第46話 私はだれ?

 次の土曜、昼下がりに私は息子の悠吾を連れて電車に乗っていた。


 土曜でも誠司は部活で学校。でも休日やもん夜遅くまではかからんはず、と踏んでアポ無しで来てしまった。


 なんて連絡すればいいか、わからんかったから。


 駅を出て、夕方の道を徒歩で数分。途中で高校生らしい制服の子ら数人とすれ違ってどきりとしながら、前に連れて来てもらった日の記憶を呼び起こしながらアパートまでたどり着いた。


 オートロックのインターホン。押していいもんか少し迷って、指を伸ばしたり引っ込めたりしていたその時やった。


「……あっ」


 夕日に照らされる中、見知った姿がこちらに近づいていた。見知った姿、女の人と歩くその姿。


 相手は私に気がつくとその場に立ち止まって一瞬目を丸くした。それから一緒にいた女の人に「や、ごめん」と突然謝る。


「リナちゃん、今日はあかんわ。ごめんやけど帰ってくれる?」


 リナちゃん、と呼ばれた女の人は当然驚いて「は?」と返す。そしてその目線を誠司からこちらに移してきた。だれ? と顔に書いてある。だれ、と言われましても。


 彼女ではないし。

 もちろん婚約者でもない。

 まさか妹なわけもなく。

 幼なじみ、ではあるけど、私の抱きよるこの子は……。


 えと、じゃあ、私は……だれ?



「家族や」



 唖然としたのはリナちゃんだけやなくて、私もやった。


「ごきょうだい……?」


 その目をぱちくりして誠司と私を見比べるリナちゃん。残念やけどあなたが探しよる似たところは私らには一個もないですよ。


 誠司は「ふ」と笑うと「また連絡する」とまだ戸惑うリナちゃんの両肩を持って方向をくるりと反転させると、その背中をそっと押した。


 慣れたふうにひらひら手を振るその顔は詐欺師のスマイル。リナちゃん、騙されよるよ、あんた。はやく目を覚まして。


 疑わしげに何度もちらちら振り向きながら進むその背中が見えんくなるのを確認すると、やっとこちらに向き直った。


「なんや、いきなり」


「悪かったな、邪魔して」


 売り言葉に買い言葉。また言い合いになるかと思ったけど案外誠司は「目立つよって、中入って」と解錠した。



 来るのは二度目。けど前回はあんな調子やったから。今回改めてちゃんとその部屋を見ると案外綺麗で、というか物がほぼなくがらんとしていた。


 適当に座って、と言われたので適当に床に座ると「普通ここじゃろ」とソファを指された。ならはじめからそう言え。


 じとりと睨んで座り直すと、恒例にするつもりかしらんけど例の「悠吾ー、おとうやぞー」が始まったので「やめて、アホが伝染る」とお決まりを返しておく。


「そんで遥々、なにしに来たんじゃ」


 躊躇いなく先生の格好から部屋着に着替えながらそう訊ねた。心当たりはないらしい。


「……瞬くんと」


 どう説明しようか少し迷って、意外とセンスのいい足元のラグを眺めながらぽつりと言う。


「別れたんか。やっと?」


 訊ねられてそうか、と気づいた。誠司はそれもまだ知らんわけか。


「とうに別れたよ、あんたが殴ったあの日に、振られて」


 言うと誠司は面白くなさそうな顔をして「そら悪うござんしたな」と不貞腐れた。


「で、なに。恨み言でも言いに来たんか」


 言いながら冷えた天然水のペットボトルを向けてきた。夕方とはいえ真夏の炎天下に歩いて来た身としてこれはありがたい。


「酒ばっかで飲めそうなんこれしかないし、我慢せえ」


 本心では喜んで受け取りたかったけど、素直になれん私が受け取るのを躊躇うとテーブルに「ん」と置いた。そして自分は近くの床にどかりと腰を降ろす。


「言っとくけど俺は反省なんせんぞ。あいつが警察沙汰にしようが謝る気はない」


 きっぱりとそう述べると床からこちらをガラ悪く見上げる。何度も言うけどこれでほんまに教師かい。


「……わかっとるわよ」


 答えると、急に泣きたい気分になった。


「誠司……」


 声が、震えた。誠司はそんな私に気づくと、なにかを察したらしく小さくため息をついて苦い顔をした。


「聞いたんか」


「……聞いた。……ちうか、見た」


「は、相手を?」

「妊婦さんとおるとこ」


 答えるとさすがに驚いて「おい待て」と慌てた。


「あいつから直接聞いたんか」


「……うん」


 私が答えると誠司は少し頭を抱えて「どういう神経しよるんじゃ」と吐き捨てた。


「あんたのこと悪く言うもん、『クズはあんたよ』ちて吹っ飛ばしてやった」


 すると誠司はまた驚いて、それから「ぷ」と噴き出した。


「彼女の前で?」

「まさか! さすがにそれは出来んよ」


 私がそう答えると「なぁんや」と残念がる。


「彼女にも見せて教えてやりゃよかったのに。『あなた騙されてますよ!?』ちて」


「……どこの誠司よ、それ」


 病院でのナミちゃんの一件が甦った。誠司はそんなこと記憶にないような顔をしながら続ける。


「ほんま最低カスやったで。あのガキ」


 相手はあんたのこと『クズ』や、言うてたけどな。


「相手に子どもが授かっらしいもんそっちと結婚せなあかん。やから俺に真知とヨリ戻してくれ、ちて頼んで来よったんじゃ」


 ──ほんまのこと真知ちゃんが知ったらさすがに可哀想やん。子どもの実の父親の誠司さんがこのタイミングでひと言「戻りたい」言うてくれたら万事うまくいくんです!


 ──ほんの出来心、いうか。遊び、いうか。ほでも責任取らんとかあんし、真知ちゃんに恨まれでもしたらかなわん。これ以上面倒なんはごめんやで。



「おまえのことまでバカにしよって。それでつい……手が出た」


 久々やったもん加減がわからんくて、ちょっと吹っ飛ばしすぎたけどな。と反省なんか一個もしてない顔で付け足した。


「なんでそれあの場で言わんかったんよ」


 それを聞きよったら誠司にあそこまで酷い言葉を浴びせることもきっとなかったのに。


「それは……おまえが傷つくかもな、ち思ったからじゃ。ただでさえ産後すぐで不安定やろうに」


「っ、アホ……」

 いらん気遣いしてカッコつけよって。


「ほんっま男運ないの、おまえ」


 くつくつと笑われて気分が悪い。「あんたも含めてやわ」と苦し紛れに返した。


「しかしまだのこのこおまえの前に現れたりするんか。鬱陶しいの」


「たまたまよ、向こうは私が誠司と戻ったと思いよったらしいし」


「は。人の気も知らんと」


 吐き捨てるように言うと「そんで」と私に続きを促した。そんで……?


「そんでなんでわざわざ来たんじゃ」


 なるほど、そこに話は戻るわけですか。


「……謝りに来た」


 情けないけど、かなり小さい声になった。誠司は面白がって「はん?」と聞き返す。こいつは。仕方ないから半分ヤケになりながら続ける。


「だから。わけも聞かんと、酷いこと言うて、ひっぱたいて、その、……ごめ」「カレー食いたいな」


 私の一生懸命な謝罪を遮ってそんなことを言い出すなんて。


「真知のカレー食いたい」


 らしすぎて、もう笑えるわ。


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