30日目『天体の発光について』お題:出会いと別れ
『天体の発光について』
宇宙の片隅をひとりの褐色矮星が、真空の寒さにぶるぶる震えながらさまよっていた。
褐色矮星とは、恒星として輝く一歩手前で成長がとまってしまった星のことを言う。輝けないから褐色、成長がとまってしまったから矮星、というわけだ。
要するに彼は、何者かになろうとあがきはしたが結局何者にもなり切れず、かといってその中途半端に引きずったプライドのために他者の加護を素直に受け取れず、挙句周囲と衝突や反発を繰り返して爪弾きにされてしまった、哀れな存在だった。
思い返せば生まれた時からうだつの上がったためしがない。
物心ついたとき、褐色矮星は赤々と輝く兄の周りをぐるぐる回っていた。出来のいい兄で、褐色矮星よりもはるかに効率よく星間物質を吸収し、はるかに大きく成長していた。褐色矮星の成長が止まった一因には、兄があらゆるものを食べつくしてしまったからというのもあった。とはいえ褐色矮星には、兄が時折こぼすプラズマガスを吸収して少しずつ成長していく道もあったし、成長をあきらめて兄に照らしてもらいつつ輝けなかった星なりに平穏な暮らしを歩むという道もあった。褐色矮星はそのどちらをも拒絶し、兄のもとをフライバイ、飛び出してしまった。
それからはひたすら一人ぼっちで寒さに耐えながらの漂流生活である。
どうして自分がこんな目に。
兄さえいなければ自分でも輝けたはずなのに。
兄さえいなければ。
呪詛を吐いたことは一度や二度ではない。
恨みつらみはコンプレックスとなり、輝く星に対する八つ当たりとして表出してしまう。
ある時は、たまたま通りがかった恒星系にずかずかと入っていく。惑星の軌道を乱し、衛星の軌道を乱し、小惑星の軌道を乱す。すると惑星表面の環境が激変し、時には衛星による潮汐分裂、小惑星の衝突なども引き起こされる。惑星に生命体がいた場合、まず間違いなく絶滅だ。褐色矮星は、こうやって何度生命体を絶滅させてきたか、もはや数えることはできない。
またある時などは、仲良く互いを回る連星系の間に割って入っていく。すると連星系の重力均衡が崩れ、ある時は離れ離れに、またある時は衝突し、どちらにせよ連星の関係性が崩壊する。そうやって何度連星の仲を引き裂いてきたか、もはや数えることはできない。
そうやって少なからず虚栄心を満たしていたある日。
褐色矮星は、これまでにないほどの光と、熱と、重力を感じた。
重力によって引っ張られてしまうのは天体のサガである。
はじめは、今度も荒らすなり冷やかすなりして迷惑をかけてやろう、そんな軽い気持ちで、重力源へと向かっていった。
褐色矮星が目にしたのは、若々しく燃え盛る、巨大な青色巨星である。青色巨星とはその名の通り、非常に巨大な青い星で、星というのは一般的に色が青になるほど高温で明るくなる。
褐色矮星は、自らと青色巨星を思わず比べてしまった。温度は絶対温度にして十倍、質量は二百倍、明るさに関しては、己が輝いていないのだから倍数での比較などそもそも不可能だった。
それだけ巨大な相手である。表情もはっきり見えない、声も届かない、それだけ遠くにいるのに、光と、熱と、存在をしっかりと感じてしまう。
はじめは冷やかすだけのつもりだったのに、気が付くと褐色矮星は、青色巨星の重力圏にとらえられ、ゆっくりとその周囲を公転し始めていた。
褐色矮星にとって公転は、生まれた直後以来の経験だった。
光と熱を長時間にわたって浴び続けると、全身があたたかくなってくる。大きな重力に抱かれて同じ場所を回っていると、居場所を与えられたような安心感さえ覚える。
宇宙をぶらついていた褐色矮星は少なからぬ運動量を持っていたために、ある程度大きな重力源と最適な進入角度を与えられなければ公転軌道に入っていけない。仮に入っていけたとしても安定して公転を続けるためには、程よい距離感を保たなければ、またすぐにはじき出されるか、恒星の熱によって褐色矮星自身が崩壊する恐れさえあった。
かように、褐色矮星の公転生活は不安定なものであり、青色巨星の公転軌道に居ついたことはまさしく天文学的確率の奇跡だった。
その天文学的確率の奇跡が、すこしずつ褐色矮星のすさんだ心を氷解させていった。天体と天体が織りなす複雑な軌道計算が、これほどの安寧をもたらしてくれることに、褐色矮星ははじめて気が付いた。
自分はいままで、どれほど馬鹿なことをしていたのだろう。
惑星を荒らし生命を絶滅させたとき、あの恒星はきっと子供を失うほどの悲しみに打ちひしがれたに違いない。
連星の仲を引き裂いたとき、あの恒星たちはきっと半身を失ったほどの絶望感に打ちのめされたに違いない。
褐色矮星は過ちに対する後悔から、小さく表層大気をほとばしらせた。青色巨星が発する電磁パルスと反応して水色の帯を引く。それはまるで、謝罪の涙のようだった。
褐色矮星はまた、こんな気持ちにさせてくれたことを青色巨星に感謝しようとも考えた。感謝の言葉を叫ぼうとするが、彼我の距離が遠すぎるために届かない。電磁波を飛ばそうにも青色巨星の磁場がはるかに強力だった。
所詮、自分と相手の関係などその程度のものだったのだろう。
たまたま通りすがった際に重力圏に引っ張られただけの小さな暗い矮星では、あの青く輝く巨星に釣り合わない。
ただの、片思いでしかないのだ。
けれど。
それでもいいか、と思えた。
青色巨星の公転軌道を回るものは、褐色矮星しかいなかった。
あの青色巨星もまた、その巨大さゆえに、大量の星間物質を食い尽くし周囲に星の生まれる余地を残さなかった過去がある。また、その高熱と高重力のために、よほど運のいい天体でもなければ、近づいた瞬間に燃え尽きるか落下衝突してしまう。褐色矮星が滑り込んだ公転軌道は、絶妙に遠い、最も安定できる場所だったのだ。
青色巨星は、その巨大さと明るさゆえにひとりぼっちの星だった。
褐色矮星は、その矮小さと暗さゆえにひとりぼっちの星だった。
正反対でありながら、どこか似ている。
そんな二つの星がたまたま、近すぎず遠すぎもしない関係性を結んでいる。
というのは、少々気持ちが悪い妄想だろうか、と褐色矮星はほくそ笑んだ。
気持ち悪い妄想をしたところで、青色巨星に伝わるはずもない。
褐色矮星はこのまま、緩やかな平穏に身を任せるつもりだった。
ところが、青色巨星に異変が起こる。
急激な膨張をはじめて、美しかった青い球体が、みるみるうちに赤くゆがんでいったのだ。そして、まばゆい閃光と、ねばつくような星間物質を周囲にまき散らしながら爆散した。超新星爆発に違いなかった。
七色のプラズマが、褐色矮星の素肌に押し寄せてくる。
あまりの熱と圧力に、全身が千切れそうになった。
青色巨星は寿命が短い。青い星は温度が高く、それだけエネルギーの消費も激しいのだから、生い先が長くないのは当然だった。
褐色矮星は身勝手とは知りつつも、ひとり残された気分になった。
せっかく、落ち着ける場所を見つけたと思ったのに。
以前は宇宙をひとりでさまよっていながら柄にもなく、寂しくなった。
超新星残骸のおかげで、体は寒くない。
心が寒かった。
もうひとりぼっちはいやだ、というのに。
それならばいっそ、このまま砕けてしまおうか、自分もあの超新星残骸に解けてしまおうか、そんなことすら考えた。
けれども、自分がここに来る前は、あの青色巨星はずっとひとりで輝いていたのだ。腐っていた自分とは違って、だれにも相手にされなくとも誰にも何も与えられなくとも、輝き続けていた。だから自分はこの場所に至った。
このまま消えてしまうような甘えは許されない。
誰に訴えるでもなく、褐色矮星は再び目を開いた。
するとどういうことだろう。
周囲は星間物質が晴れわたり、にもかかわらず自分の体が熱い。
褐色矮星は、しらずしらずのうちに青色巨星の残骸を吸収し、自ら赤く輝く星となっていた。
そして自らの周囲を公転する、小さな惑星までも見つけた。惑星たちはまだまだ生まれたばかりのようで、衝突と分裂を繰り返し、火花を散らしながら少しずつ大きくなっていく。
言いようのない、新しい感情が心のなかに芽生えた。
これからは自分が、あの惑星たちを照らしていかなければならない。
成長し、輝くすべを身に着けた褐色矮星は、赤い主系列星として、永く永く輝き続けた。まるで、青色巨星がここにいたことを証明し続けるように。
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