第2話 星空の勇者

 穏やかな風に雲が乗って、太陽が下りへと向かう時間。アティア・ステイスはテリート所有の館の2階ホールで、派手なデザインの椅子に座って瞼を閉じていた。外から聞こえる鳥の鳴き声に耳を傾けそうになるのを我慢しながら、隣の部屋に意識を集中させていた。



 僅かな物音。普通の人間なら気づかないような音を聞き分けると、アティアは座り心地の悪かった(主に精神的に)派手な椅子から立ち上がると、隣の部屋の前まで向かった。



 コンコンっと扉を軽くたたく。戸惑ったような息遣いが聞こえた。そしてどうぞと言う声を聞くと、アティアは部屋に入った。



「やあ、ぐっすり眠れたかい」

 アティアは気さくに、部屋のベッドに腰かけている男に声をかけた。



 男は黙っていた。意図的にではなく、返事に困っている様子だった。アティアは言葉を続けた。



「昨日というか、夜の事なんだけど、君、すごかったよねえ」

「夜、か。やっぱり夢じゃないのか」

「夢ではないね。現実に起こったことだ」

「君は誰だ。なぜ俺を襲った?」

 襲うなんてとんでもないと言いながらわざとらしい表情を作りながら、アティアは続けて返答した。



「私の名は、アティア・ステイス。ピチピチの17歳だ。ついでに容姿端麗。魔法も凄腕のアカデミー2年生」

 背中にあった杖を取り出し振りかざしながら、アティアは自己紹介をした。しかし男はアカデミー2年生?っと反応すると、僅かに肩をすくめながら杖を再び背中に戻した。



「そう、2年生だよ。それで、あなたの名前は?」

「名前?」

「あなたの名前だよ」



 苦い顔を浮かべると、男は言った。



「わからない・・」

「わからない・・とは?」

「だから、言ったとおりだ。自分の名前を知らない。自分が誰なのかも・・わからないんだ」



 男の戸惑いに満ちた言葉に、アティアは目を細める。



「なるほどね。何もわからない、っと。それでは、何か記憶していることは?何でもいいよ。家族とか、住んでた所。美味しかった食べ物とか。何かの匂いでもいい」

 アティアは質問すると、男は立ち上がって頭を抱えるポーズをして、体を停止させる。再び動き出すまでアティアはその模様を眺める。そして両手を下ろすと男は苦虫を噛んだような表情で言う。



「何も、記憶がない。思い出せないとかじゃないんだ。本当に、自分の頭の中が空っぽの箱のようで・・」

「・・なるほどね」

 アティア・ステイスは不安にさせないよう穏やかな表情で言った。記憶を思い出せない、或いは記憶そのものが存在しないというのはアティア自身想定した事柄だった。大剣の刃を弾いた現象。たぶん誕生の奇跡だろうとアティアは推察した。であるならば、この男はこの世界に生まれ落ちた赤ん坊そのものなのだ。たとえ体が成人男性の体を成していてもだ。ほぼ確実と睨んでいるが、転生したとするならば、そういうものなのだ、転生というのは。もちろんすべてアカデミーの古い文献の受け売りではあるが。



「ならさ。名前、私がつけてあげようか」

 無邪気に提案してくるアティアに一瞬男は面食らってしまう。



「名前を、君が?」

「そう。こう見えても私、めちゃくちゃセンスあるからね。任せてよ。それに、名前がないと不便だし。それとも、おい、そこの男って呼ばせたい?」

「いや、それは勘弁だな」

 男は僅かに笑うと、アティアも笑った。窓から差し込む日差しは柔らかく、部屋の暖かい温度が二人を漂った。



 男は一つ、大きく呼吸をすると口を開いた。

「わかった。君が、俺の名前を付けてくれ」

「そうこなくっちゃね」

 アティアは元気よく言うと、人差し指を立てて男をじっと見る。



「実はもう、これだ!っていうのを思いついてるのよね。めちゃくちゃいい名前を」

「早いな。何て・・いうんだ?」



 指を立てるのを止めると、真面目な顔つきになりアティアは話す。

「マーディアス・グロー」



 その名を男は復唱する。



「そう。この名前は古い物語の主人公の名前。とても素敵な物語のね。この話に出てくる主人公の仲間からはマーディって呼ばれてるの」

「マーディ・・、マーディアス・グロー」

「ね、いい名前でしょ。主人公マーディは世界で最も美しいと言われる星空の剣を使い、恐ろしい竜を退治する」



 星空と言う言葉に、男は一瞬脳裏に情景が目まぐるしく浮かぶ。



真っ青な空に広がる星々の群れ。

知らない老人に人型の光。

そして割れた球体の殻。



 突然表情が固まり、目の焦点が定まらないまま、何もない空中を見つめる男にアティアは首をかしげる。

「どうした。名前、気に食わなかったか?」

 言葉に反応して男はアティアを見返した。薄緑のツインテールで小柄な少女が首を少し傾けながらこちらを見ている。口を開いて頭に浮かんだ情景を話そうとしたが、考え直して別の言葉を口にした。この判断は、男自身にとっても驚くことであり、理屈など何もなかった。



「いや、そんなことはない。気に入ったよ。よし・・わかった。今から俺は、マーディアス・グロー。そう名乗ることにする」

 男はマーディアス・グローを自分の名に決めた。



 アティアは男、マーディアス・グローの様子を見て、ニコリと口元を曲げる。



「よかったわ、そう言ってもらえて。では改めて。アティア・ステイスよ。これから色々あるだろうけど。共に頑張りましょう、マーディ」

 言い終わると、アティアは片手を差し出した。その動作に戸惑い一瞬息が止まったが、慌ててマーディは動作をコピーして握手を成功させた。



「よろしく、アティア」

 マーディの力強い握手に、アティアは快く返事を返した。

「それじゃ下に降りましょう。これからの事を他のみんなと相談しないとね」

「ああ・・そうか。危害を加えてしまった人に謝らないとな」



 アティアはマーディの言葉に頷くと、ドアの方に手を差し伸べて部屋を出るよう誘導した。マーディは素直に従って部屋を出た。アティア自身も部屋を出ていこうとするが、窓に入った太陽の光に一瞬目を奪われて瞼を半分閉じた。



「・・マーディ。一般常識は備わって入るな。思考も安定している。それに、取り分け冷静な判断力を持っている。最後に何か思い出したのか?だとするなら、話さない選択をしたのは、・・面白い」

 アティアは言い終わりながら笑みをこぼすと、日差しが強くなった窓のカーテン閉め、暗闇へと変わった部屋を出た。

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