第26話 カレー作戦

 どうするん……? と訊ねる私の横で、誠司おかあは「まあそやねぇ」と言いながらスプーンで軽くひと匙それをすくって持ち上げた。


「こぼさんように、こうかな。真知ちゃん、近づけてみてくれる?」


「え……はあ」


 渡されて戸惑いながらも言われた通りにそのスプーンを眠る誠司の鼻先に近づけてみた。


「……誠司ー? カレーやよ、あんたと言えばの、『柏木家のカレー』やよ」


 言ってじっと待つ。変化は……ない。


「……あかん?」

 誠司おかあは眠る息子の顔を覗きながら言う。私はそれに傾げ気味に頷いた。


「起きひんね」

「あかんかったかぁ」


 誠司おかあは小さくため息をついて「はよ起きんかい。もう……」とぼやいた。それがいつもの誠司おかあのようであって、そうやなかった。顔は笑いよるし、口調もいつも通り。でも心の中は不安で溺れそうになりよるのが伝わった。


 誠司おかあ……。もう。親不孝せんのよ、ほんまに、アホ誠司。


「しょうがないね、食べてしまおか。真知ちゃんもどう? 白ご飯もあるよって」


 別の食品保存容器を取り出してこちらに見せてくれた。中身は白いご飯のよう。


「おにぎり、さっきもらったしええよ。おばちゃん食べて」


 なかなか食欲が戻らずそう答えると「ちゃんと食べな倒れるよ」と無理やりカレーライスを押し渡されてしまった。


「冷めよるけど、冷めても美味しいよ」


 そう言ってふふ、と笑った。

「誠司はほんに、このカレーが好きでね」


 そしてそんな話を聞かせてくれた。


「『うちのカレーはちゃう』なん、偉っそうに言うて、私のカレーにダメ出ししよるくらい」


「あ……はは」ものすごく目に浮かぶ。


「何回か真知ちゃんのおかあに作り方聞いたやけどねぇ。なかなか同じにならんのよ。不思議なもんで」


「へえ……」


「なんかあるんやろね。レシピにない、無意識の癖、いうか。そういうんが出るんよ、料理ちゆうのは」


「ふうん……」


 手もとのカレーライスをまじまじと眺めてみた。なんの変哲もない、普通の家庭のカレーとしか思えんけども。


「それ食べたらいっぺん帰り真知ちゃん。ちゃんとお布団で寝んと、ほんまに体壊すよって」


「えっ……」


 ほんまは起きるまでそばにいたかったけど、「ね」と諭されて渋々頷いた。



 帰り支度をしていると、「真知ちゃん」と誰かに呼ばれた。


「えっ、……あ」


 振り向いて驚いた。そこには意外な人、ミクさんが立っていた。今日は赤ちゃんの息子くんはおらず、ひとりで。


「真知ちゃんのお母さんから聞いてね。……誠くん、どう?」


 言いながら一緒に淡い黄緑のカーテンを覗く。変わらん寝顔。ほんまにぴくりとも動かん。不自然なほどに。


「起きんのですよね……」


 困り笑いで答えた。ミクさんは「そう……」と静かに答えて「真知ちゃん、ひとり?」と訊ねた。


「昨日から行ったきり、いうて、真知ちゃんのお母さんから聞いたよって。真知ちゃんのことも心配やから来たんよ。大丈夫? 体」


「ああ……ありがとうございます、大丈夫。私は」


 もう帰るとこやし。と伝えると「そうなんや」と安堵して、教えてくれた。


「お店、真知ちゃんが急に抜けたもん、お父さんとお母さん、ちょっと大変そうやったんよ。お客さんも何人か『真知ちゃんは?』ちて言うてたし。もうすっかりお店に必要な人やもんね、真知ちゃんは」


 言われて恐縮しつつ微笑んだ。

「ありがたいです、ほんに」


 そして誠司をちらりと覗いてから、「誠司おかあおるから、呼んで来ますね」とその場を離れた。


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