第4話 春日事変
【2095年1月1日】(平明元年)
14歳の世仁親王が即位し、新しい天皇となった。年号制度を復活させ、「平明」と改元した。
原因→格仁天皇御定の皇太子が早世し、第二順位の海仁親王が戦死したため、第三順位の世仁親王に引き継がれる。年号の「平明」は、諸葛亮の書いた「出師表」から取った。
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【1月6日】
世仁天皇は、九州・中国連合軍の総将である浦上三郎を首相に任命し、内閣を総理した。
原因→「九州・中国」連合軍が先の戦闘で京都を守り、敵軍を大破したためだ。だから、それをご褒美にする。
マーク→連合軍将校を中心とした「九州・中国」派が政治に参加し、「保皇派」が内閣を主導する局面を打破する。「保皇派」と「九州・中国派」の新しい政治バランスが形成された。
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【2098年4月7日】(平明四年)
九州・中国連合軍の新総大将三村玉介は、内閣総理大臣浦上三郎に呼応して京都に入り、保皇派を絞殺した。これを「春日事変」という。
原因→「九州・中国派」と「保皇派」の政見の差が大きかったため、「九州・中国派」の不満が噴出した。対立が一触即発になる。
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【4月10日】
東京の政権軍は糸魚川—大町間の統制線付近を攻撃し、京都の内乱にうちて爆撃機で京都を空襲した。
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【4月11日】
「九州・中国」連合軍の三村玉介大将、京都で軍事動員集会。「皇権を護り、団結して、非合法の東京傀儡政権を壊滅せよ」と宣言した。
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