書きの作者は地図上に恐怖の象徴といえる蛇を、ハザードシンボルを描くことで、その場所が危険であることを示したかったんでしょ?」


 大蛇の化物は道路でなければ壁でもなく、掲示板の地図だけに描かれていた。

 それが単なる落書きなら、描かれる場所はどこでもいいはずなのに──しかも、地図上の位置まで同じだったのだ。

 ここまでくると、作者の気まぐれや、癖や、偶然なんかじゃない。

 理由のある必然だ。

 地図の右下に蛇を描くことで、作者は伝えたかったのである──この地点は危険だと。


「そういえば先ほど長瀬さんがチラッと言っていましたけど、この町には素行があまりよろしくない不良と言える集団がそれなりにいるんですよね。もしかして、その落書きで示されている場所は、彼らのたまり場だったりするんじゃないですか? だとしたらそこは、警告するには十分な危険地帯と言えるのではないでしょうか」


「さてね」


 私は不良漫画によく出てくる、裏の世界の事情に詳しい情報通じゃないんだから、そこまでは知らない。

 そもそも、大蛇で示されていた地域には行ったことがないし。


「なるほど。しかしそれは裏を返すと、善良なる一般市民である長瀬さんが足を運んだことがないくらいに、そこが不良なるアウトロー向きのエリアであることの証明になるんじゃないですかね?」


 見透かした風なことを言う一上だった。そもそも彼女なら、この町の地理や不良のたまり場なんて、当たり前のように知っているはずであり、そんな彼女がここまで言うのなら、きっとそういうことなのだろう。


「ともあれ、よかったですね。奇妙な化物の正体が、『人々の安全を守りたい』という平和的な思想を持った、正義感の強い誰かの善意の産物で」


「いいわけがあるか」


 公共の掲示板への落書きは立派な犯罪だ。

 警告が目的だった? 平和的な思想? 正義感? 善意の産物? 

 知るか。

 あんな気味の悪い絵を見せられた人が、どれだけの心的苦痛を負うと思っているんだ。私以外にもあの絵を見て怖い思いをした人はいるだろうし、このまま放置すれば、被害者はどんどん増えていくだろう。

 世間ではそれを、悪行と言うのである。

 善意から生じる悪行なんて、迷惑なだけだ。


「まあ、それでも──悪意から生じる悪行よりはマシなのかな」


 私はそう呟いて、一上を見る。

 一上。

 一上銅華。

 闇よりも黒い長髪を持ち、光よりも輝く美貌を持つ少女。

 そして。

 闇よりも黒い悪意を持ち、光よりも輝く頭脳を持つ少女。

 今回は彼女の企みを一週間遅らせることに成功できたが、今後もそうなるとは限らない。

 来週は果たしてどうなるか。

 一週間後までに私は、彼女のお眼鏡に適う『謎』を見つけられるのか。

 そしていつか、学校爆破計画を永遠に停止させられる『謎』を見つけられるのか。

 想像するだけで胃が痛くなる。

 私は来た時と同じくらい陰鬱な気分になりながら、化学準備室を後にした。

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