29日目『怪盗ストレイキャット』お題:勝てない相手

『怪盗ストレイキャット』



 ひとりの怪盗が王国を震撼させた。

 その名はストレイキャット。

 怪盗ストレイキャットは猫の仮面をつけ、猫のような軽業で、次々と王国に伝わる秘宝や珍品名品高級品を盗んでいった。

 彼の名を一躍知らしめたのは山に住むドラゴンの逆鱗を、ドラゴンが生きたままその肌から直接盗んだことだ。故事にもあるとおりドラゴンは、首元に一枚だけあるさかさまの鱗を、触れられただけでも激怒し、三日三晩暴れ続け、国すら滅ぼしてしまう。学者によれば、ドラゴンは喉元が弱点であるから、わずかな刺激でも危険を感じて暴れるという。弱点を守る以上、逆鱗はドラゴンの鱗のなかでも特に頑丈だ。その堅牢さは金剛石をもはるかに凌駕し、魔法や毒すら吸収し無効化する。ただでさえドラゴンの鱗は武具として珍重されるとなれば、逆鱗の価値は指折り数えるまでもない。変わった使い方としては、逆鱗の硬度と表面の絶妙な隆起具合を生かし、香辛料をすり下ろすのにも役立つ。もちろん超高級品なので、国王側近の料理人でしか使えないものではあるが。

 そんな誰もが欲しがる貴重品を、怪盗ストレイキャットは難なく盗んでしまった。二日続けてドラゴンに襲われた不運な冒険者が証言している。一日目に襲われたときは逆鱗は確かにあったのに、二日目には喉元に鱗一枚分のスペースがきれいに空いていた、と。どこにも逆鱗が落ちてはいなかった、落ちていたら見逃すはずはなかった、と。誰かがドラゴンの首から逆鱗を剥がしたに違いない。それも、ドラゴンに気づかれることなく。

 ストレイキャットが逆鱗を盗んだと自ら喧伝したのはその数日後のことである。逆鱗を盗んだ手法は、ドラゴンの乱獲を防ぐため、生態を利用したとだけ告げられている。

 偉業が人々に知れ渡り、ひと時は英雄扱いもされたストレイキャットだったが、すぐさま次の犯行に及んだ。

 国王御用達の小麦畑から、すべての小麦をごっそりと盗んでしまったのだ。畑の主がいつものように朝一番に畑に向かうと、昨夜とは打って変わって畑一面まっ平になっていたらしい。その小麦は、栄養価や味でほかの品種を凌駕し、育てにくさの面から国王に献上される量だけが栽培されていた。市場に出回ることは十数年に一度の奇跡的な豊作時だけ、それも飛び切りの値段が付く。さらにこの小麦は穂が大きく膨らむ特徴があり、脱穀された穂は断熱材として寝具や防寒着にも利用される。それだけ有用な小麦が一晩の間に消えてしまったのだから、とても信じられるような話ではない。実際に不運な畑の主は無実を訴えるも聞き入れられず、三日三晩を牢獄で過ごさざるを得なかった。釈放されたのはこれまた、ストレイキャットの犯行声明が出たからである。

 ストレイキャットがいったいどうやって畑一面の小麦を盗んだのか。造作もないことだった。畑の主が眠りこけていたのは、実は一晩ではなく、一晩と丸一日だった。強力な睡眠薬を盛られた畑の主は、一日中畑で作業するストレイキャットに気づくはずもない。畑は郊外である。ストレイキャットが畑仕事をしていても気にする人間もいない。あとは、予定外の来客にだけ気を付けつつ、一日前の新聞をポストに入れて畑の主の曜日感覚をずらす。刈り取った小麦は大型の材木船にカモフラージュして運んだ。

 以上の内容が犯行声明に書かれており、実際、畑の主の曜日感覚はずれており、見慣れない材木船の目撃情報もあり、ストレイキャットの犯行として確定された。

 この瞬間から、怪盗ストレイキャットは国王にたてつく存在として猛烈な注目を浴びるようになる。一方は国王の敵として、また一方では、ちょっとした日々のスパイスとして。

 怪盗ストレイキャットは誰も傷つけていない、というのも大きかった。

 これまで盗まれたものは逆鱗に国王専用小麦と、庶民の懐すらほとんど傷んでいない。ちょっとしたエンターテイメント気分で、怪盗の次の犯行を心待ちにするものすらいた。

 そしていよいよ、怪盗ストレイキャットの犯行予告が出る。

 犯行予告は初めてのことであり、これまた大いに注目を集めた。

 内容は以下のとおり。

『一週間後の夜十時、王立美術館より井戸のヴィーナスをもらい受ける』

 王立美術館はその名の通り、この国一番の美術館である。

 井戸のヴィーナスはもっとも人気な展示品のひとつであり、井戸の周囲で忙しく皿洗いをする女性給仕の姿を石膏で彫り上げたものだ。女性的な身体美を存分に表現しながらも、運動的な快活さにもあふれ、なんといっても両手に大量の皿を並べているという印象的なシルエットが目を惹いた。造形はもちろんだが、まだまだ労働者の身分が低い時代に作られた彫刻であり、懸命に生きる労働者の姿を芸術の域に高めた功績から、プロレタリアート芸術の嚆矢であるとの評価も高い。この井戸のヴィーナスを国王の名のもとに美術館に展示するということは、国が労働者を重要視しているという政治的なメッセージにもなり、逆にこれが怪盗に奪われてしまうともなれば、国の威信に大いに傷がつくだろう。

 井戸のヴィーナス護衛という一世一代の大仕事を任されたのは、警察官の中でも実力ナンバーワンと目されるドッグ警部だった。名前の通り犬である彼は、まさに犬らしく、国に対する忠誠心、誰よりも利く嗅覚、鋭敏な頭脳、ハンターとしての身体能力にも恵まれ、将来の警察官トップとの呼び声も高かった。ドッグ警部自身、怪盗ストレイキャットにいいようにされている現状を苦々しく思っている。犬と猫というライバル意識も持っている。護衛任務には燃えに燃えた。

 さっそくドッグ警部は国中の警官の中から、自分と同じく犬の警官を集め、犬だけの専門護衛チームを作り上げた。ドッグ警部に負けず劣らず、忠誠心、嗅覚、頭脳、身体能力を選びに選び抜かれた精鋭ぞろいである。

「来るなら来い、ストレイキャット。この俺がお前を必ず捕まえてやる」

 ドッグ警部に抜かりはない。

 そもそも怪盗が美術品を盗む際に犯行予告を行うのはなぜか。推理小説ではおなじみのこの行為、もちろんただの演出ではなく目的がある。美術品の護衛チームに怪盗自身が紛れ込むためだ。話題の怪盗を捕まえるとなれば護衛チームは大々的に組織される。一方で、それだけの人数を短時間で集めなければいけないのだから、人選の網は荒くなる。そこに怪盗の紛れ込むすきができるのだ。一度紛れ込めばあとはどうとでもなる。

 だがドッグ警部は、あえて護衛チームの人数を絞った。少数精鋭での作戦に踏み切ったのだ。そして類まれな戦略眼で、精鋭たちを効率的に配置し、美術館内の死角を見事に塗りつぶしつつ、二重三重の防衛網を築いた。

 護衛チームの身元はすべて洗っている。

 道もすべてふさいだ。

 警官の配置は直前の通達である。

 まさに猫の子一匹、入り込む隙間はない。

「さぁ、ストレイキャット。この状況、お前ならどうする」

 すでに予告の時間に五分と迫っていた。

 夜更けの美術館は閉館をとっくに過ぎていたが、犬警官たちの吐息と熱気に覆われ、設置されたばかりの電燈が煌々と照っている。足跡はない、話し声もない。異音を聞き落とさないためだ。警官たちは動かずにすべての死角をつぶせるよう、要所要所に配置し、一所を監視し続けるように指示を受けている。

 完璧な布陣に思えた。

 ドッグ警部はヴィーナス像の前で腕を組み、屹立。彼の役割である、天窓の監視をじっと続行した。

「どう出る。ストレイキャット。この完璧な布陣にどう挑んでくる」

 三分前。犬警官たちの緊張は高まる。

「まだか。まだ何も動きはないのか」

 一分前。無音が痛い。数メートル離れた隣の警官の息遣いですら聞こえてくる。

「もう時間だぞ。おじけづいたのか、ストレイキャット」

 犯行時刻。全員が総毛だった。耳がこわばり、尾が立つ。

 全員が状況に集中する。息を止め次の瞬間に備える。

 何も起きない。何もないのか?

 全員が一息、つこうとした瞬間だった。

 明かりが絶えた。

「停電?」

 ざわつく。警官たちは思わず見上げる。

 暗闇に落ちる美術館。何も見えないはずのフロアに、ヴィーナスだけが浮かんでいる。天窓から月明かりが差し込んでいた。大量の皿を両手に並べ、それでも起用に舞う給仕の姿は、まさしくヴィーナスと呼ぶにふさわしかった。

 ドッグ警部ははっと気づく。

「気を乱すな! 予備のランタンだ! 予定通りの持ち場を守れ!」

 迅速な指示に、場は落ち着きを取り戻す。美術館のところどころにランタンの淡い光が灯り、また静かになった。何かが通れば影がよぎる。何かがあれば音でわかる。

「落ち着いて警備を続行するんだ。安心しろ、俺は停電も予期してお前たちを配備している。この状況でも死角はない!」

 緊張感が和らいだように、ドッグ警部は感じた。いや、緊張感というよりは突然の停電による恐怖だろうか。ならば和らいだほうがいい。この警備計画に大切なことは何より、落ち着いて決められたことを各人が達成することだった。

 だがその時、ドッグ警部の顔に影が下りた。

 文字通り、下りたのだ。しかも天窓から。

 ドッグ警部は見上げる。

 頭上十数メートル、ぽっかり空いた夜空に、猫のようなシルエット。

「来たな……」

 天窓からの侵入、これも予期していた。そして、これが陽動である可能性まで考えていた。

「聞け! 天窓に奴の影が現れた! 作戦通りに、いいな!」

 陽動であった場合、慌てて警官を集めればほかの場所が手薄になる。あくまで奴に対処するのはドッグ警部自身と、あらかじめヴィーナス像を監視することになっていた数名の警官だけだ。数名の警官たちは大砲を構える。ストレイキャットを捕まえるために開発した粘着弾が入っている。放って次の瞬間、球は破裂し、強力な粘液が周囲に飛び散る寸法だ。これを浴びれば糊のように固まって身動きが取れなくなる。ヴィーナス像に着弾しても問題ないよう、特殊な薬品で簡単に分解できるようになってはいたが、場合によってはドッグ警部自身もこれを被る腹積もりだった。すべて怪盗ストレイキャットを捕まえるためだ。

 だが、ストレイキャットは天窓にシルエットを落としたまま動かない。

「……陽動か?」

 ドッグ警部が逡巡すると、シルエットが動いた。

「来るか!」

 全身の筋肉に緊張が走った。

 次の瞬間、警部の鼻がねじ切れそうになった。

「う――っ!?」

 あまりの激臭にドッグ警部は、涙を流しながら鼻を抑えた。

 同様に周囲の警官たちにも悲鳴が広がっていく。

「こ、この臭いは……酢か!」

 目を凝らせばわずかに開いた天窓に、ストレイキャットが何かを差し込んでいる。霧吹きのようなもので酢を散布していた。

 足が震えた。吐きそうになった。冷汗が滝のように流れる。

 酢は、犬が嫌う臭いの一つ。

 何より厄介なことに、警察の訓練でよく使われるのだ。

 ミスをする、いけないことを覚えこませる、そのたびに酢を忌避剤としてかけられる。

 警官たちが思い出したのは、厳しい厳しい訓練時代の記憶。

 教官の怒鳴り声。全身の疲労。苦々しい泥の味。

「い、いやだ、いやだ!」

「こんなところにいられるか!」

「く、くそ、くそ!」

 ただでさえ犬の鼻はよく利く。しかもここにいるのは精鋭ぞろいだった。酢の臭いは強烈な化学兵器となって犬警官たちの嗅覚を灼いてくる。

「う、ううう……うわああああああ!!」

 ついにはドッグ警部までもが、耐え切れずに逃げ出してしまった。

 美術館内はすっかりもぬけの殻と化す。

「ふふふ……いっちょ上がり」

 ガスマスクを着けた怪盗ストレイキャットは天窓から難なくフロアに降り立ち、ヴィーナス像を手際よく梱包、ロープを巻き付ける。

 そして、自分の体と一緒に釣り上げた。

 屋根にあらかじめ仕込んでおいた熱気球を、時限式で膨らませ、天窓からそのまま脱出する。

「くそ、ストレイキャット!」

 美術館の外では警官たちが気球を見上げていた。

「警部、撃ち落とします!」

「やめろ! ここで撃ち落とせば、ヴィーナス像まで壊れてしまう!」

 結局警官たちは、月夜を悠々と漂う気球を、見逃すしかなかった。

 困ってしまった犬の、わんわんわんという鳴き声だけが王国にこだました。


 ヴィーナス像を見事盗んだ怪盗ストレイキャットは、さらにハイペースで盗みをこなしていく。

 ある時は世界一高級な磁器の皿。この皿は、宝石を溶かし込んだ特殊な溶液に覆われており、ひっかき傷をつけられるのはドラゴンの逆鱗だけ、世界一丈夫な皿としても有名だった。

 またある時は亡き先代女王の櫛。この櫛は貴重な天然素材で丁寧に手作りされていることはもちろん、髪が細かった先代女王に合わせ、非常に細かくも通りのいい歯を持っていた。

 またある時はクリスタルの鈴。その涼しげな音色はどこまでも届くとされ、聞く者の心をつかんで離さない。

 またある時はミノタウロスの皮。柔軟でコシの強いミノタウロスの皮は、肌に優しく吸い付き、最高の装飾品材料として名高い。


 さて、こういった世界中の秘宝や珍品名品高級品を盗んでいった怪盗ストレイキャットだが、家に帰るときはいつも慌てていた。盗みを働くときには常に冷静な彼だが、なぜかこの時だけは大急ぎだ。

 盗みの成果を確認したいからではない。

「ああぁん、たったいま帰りまちたよぉん。さみちかったでちゅかぁ? かわいいでちゅねぇ」

 怪盗ストレイキャットは玄関の扉を開けるなり、ベッドで転がっていた飼い猫めがけてダイブした。

 頬を摺り寄せ、両手で撫でまわし、思い切り息を吸う。

 飼い猫はノルウェージャンフォレストキャットだった。怪盗が顔をうずめてもなお幅が余っている。

「なー!」

 飼い猫は、ストレイキャットの鼻っ柱を肉球でたたいた。

 ふー、ふー、と息が荒い。明らかに不機嫌だ。

「うーん、ごめんなちゃいねー、いますぐごはんにちまちゅねー」

 名残惜しそうに手と顔を話しながら、世紀の怪盗は台所に直行した。

 やっと自由になった飼い猫は、ひとつ伸びをして大あくびをかまし、くだんのヴィーナス像に飛び乗った。なれた足取りで皿と皿の間を渡る。

 そう。世界に誇るプロレタリアート彫刻である井戸のヴィーナスは今や、この飼い猫のキャットタワーと化していた。高さといい安定感といい皿の配置といい、猫が遊ぶにはもってこいだったのだ。ただひとつ値段だけが釣り合わないが。

 部屋を見回すとヴィーナス像だけではない。

 ドラゴンの逆鱗は爪とぎボードに加工されている。

 国王専用小麦はその大きな穂で猫じゃらしになっている。

 亡き先代女王の櫛は飼い猫の長くて艶やかな毛を毎日梳かしている。

 首元にはミノタウロスの皮とクリスタルの鈴で作った首輪がかけられていた。

「待ちまちたかぁ? ごはんでちゅよー」

 そして怪盗は、世界一高級な磁器の皿に世界一高い魚の切り身をのせて戻ってきた。

 飼い猫はというと、ふん、とふてぶてしく鼻息をひとつ、まぁまぁだな、とでもいうようにもりもりと世界一高級なキャットフードを平らげていった。

 世界一高級な磁器の皿をきれいに舐めつくして、ゴロン。

「ああぁん、かわいいでちゅねー」

 怪盗ストレイキャットは世界一高級な猫じゃらしを飼い猫の前で振る。

 飼い猫は面倒くさそうに二、三度手で払いのけてそっぽを向いた。

「構ってくれないけどそういうところもかわいい……!!!」

 そう、怪盗ストレイキャットは愛猫にすこしでもいい暮らしをしていただこうと、世界中から高級品を選りすぐって飼育用品に使っていたのだ。

 ちょっといい飼育用品なら、金を払って買うこともできる。自分で作ることもできるだろう。

 だが、世界最高の飼育用品をそろえようと思うと、どうしても金で買えないものにぶち当たる。

 それならいっそ盗んでしまえ。

 そうして怪盗ストレイキャットは生まれた。

「ああぁ、かわいい、かわいい……」

 ストレイキャットはそっと愛猫の背中を撫でようとする。

「しゃー!!」

 だがその手は、よく磨かれた爪でがりっと引っかかれてしまった。

「痛い、でもそれが幸せ!」

 世界中を飛び回り、盗みを働くストレイキャットだったが、愛猫の心だけはまだ盗むところまで至っていなかった。

 それでも彼は、愛猫に最高の生活を送っていただこうと日々奔走する。

 明日も真の怪盗、いや飼盗を目指して、ストレイキャットは世界をさすらう。

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