チャンスを手に

 父は先にテレビ関係者と打ち合わせをするらしい。久しぶりに一人で行動することができる開放感に、思わず笑みがこぼれる。


 会場に行く前に、廃墟に寄った。



「本当に良いのかい、マルクス。私はマルクスの決定ならば否定はしないけれど、どれだけのものを失ってしまうか……」



 最近はゆっくり話をすることもできていなかったコードが、ここぞとばかりにしゃべりはじめる。



「大丈夫、僕はもう決めたんだ」


「私はマルクスを守る盾にすらなってやれない」


「そんなことないよ」



 落ち込んだように言うコードに僕はゆっくり言葉を選ぶ。



「僕がこんな決断をできたのは、コードのおかげだ。コードと一緒に歌って、自分の声を思い出して、ええとそれから、歌うのがこんなに楽しいって気付けたのもコードのおかげだ」


「私は……自分の夢をマルクスを使って叶えようとした……」


「そんなことを言ったら、僕だって声が欲しかった」



 でも、と言ったのは同時だった。



「今は違う、でしょ?」



 僕の言葉を聞いて、コードがしゃくり上げる。声帯しかないのに泣くなんて器用な人だ。



「さあ行こう。これは僕のわがままだからコードのことは置いていっても良いんだけど」


「そんな意地悪を言わないでおくれ。ここまで一緒に来たんだ」


「ありがとうコード、君に出会えて良かった」



 今日の衣装に着替えて、必要なものを用意する。薄い布でできた衣装は、ひらひらとしていて僕には少し可愛すぎる気がした。


 広場にはすでにたくさんの人が集まっていた。多くの人は僕の顔を知らないから、普通に歩いていても問題はない。フクロウの仮面をつけた人たちが、僕の噂話で盛り上がっているのは少し気恥ずかしかった。


 この人たちに罪はない。時間を作って、僕らを見に来てくれたのだ。初めての顔公開という宣伝文句につられたのかもしれないし、最初から僕らのことを好きでいてくれたのかもしれない。冷やかしかもしれないし、彼女の付き添いだってこともありえる。もしかしたら、僕らのことは知らないけれどフクロウが好きだからという人だっているかもしれない。



「なんだか申し訳ないね」


「仕方のないことだよ」



 小声で僕が言うと、コードは先ほどとは打って変わって冷静にそう言った。


 舞台裏には番組スタッフがたくさんいて、僕を慌ただしく迎え入れる。父の姿はなかった。


 簡単な段取りを聞いて、僕は歌えば良いんですよねとコードの声を使って答える。女性のスタッフは、顔を赤らめながら何度も頷いた。


 コードの声はすごい。歌を歌わなくても、話すだけで人を虜にしてしまう。


 本番のカウントダウンがはじまって、いよいよ戻れないところまできてしまった。


 テレビで見たことのある司会の男性が僕を呼ぶ。いや、コードを呼んでいる。歩きながら切れ目を入れておいた衣装をちぎって顔に巻いた。薄い素材だから、前がよく見える。後ろのほうに、にんまりとした笑みを浮かべる父を見つけた。隣にいるのは、テレビ関係者だろう。


 ステージに現れた僕を見た司会の男性は一瞬怪訝な顔をしたが、予定通りの進行を始める。この人がプロで良かった。素人だったなら、きっと騒がれていたはずだ。



「コルクです」



 マイクの前に立ってコードの声でそう言うと、フクロウの仮面を付けた人たちが大きく湧き上がる。バックバンドの演奏が始まって、音楽があたりに漂い始める。


 これでいい。これでいいのだ。


 深く息を吸い込んだ僕の口から出たのは、コードの声ではなかった。バックバンドとお客さんがざわめくのがわかる。


 目を見開いた父が、隣の男性に何かを言われているのが見える。


 気持ちが良い、ざまあみろ。これがあなたの息子の歌だ。本当の息子の声だ。


 誰もが僕をいぶかしげに見るけれど、こんなに気持ちが良いことはない。


 父の言うとおり、これはチャンスだった。コルクという存在を消して、父にささやかな復讐をするチャンス。


 大きな花火があがる演出と同時に、マイクを放って、客席に降り立つ。用意していたフクロウの仮面をかぶって、衣装を脱ぎ捨てる。こうなってしまえば、もう誰も僕がコルクだなんてわからない。ただの一人のファンとなって、戸惑う演技をして見せた。



「お前、嘘をついたな!」


「そんな……本当に息子が……!」


「これじゃあ放送事故だ!」



 父が誰かに怒鳴られているのが視界に入る。最新の注意を払って広場から抜け出すと、背中に羽が生えたみたいに体が軽くなる。



「これでコルクは解散かな」



 コードが嬉しそうにそう言う。



「名前を変えれば良い。再始動だよ」


「それは名案だ。そうだな、何が良いと思う?」


「焦らなくても、ゆっくり決めれば良いさ」



 街を抜けて駅に入った僕は、一番高い切符を買った。


 ホームに滑り込んできた列車が、宇宙を旅する生き物にさえ見えた。



「僕は歌うよ」


「私も歌おう」



 ガラガラな車内で、小声のままコードと会話を続ける。



「この列車、どこに行くのかなあ」


「どこへ行ったっていい。お金ならたんまりあるだろう」



 くしゃくしゃになった茶封筒がパンパンに詰まった鞄を見て、僕はホッとため息を吐く。コルクを愛した誰かの感謝が本当に僕の助けになった。今では遠い昔のように思える言葉を脳内で反芻して、流れる景色を眺める。


 気分は悪くない。それどころか最高だと言える。


 一人旅なら不安があっただろうが、僕には大切な友がいる。



「コード、僕を選んでくれてありがとう」


「それは違うさ。マルクスが私を見つけてくれたんだ」


「二人なら、何だってできそうだよ」


「二つの声を持つシンガー、なんてのも良いかもしれない。一人デュエットだ」



 電車が終点につくまであと何時間あるのだろう。終点についたらそこからまた遠い街に行こう。言葉が通じないかもしれないけれど、音楽は通じるはずだ。



「悪くないね、それ」



 僕らが二つの声を持つシンガーとして話題になるのは、もう少し先の話だ。

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マルクスの仮面 入江弥彦 @ir__yahiko_

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