彼の住む世界
@okigiryuuki
第1話
【彼の住む世界】
「先生、ようやくできたんですね!」
博士のラボに入ってくるなり杖をついた青年はそう叫んだ。
「うむ、ようやく……ようやく完成させることができた。これで君に私たちの住むこの素晴らしい世界を見せてあげることができるよ」
博士は目に涙を浮かべながら青年の手を取った。青年は杖を脇に挟むと目を瞑ったまま博士の手を握り返す。
青年は生まれつき目が見えなかった。それが原因で彼はどうしても周囲の人間と自分が別の世界の住人であるかのような大きな溝を感じ、これまでずっと塞ぎ込んでしまっていたのだった。
博士はそんな青年を気の毒に思い、何年もかけてある装置を開発した。それは特殊なスコープを通して脳に直接風景のデータを送り込み込むことで、まるで視力が回復したかのように目の前の景色を見ることのできるというものだった。
「博士、さっそくつけさせてください」
「そうだな。君、例の装置を持ってきてもらえるかな」
博士は助手に装置を持ってこさせると、それを青年の頭に取り付けた。
「安心したまえ。私自身も実験台になって使ってみたが、素晴らしい出来だったよ」
博士が目配せすると助手は装置のスイッチを押した。
「じゃあ、目の前のテーブルに置いてある可愛らしい猫のぬいぐるみを手に取ってごらん」
装置が正常に動作しているのを確認すると博士は青年にそう指示を出した。しかし青年は動こうとしない。それどころか眉を潜めて不快そうにため息をついた。
「どうしたのかね?」
不思議に思って博士が尋ねると、青年は不機嫌そうに「博士、これ故障しているんじゃないですか?」と呟いた。
「そんなバカな……」
博士は慌てて助手の手元にあるパソコンの画面を覗き込む。そのパソコンから装置を通した映像を見ることができるのだ。
「おかしな所はないと思いますが……」
助手は困ったように首を振った。
「もういい加減にしてくれ、おかしくなりそうだ!」
青年は大声をあげると装置を無理やり外して放り投げてしまった。
ガシャン!
装置は大きな音を立てて床に転がった。
「ああ!なんてことを!」
博士は急いで装置を拾い上げる。
「そんなはずはない!これは私が何年もかけて作り上げた最高傑作だ、故障などしているはずがない!もう一度つけてみてくれたまえ!」
カッと頭に血が昇ってしまった博士は、半ば強引に装置を青年に取り付けた。すると始めは暴れて抵抗していた青年は、次第に大人しくなってその場に立ち尽くしてしまった。
「博士!」
そこでようやく博士は助手の声に気がついた。
「今すぐ装置を外してください!さっきの衝撃で装置が故障して、脳に送り込む映像がひどく歪んでしまったんです!普通の脳では耐えられません!」
博士は一瞬遅れてから助手の言葉を理解してサッと青ざめた。
「なんてことをしてしまったのだ……」
博士は大慌てで装置を外そうとした、しかし青年はそれを手で制した。
「何をするんだ⁉︎今すぐそれを外しなさい、それは故障しているんだ!」
博士がそう叫ぶと、青年はおかしそうに笑う。
「故障?とんでもない!これですよ、これこそが僕の思い描いていた景色だ、これこそ僕の見たかった世界だ!あぁ、なんて美しいのだろう。それにこの猫のぬいぐるみもなんて可愛らしいんだろう……」
テーブルの上の猫のぬいぐるみを愛おしそうに撫でる青年を見て、後ろで助手が嗚咽を漏らした。
「博士、ありがとう!僕たちはこんなにも素晴らしい世界に住んでいたのですね!」
博士の手を取り青年は喜んだ。先程まで手放せなかった杖は今や床に放り出されている。
博士は青年のつけている装置のスコープレンズに写った自分の顔を見てようやく、彼が自分たちと違う世界に生きていたのだということを悟った。
彼の住む世界 @okigiryuuki
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