第27話 アホ誠司

 ◇



 聴きたい声があった。


 ちがう、おまえやない。

 こいつもちがう。


 ああ、そうじゃ、その声。


 なんや、元気ないの。

 変な鼻声して。


 ああ、そうか。

 俺が死にそうやもん、泣きよんか。


 はん、アホやの。

 そう簡単に誰が死ぬかい。


 おまえを守る、ち言うたやろが。



 重い瞼の隙間からほのかに感じる。窓から射す朝日に照らされて、薄く見える人影。


 小柄な身長、華奢な身体、心配そうなその眼差しが、目覚めん俺を覗きよる。


 そんな顔、せんでええ。


 もう起きるち言うとるじゃろが。


 

 ◇



 洗面所にいた誠司おかあに声を掛けて、一緒に病室へと戻った。すると────


「なんで、普通りんご持って来るならナイフも持って来るじゃろて」


「……もうちょい怪我人らしくしたら? 誠くん」


 当たり前のように目を開いた誠司がそこにいて誠司おかあ共々卒倒しかけた。


「ああ、おったんか真知。ちょい眩しいよってそこのカーテン閉めて」


 唖然としてその顔を見返した。「うそでしょ」


「なん。ぼーっと見惚みとれて」


 いつもの誠司がそこにいた。それがあまりにいつも通りで、なんやもう、笑えてきた。笑えて、泣けてきた。


 嬉しくて、いろいろ忘れて、抱きつきたいくらいの気持ちやったのに、そう、この男はそんな私の気持ちを一瞬でぐしゃりと踏み潰しよるような、そんな奴なんやった。


「にしてもええな、『人妻』いうんも魅力あるわー。どう? 不倫相手に」


 起きていきなり、なにを言う!?


 ああ、もう。ほんっまに、なんでこんな奴のために私はあんなに悲しみよったんか。心配しよったんか。この身を削ってまで。うあああ。なによこれ、ほんま。アホやん。私。


「はーん? なにもう、センスない冗談やめてよ誠くん」

「冗談ちゃうし。ミク綺麗なったもんな、胸もこう、デカなって」


 呆れるミクさんをめげずに口説き続けるアホを横目に「帰るわ」と静かに言った。力が抜けた。ほんっまにアホらしい。「お大事に」のひと声もなしに誠司おかあに会釈をしてスタスタ早足で病室を出た。


 ああ、あかん。なんでもいいから叩き壊したい心境や。大声でも出したい。暴れたい。くちゃくちゃにしたい。むんんん!


 夢でも見よったかな、私。それとも熱にでも浮かされよったか。はあ、なんでこんな、苦くて塩っぱいんやろか。死ぬほど心配したのに。起きてめちゃくちゃ嬉しかったのに。なんで。なんでよ。なんで泣かなあかんの。


 ふんんんんんっ! アホ誠司っ!



 それから誠司は驚異的な回復を見せてお医者さんすらも驚かせよるらしい。ほんまに、人騒がせな奴。


「誠くんのこと、『刺傷事件』いうて地方ニュースにもなったらしいねぇ」


 店先で話すのはミクさん。今日はかわいい生後六ヵ月の長男くんも一緒。かわいいけど……顔はそのまんま沖野さんというのが笑えるところ。


「乱闘とめようとして刺されたやって。ちうか、生徒が怪我する前に自分に刺させてとめた、ち話」


「……はー、アホやね」


「んふふ。まあ誠くんらしいよね。刺してしもた生徒さんも、罪にならんように、ちてあちこちに誠くんが頭下げよるらしいわ」


「ほんにアホ。呆れる」


「……ねえ真知ちゃん」


 するとミクさんは私を改めて見るようにして「全然違う話するけどさ」と突然切り出した。


「『お婿さん』やないと、あかんの?」


「え?」


 意図が汲めず戸惑ってその顔を見ると、「ああごめん、やっぱなんでもない」と困り笑顔を見せて「あ、そろそろ私帰るね」と逃げられてしまった。


 不思議に思いながらも黙ってその背中を見送った。「真知ー?」


 その時ちょうどお店の中からおかあの呼ぶ声がした。「なんよ」と顔を出すとそこにはおかあと誠司おかあの姿が。なんとなく歳を重ねる度に似てきているような気のする二人の熟女に何事かと近づくと、思いもせん仕事を仰せつかった。


「真知、カレー作ってくれんやろか?」


「は」


 なんで私が? とおかあ二人を交互に見ると、よく似た二つの熟女の顔はもはや双子のように同様にニヤニヤと笑った。


「取り急ぎ必要なんやて。おかあ今から業者さん来るよって抜けれんし、真知なら作れるじゃろ? カレーくらい」


「作れん……こともないけど、それでもおかあみたいに上手には出来んよ。それに『取り急ぎ』ってどういう……」


 訊ねながら理解した。このニヤニヤがそのすべて。


「まさか……誠司の病院に持ってくカレー?」


 冗談やない! なんであんな奴のために私が!?


「病院食足りんし美味しないちて言うよって。何食べたいんじゃ、ちて聞いたら、『カレー』て」


「それはおかあのカレーやないとあかんでしょ、嫌やよ、絶対嫌!」


 絶対「違う」ってバカにされるもん! そうでなくてもまたあの鬱陶しい奴のところにこっちから出向くなんて勘弁願うわ。


「ええやないの。練習よ練習。花嫁修業と思って」


「はあ?」


 断るより先にニンジンとジャガイモをほいほい手渡されてしまった。これぞ驚異的な品揃え、地域を守る、我らが〈柏木商店〉! ……言うてる場合!?


「お肉は冷蔵庫にあるよって。ルウはいつもの棚ね。あ、電話や。ほじゃ、よろしう!」


「ちょっ……」


 あっという間にその場に取り残されてなにも言えずに手の中の根菜たちを見下ろしてため息をついた。


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