第3話 格仁天皇は退去を拒否

2094年に発生した「京都包囲戦」は、日本の内戦の歴史上最もすばらしい戦いである。この戦いは、日本の内戦の転換点ともいえる戦いでした。


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【2094年9月27日】

九州と中国を中心に地方政府が軍隊を組織し、京都への支援を開始した。そして神戸を拠点に、「淀川・桂川」以西の地域を一挙に回復し、京都の対外連絡が回復した。東京政権軍による包囲網崩壊。


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【9月29日】

東京政権軍は二度目の京都包囲を組織しようと、前線から大阪と奈良に撤退し、神戸と亀岡の攻略に備えた。


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【10月1日】

「九州・中国」連合軍の先鋒は、突如滋賀を奪還して、名古屋に向かった。東京政権は驚いた。


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【10月2日】

東京政権軍が奈良に撤退、京都包囲網が解消。


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【10月3日】

東京の政権軍は、宇陀・名張線をつたって、津市へ退いた。海路静岡まで引揚しようとした。「九州・中国」連合軍は名古屋を占領し、愛知県南部を制圧した。


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【10月5日】

「九州・中国」連合軍は奈良・大阪を奪還し、伊勢湾を封鎖。


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【10月10日】

東京政権の援軍は愛知県に到着して渥美半島を占領し、在津市の軍を解囲した。「九州・中国」連合軍、知多半島で渥美半島の敵を砲撃。


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【10月25日】

津市を占領していた東京の政権残存軍は、渥美半島を通って静岡に退いたが、大損害を被った。


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【11月4日】

「九州・中国」連合軍、敵軍を追撃、静岡県御殿場市に至る。


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【11月6日】

格仁天皇は京都で没した。京都政権は、富士川沿いに防禦線を築きはじめた。


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【12月】

京都攻撃の惨敗で、東京の政権は、大規模な軍事行動を起こすことができなくなった。京都政権と東京政権は、「糸魚川—大町—岡谷—富士」の境界線で対立の段階に入った。

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