金のなるコルク
昼はフクロウになって、夜は愛玩動物のように丸くなる。そんな生活を続けていくうちに、コルクを求める人は増えていった。
「今日もお疲れ様」
鼻歌を歌いながら帰っていると、コードが唐突にそう言った。
コードの声とはいえ、歌うのは楽しい。たくさんの人が喜んでくれるのも、僕を必要としてくれるのも嬉しい。音楽がこんなに素晴らしいものだなんて、知りもしなかった。
「最近はなんだか楽しんだ」
「それはよかった」
それきり黙ったコードになにも言うことはなく鼻歌を続ける。今日の最後に歌ったラブソングだ。
「ん……?」
サビの部分を歌おうとしたとき、雑音が混ざったような気がして足を止める。
「マルクス?」
「今、なにか聞こえなかった?」
「さあ、どうだろう」
コードに静かにするように頼んで、今度は鼻歌ではなくしっかりと歌い始める。コードから借りた美しい声の中に、濁った水のような音が混ざっている。
「ねえ、コード、少しでていてくれないかな?」
僕がそう言うと、コードはわかったとだけ言って僕の喉から離れた。青白い光を放つ声帯が夜道に浮かぶ。思い切って喉を震わせると、数年ぶりに聞く音が口から漏れた。
「ねえ、この声……」
「おめでとうマルクス、それは君の声だよ」
コードよりもいくらか低くて、あまり耳なじみはいいとは言えない声。
「僕の声だ……声がでるよ、ねえ、コード」
「そうだね、良い声をしている」
「ああどうしよう、こんなの久しぶりで……」
「ねえ、マルクス。私はもう必要ないかな?」
コードに肉体があれば、眉を寄せて困った顔をしているのだろう。彼は声だけだというのにとても表情豊かだった。自分の声で歌いたいという気持ちはあるが、みんながコードの声を求めていることくらい僕にもわかる。
「コードが必要だよ、みんなには」
「マルクスには?」
そんなことは聞かれるまでもない。最初は一緒にいるのはお互いの利益のためだった。
「必要だよ。コードは大切な友達だ」
今では、僕にとってかけがえのない人物になっている。
肉体がなくても、顔がわからなくても、生きていなくても、大切な人なのだ。
僕の言葉を聞いたコードが体の中に戻ってくる。
「それは嬉しい。私もマルクスのことが好きなんだ」
僕の中から響いた声にくすぐったくなって僕は鼻歌を歌う。コードの声を借りていない、僕自身の声だ。廃墟に戻った後も、コードは僕の歌を聴いてくれた。
歌うことが楽しくなって、自分の声が戻ってきた。人から感謝されるようなことをしているつもりはないけれど、ありがとうと笑って貰えるのは嬉しい。こんな僕でも誰かの役に立つことができるということが嬉しかった。
こんな日がいつまでも続けば良いと思っていた。けれども、状況が変わるのは一瞬だ。僕らが気が付かなかっただけで、変化はとうに始まっていたのかもしれない。
観客が一斉に増えた。フクロウのグッズを身につけている人も増えた。僕が身につけていたフクロウのお面はグッズになって、客席一面がフクロウまみれになった。きっと、この中に僕がまざっても、誰も気が付かないだろう。
僕らを撮影した映像が出回っていると知ったのは、それから少し後のことだ。
「ねえ、マルクス。なにか隠していることはないか?」
痛みに備えて目を瞑ったけれど、降ってきたのは猫撫で声だった。
驚いて父を見ると、にっこりとよそ行きの笑顔を貼り付けていた。
「コルク。コルクか。これはどこから来た名前なんだ?」
誤魔化すことは許さない。そんな圧を感じて俯くと、顎を捕まれて無理矢理前を向かされる。
「しゃべれないのかと思っていたが、歌えるとはな。ずっと俺を無視していたわけだ」
「ち、ちが……」
「久しぶりに声を聞いたな。そんな愛らしい声で鳴いていればもう少し優しくしてやっても良かったのに」
僕が大慌てで首を振ろうとしても、父の手の力が強くて動かすことができない。
「明日からは俺と一緒に行動してもらう」
それは、僕にとって死刑宣告だった。
いつものようにペットみたいに扱われて、尊厳を傷つけられる方がずっとましだ。声にならない声を上げながらよがって、父を受け入れているだけで夜は過ぎていくのに。
父は僕を色々な人に紹介した。正体を隠したいという僕の意見は聞いてくれなかった。外で頼んだため、優しくたしなめられた程度だったが、家だったなら僕はもう意識を保てなくなっている頃だろう。
せめてもの抵抗にと僕自身の声で挨拶をしたけれど、口の上手い父はそれを上手く誤魔化した。
地獄のような日々が続き、僕への出演料はすべて父が受け取った。良くしてくれていた孤児院の院長だけは怪訝な顔をしたが、実の父だというと渋々出演料を手渡していた。
ああ、助けてください。
そんな僕の心の声がこの院長に伝わればいいのに。最初の時に父と重ねてしまったことへの罰が当たったのかもしれない。
「明後日はテレビが来る」
「テレビ……?」
破れたソファーに座る父の前に立った僕は、思わず顔をしかめた。そのリアクションを見逃さなかった父が僕の腰を持って自分のほうに引き寄せる。
「なんだその顔は」
「テレビって、その、何をしに……」
「明後日広場で開催される音楽フェスティバルのゲストで出演することになっている」
「え……?」
そんなものがあるなんて聞いていない。父が勝手にオファーを受けたということだ。
「お前の歌を放送するんだ。生放送らしい。仮面は取れ」
「でも、それじゃあ顔が……っ!」
言い終わる前に、腹部に鈍い痛みが走る。上手く酸素を取り込むことができない。おなかを押さえてうずくまろうとしたが、がっちりと肩を掴まれて阻止されてしまった。
「いいか? 今のお前は金のなる木だ。これはチャンスなんだぞ」
金のなる木という表現に、孤児院の院長の言葉を思い出す。
いくらでも逃げ道があったのにそうしなかったのは、父と離れるのが怖かったからだ。どこかで、本当は愛してくれていると信じたかったからかもしれない。でも、それは僕に対するものじゃなかった。
「わか、り、ました……」
呼吸を整えながら僕がそう答えると、父が優しく頬を撫でてきた。この優しさは僕に向けたものではない。僕の先にあるお金に向けたものだ。
「楽しみにしているよ。これで有名になったら、もっと仕事が来るはずだ」
「チャンス……」
「そうだ、物わかりが良いな。今日はうんと良くしてやろう」
父が僕の服に手をかけながらそう言った。
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