8日目『ごっちんさん』お題:バックグラウンドを展開させる

『ごっちんさん』



 横田は目的の寺を見つけた瞬間、心からほっとした。幸い、太陽はまだ高い位置にある。いまから伺っても失礼には当たらないだろう。

 本当はもっと早い時間に来たかった。何せ営業のあいさつだ。ひとつの失敗も許されない。事前アポでお昼のうちに伺いますと電話しておいて正解だった。初めて訪れる地域ではこの小技は必須だった。特に山奥のこんな辺鄙な村では、地図が頼りにならない。

 通りがかりの村人に寺の場所を訪ねたのだが、これがなかなかに大変だった。みな年老いている。限界集落だからそれは覚悟していたのだが、足腰はおぼつかないし、手が激しく震えている老人ばかりだし、記憶があいまいなのか聞く相手聞く相手全員がまったく違う場所を教えてくる。もしも言葉を逃して聞き返そうものなら烈火のごとく怒られる。そんな始末だった。

 いやいや、自分の仕事はそんな老人相手のものだ。これくらいでへこたれたり精神を乱していてはやってられない。

 横田はハンカチで額をぬぐい、髪を整え、ネクタイを締めなおした。

 寺へのあいさつがうまくいけば、それなりの太客になる。

 ここは限界集落。

 人がどんどん死んでいく。

 必要なものは葬儀だ。

 横田は葬儀会社の人間だった。


「失礼いたします。先日お電話を差し上げた横田と申しますが」

「おお、これはこれは遠いところをよくおいでで。どうぞお上がりください」

「恐れ入ります。失礼いたします」

 寺の住職は恰幅のいい壮年男性だった。住職らしく頭はしっかり剃り上げてツヤがある。顔が四角いのが、頼もしくも温和な性格を醸し出しているようだった。

「改めまして、私、■■葬儀会社の横田と申します。本日は、この近くまで伺ったものですから、ご住職にご挨拶をと思いまして伺った次第です」

 横田は名刺を両手で差し出す。お辞儀の角度、背筋、いずれも淀みない。横田はまだ中年手前だが、それなりに場数はこなしている。しかも神経をとがらせている遺族相手の商売柄。立ち居振る舞いは鍛えられていた。

「ご丁寧にどうも。●●寺住職の宍戸です」

 宍戸住職の声は穏やかだ。葬儀会社の名前を出しても嫌な顔ひとつしない。世の中には葬と聞いただけでものを投げつけてくる輩もいる。横田は手ごたえを感じつつ、さっそく本題を切り出した。

「この度伺ったのは、ぜひ弊社にご住職のお手伝いをさせていただきたい、と思いまして」

「と、言いますと?」

「失礼ながら、こちらの村は限界集落だと聞き及んでおります。そこで、万が一のことがあった際には、弊社のノウハウをもって皆様のお手伝いができないかと考えております」

「なるほど。それで、拙僧にはどのような御用で?」

「はい。私共は葬儀会社です。お力になれるとすれば弔事に限られます。この村にお寺はこちらひとつでした。なので、宍戸住職にまずご挨拶をすることが筋だと考えた次第です」

 住職はきれいに剃った顎を撫でる。

「ふむ、回りくどいお話はよしましょう」

 横田は胃が縮む思いがした。葬儀会社の営業として何度もあいさつ回りをしてきたが、それでも仕事として葬式を回してくれ、なんなら風習も教えてくれ、と頼むのは緊張して仕方がない。葬儀はデリケートな話題だし、地域や宗旨宗派でやりかたも全然異なってくる。話題に出すのははばかられるが、話題にしないと何もできない、この矛盾がどうしても胃に来る。

「この限界集落、これからたくさんの老人がなくなるでしょう。人手が足りず、満足いく式を挙げるのは確かにしんどい。そこに目をつけられた、というわけですね」

「……あけすけに言ってしまえば、そうなります」

 住職は口をかっと開いて笑った。歯はきれいだったが、口臭が気になった。年齢のせいだろう。

「いえいえ、結構結構。実のところ、うちでも人手には困っておりましてな。横田さんがいらっしゃって、内心助かっておるんですわ」

「本当ですか?」

「もちろんもちろん。なので、こちらからもぜひ、ご助力をお願いしたい」

「とんでもありません。こちらこそよろしくお願いします」

 表にこそ出さなかったが、横田は心の底から安心した。ここまでうまく話が進むことはめったにない。物を投げつけられて何度も何度も通い詰めて、それでも追い出されるのが葬儀会社の営業だ。宍戸住職に感謝した。今年のお歳暮は、いいものを送ろう、と密かに決めた。

「それで、どうしますか。横田さん。この村の葬儀は少々ほかの地域と変わっているので、お話をするなら早いうちがいいと思うんですが」

「そうしていただけると助かります」

 横田は早速、カバンの中から受注表などを取り出して、机に並べた。

 霊柩車から精進料理、蝋燭、焼香炭に至るまで、今ではすべて社内の流通ネットで管理されている。住職の話を聞きながら、この地域に最適な、品目の一覧表を作るところから始めようと思った。

 ところが。

「お坊さんやー」

 外から老婆の声が聞こえてきた。

「はいはい、何でしょうか、宍内さん」

 障子の向こうには腰の曲がった老婆が、手を震わせながら立っていた。

「うちの旦那が逝ってもうてな、ひとつお坊さんにお願いしたいんやわ」

「そうですか。とうとう……」

 住職は寂しそうな表情を作り、遠くから会話を眺めていた横田も、ひとつ頭を下げる。

「わかりました。お引き受けしましょう。二時間後の十七時からでよいですかね」

「へぇ、ありがとうございます。恩に着ます」

 老婆は手を合わせて住職に頭を下げた。

「ところで……」

 その老婆が、きっと横田をにらみつけてきた。

「あの若造は誰や」

「お寺を手伝いたいと」

「ほん、そうか。では、十七時からお頼みます」

「お婆さんもお気をつけて」

 曲がった背中が、ゆっくりゆっくり遠ざかっていく。

「横田さん。見ていきますか?」

「はい。お手伝いさせていただきます」

 ちょうどいいタイミングだった。

 決してそんなことは口が裂けても言えないのだが。


「宍戸さん。何か必要なものはありますか? 弊社でご用意いたしますが」

「んー、そうだね。いや、これと言ってないかな」

「もろもろの手続きとかも代行できますが……」

「いやいや、ありがたいけどそっちも大丈夫かな」

 横田は耳を疑った。普通の葬儀なら、必要なものごとが山のようにある。線香や蝋燭なら普段から用意はあるのだろう。だが、式の前後に食べる精進料理や、火葬場の手続き、霊柩車の手配などはこの場限りのものである。村に用意があるとは思えなかった。何より、葬儀会社にしか用意できないものがある。

「あの……ドライアイスは……」

 遺体はあっという間に劣化する。そのまま放置しておけば内臓がどんどん腐敗していき、全身の穴から体液が大量に漏れたり、腹部が膨れ上がったりする。それを防ぐためにドライアイスが必要になるのだが、こんな山奥にそれがあるとは思えなかった。

 だが、宍戸住職は突然顔を真っ赤にした。

「そんなもん使ったら仏さんが悪くなるやろうが!」

 突然の叱咤に横田は体を震わせ、一瞬の沈黙が訪れる。

「まぁまぁそういうことやから、横田さんにお願いするものはほとんどないなぁ。あ、肉体労働があったらお願いしますわ」

「わ、わかりました……」

 この村の葬儀は少々ほかの地域と変わっている、確かに住職はそう言った。横田の常識からもかなり外れているような気がした。

 だが、そんな不安はだんだんと薄れていく。

 予定通り十七時から、老婆の家で葬儀が執り行われた。だがそれは、白い布をかぶって布団に寝かされている遺体の前でお経を上げ、参列者が並んでそれを聞く、という非常に簡素なものだった。祭壇もない。写真もない。蝋燭と線香くらいは焚いていたが、焼香もない。宍戸住職の読経だけが広い和室に広がり、座布団に座った老人たちがそれを静かに聞き、時折手を合わせる。それだけだった。読経はほんの30分で終了した。その間、横田は何もすることがなかった。

「あの、式はいまので終わりなんですか?」

「そうですよ」

 少々肩透かしを食らった気分だった。一般的な葬儀では、仕事を受けてからすべてが終わるまで、話し合いから発注から式場設営から支払金額の確認までひと時も休む暇がないというのに。物足りない気もしたが、楽ができる、と考え直すことにする。

「そうだ、皆さん。こちら横田さんです。これからちょくちょく、わたしたちのことを手伝っていただけるそうです」

「突然失礼して申し訳ありません。横田と申します。よろしくお願いします」

 事前の打ち合わせなどなかったが、アドリブで挨拶をする。部屋の中にいた二十人近くの老人に頭を下げる。

 反応がない。視線が痛い。よそ者だから警戒されているんだろう。よくあることだ。心を強く持つ。

「では皆さん、また後程」

「へぇ、ありがとうございました」

 部屋を後にする住職と、頭を下げる老人一同。横田は聞き逃さなかった。そんな彼の肩を住職が叩いて退出を促す。縁側で二人になり、さっそく聞いてみた。

「あの、また後程というのは?」

「そうそう、ここからがこの村の風習っていうんですかね。ごっちんさん、というのがあるんですよ」

「ごっちんさん?」

 ごっつんこは蟻だったか、と意味のないことを思い出す。

「そう。誰かがなくなった日にね、村のみんなで死者を弔いながら肉を食べるんだよ。そっちでいう、通夜振る舞いみたいなものかな」

「なるほど」

 とすると、ご馳走様が訛ってごっちんさんだろうか。

「そのお肉はどうするんですか? 弊社でお取り寄せできると思いますけど」

「いやいや、いいんですよ。そこも村の掟でね。お肉も料理もすべて自分たちの手で用意するんです」

「そうですか」

 そんなものか、とこの時の横田は納得していた。

「横田さんもいらっしゃいますよね」

「はい。ぜひ」

 日が暮れ、夜が更け、ごっちんさんが始まったのは二十一時を回ったころだった。

「すごい……」

 老人たちだけで用意したのだろうか。大鍋が三つほど、家の中庭で焚かれ、味噌のいい匂いが家中に漂っていた。本当に、これをすべて老人たちだけで用意したというのなら、悲しいかな、横田のビジネスチャンスはまだ当分遠そうだった。

「お坊さんや、どうぞお上がりなさい」

 喪主であろう老婆が、お玉とお椀を持ちながら住職を呼ぶ。

「ではお言葉に甘えて」

「ほれ、そっちの兄ちゃんも」

「いいんですか?」

「これも縁や。たまたまやろうが式におってくれたしな。一杯くらい上がってもらわんと」

「恐れ入ります。では、ご相伴に預からせていただきます」

「かたいなー」

 と、老婆は抜けた歯で笑いながら、横田の分もついだ。

 椀の中には大量の野菜と肉。味噌仕立てで豚汁のようにも見える。

「いただきます」

 一口すすり、箸で具材を運ぶ。塩気と香りの強い、田舎の味がした。不思議と安心するのは、老婆の心遣いもあるのだろう。野菜は慣れ親しんだ味。肉はこのあたりでとれた動物だろうか。固くて油が少ないが、噛んでいるうちに独特の味が広がってくる。すくなくとも、食べたことのない味だった。悪くはない。

「どうです、うまいもんでしょ。ごっちんさん」

「はい。おいしいです」

「おーそうかそうか、この味がわかるか。それやったらもっと食べ」

「いただきます」

 横田のこの村での初日は、大成功をおさめたといっていいだろう。

 だが、問題は二日目に起こった。

 葬儀は、故人をきちんと埋葬するまで続く。宗旨宗派によっては四十九日法要などもあるので、長い付き合いになる。横田は携わった葬儀が終わるまでは見届けるつもりで、再び村を訪ねた。

「そういえば宍戸さん。亡くなったご遺体はどうするんですか。土葬ですか?」

 この地域の土葬は条例的にどうなっていたか、とぼんやり思い出しながらたずねる。

「いやいや、ちゃんと焼くよ。まぁ、火葬場じゃなくてこの村で、だけどね」

 人間一人を火葬するのはかなり手が折れる。数十キロ近い肉を、完全に灰にするまで燃やし尽くさなければならない、と言い換えれば伝わるだろうか。燃料も生半可な量ではない。

 それだけ大量の燃料が村のどこにあるのだろう、と疑問が浮かんで、横田はふと思いつく。

 そういえば。

 昨日食べたあの肉は、結局村のどこにあったのだろう。

 ここは限界集落だ。スーパーはおろか精肉店の類もない。老人たちが都合よく葬儀の直後に野生動物を仕留められるとも思えない。肉は、どこからやってきた?

 そんな不安は、燃料の疑問とともに氷解する。

 老婆の中庭で焚かれた薪。

 そこに放り込まれていたのは、死体ではなく、骨だった。

 まだ所々に赤黒いシミのある、細い骨だった。

 横田はその場で吐いた。

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