5日目『ファイヤースターター』お題:書き出しで読者の心をつかむ

『ファイヤースターター』


 青年が火をつけると、あっという間に燃え広がった。

 キャンプ場に集まった素人キャンパーたちは、皆一斉に声を上げる。

 要請に応じて種火が配られる。いくつもの焚火が夕闇をはねのけ、油のはじけるなんともいい音と匂いが次第に立ち込めるようになった。

「このベーコン、美味しい」

 若い女性の声がひときわ明るく響いた。

「家が火事になったときはどうしようかと思ったけど、まさかこんなごちそうにありつけるなんて」

「君のおかげだよ。本当にありがとう」

 彼女のすぐ隣にいた男性が、青年に握手を求めた。青年は快く応じる。

「いえいえ。お役に立てて何よりです。おふたりが落ち着くまでは僕が責任をもって生活のお手伝いをさせていただきますよ。これが数日してキャンプにも慣れてくると、どんどん住みやすくなります。キャンプの楽しさはこれからですから」

「そう言ってくれると助かるよ」

 女性と男性は新婚夫婦だった。すぐ近くに家も買っていた。ところが今朝、自宅が全焼してしまい、藁にもすがる思いでこのキャンプ場にやってきたのだった。

「噂は本当だったわね」

「噂、というと?」

 青年が聞き返す。

「この辺りは結構乾燥してるだろう。だからふもとの町では火事が多いんだよ」

「そういえば、焼け出された人を何度か受け入れたことがありますね。あそこのスティーブンさんとか、すっかりここに居ついちゃって」

「それで噂になってるのよ。この町は、万が一家を失ってもキャンプ場が助けてくれる、しかもホテルに泊まるより格安だって。あなたのことだったのね」

「そんな大げさな。僕はただ当然のことをしているだけですよ。困ったらお互い様です。それに、僕のキャンプ知識がお役に立てるのなら、これほど嬉しいことはありません」

「名前をうかがってもいいかな。わたしはダニエル・レドモンド。こっちは妻のキャサリン」

「ヒーローです。ヒーロー・バーン」

「ヒーロー? わたしたちにとっては名前の通りヒーローよ」

「よく言われるんですよ。英雄になれるようにって親がつけてくれたので。でも、あんまりヒーローヒーロー言われると気恥ずかしくて。なのでバーンのほうで読んでもらえると助かります」

「わかったよ、バーン。これからよろしく」

 レドモンド夫妻とバーンは互いに抱擁をしあった。


 レドモンド夫妻はすっかりキャンプ場に居ついてしまい、夫はここから仕事に通い、妻の家事もキャンプ基準で行われるようになった。警察や保険会社との話し合いにも、特に不自由はなかった。

 ある日、夫が仕事に出ている間、妻がこう切り出してきた。

「ねぇ、バーン。このキャンプ場って、あなたが経営者ってことでいいのよね?」

「そうですよ。何かお困りごとでもありますか?」

「困りごとというか、新しい家が見つかるまでは、ここにいたいのだけど」

「えぇ、かまいませんよ。ぜひそうしてください。ホテルはお金がかかりますし、たまの息抜きならいいとしても、毎日毎日あんなに堅苦しいところに住んでいたら休む暇がありません。でもここなら自然があるし、装備さえ整えればいくらでも羽が伸ばせます」

「わたしもそう思うのよ。本当にここは居心地がよくて。でも、ここを使わせてもらっている以上、そろそろお金を払わないといけないでしょ。その相談をしようかなと思って」

「そんなこと」

 バーンはひとつひとつの動作を見せるように、首を振った。

「火事で家が焼けたのでしょう? そんな大変な時期にお金なんて受け取れませんよ。まぁ、火事が落ち着いた後もすっかり居ついたスティーブンさんならともかく、レドモンドさんはまだまだあわただしい日々でしょうから。お題は結構です」

「本当? そんな、悪いわ……」

「いいんですよ。ただし、新居に引っ越したら、ここには素晴らしいキャンプ場と素晴らしいキャンパーがいる、そうお隣さんにお伝えください。それがお代替わりです。あと……そうだ。お子さんが生まれたらまたぜひいらしてください。キャンプ場代はその時で結構ですよ」

 キャサリンは、涙を流しながら感謝を述べた。


 翌日、キャサリンのもとを刑事が訪れた。

「とつぜん申し訳ありません。私、リチャード・ハントというものです。刑事をやっております」

「な、何かあったんでしょうか……?」

 もちろん、キャサリンは犯罪をした覚えなどなく、緊張が走る。まさか夫が何か?

「驚かせてしまって申し訳ありません」

 刑事は、強面な顔に似合わず、うまく柔和な表情を作った。

「実は先日の火災でお話をお伺いしたくてお邪魔した次第です」

「火災って、うちのですか? でもあれは消防さんが、乾燥による自然発火だって。庭の木が燃え出して、それが家に燃え移ったんだって」

「その節はお疲れでしたでしょうね。その後、ご夫妻の生活はどうですか?」

 このキャンプ場に来てからのことを、キャサリンは手短に伝えた。

「それで、バーンさんにはとてもよくしてもらって。お代もいらないって言うんです。本当に良いかたで助かってます」

「お二人がご健康そうで何よりです。そのバーンさん、はこのキャンプ場の経営者でしたね。いまはどちらに?」

「この後キャンプ場でパーティをする予定なんですが、そのための買い出しに、夫と向かってます。わたしは留守番だって」

「なるほど」

 刑事は細かくうなずいて、決心したように唇をかんだ。

「レドモンドさん。少しお辛い話になるかもしれません。実は、お宅の火災に放火の疑いがかかっています」

「そんな、だって消防さんが……」

「それは存じています。確かに出火元はお庭の樹木であり、特に放火のような跡もありません。ですが、あまりにもきれいに燃え移っているのです。全焼するにしても、本当に跡形もなく燃えてしまっている。自然にこんなことが起こるとは少し、考えづらい」

「はぁ……」

「加えて、このような事件が最近何度か起こっています。スティーブンさんのお宅も、実は疑いがかかっていましてね」

「そうなんですか……」

 なんだか、言いようのない気持ち悪さがある。誰かの恨みを買ったのだろうか。それとも、愉快犯にたまたま標的にされたのだろうか。いやいや、この町は乾燥地帯でもともと火災も多い、我が家もたまたま運が悪かったのだ、疑いなくそう思えたほうが、どれだけ楽だろうか。

「何かお心当たりや、不審な点などはありませんか」

「いえ、まったく……」

 気持ち悪さの原因は、そこにもあった。夫とふたり、教会の教えに従って誠実に暮らしているつもりだった。羽目を外すことはあっても、祈りを忘れたことはなかった。自然発火なら神の試練である。だが、もし放火犯がいたとしたら……。

「ときに、火事の時、ご夫妻はどちらに?」

「ふたりで買い物に行ってました。一週間分の買い物だったので、数時間は家を空けてたと思います」

「幸運でしたね」

 喜ぶべきなのだろうが、やけに刺々しく聞こえた。

「わかりました。ただ、まだ放火と決まったわけではありません」

「そうですよね……」

「ただ、あまりにも火事が多すぎるというので、念のために調べているのです。もし、何かお気づきのことがあれば警察までお伝えいただければ助かります」

「わかりました」

 刑事は、自分の連絡先が書かれた名刺をキャサリンにわたし、キャンプ場を後にした。


「いやいや、大変だったよ」

 肉の準備をしながら、夫は嬉しそうに語る。

「バーンがさ、時間配分を間違えたかもしれないって言ったもんでさ、パーティの準備時間を計算しそこなったんだよ。それでもう大慌て。バーンとわたしは手分けして、とりあえずわたしは食料品を調達して、バーンがキャンプ用品を探しに行って。わたしが調達し終わった後もなかなか遭遇できなくてさ、やっと会えたかと思ったら大量の薪を担いでたんだよ」

 それを聞いた妻は思わず噴き出した。ベテランキャンパーに薪、これほど似合う組み合わせはない。

「さあさあ皆さん、お集まりください!」

 テントの外からバーンの声がした。ちょうど下ごしらえも終えたところだった。ふたりして肉を持ったプレートを抱えながら、外に出る。

「おお、これは」

「すごい!」

 そんな言葉が、ほかのキャンパーたちからも漏れた。

 キャンプ場の中心では、大きな薪が井形に組まれ、巨大なオブジェと化している。薪を調達してきたのはそのためだろう。ここまできれいに組むには、そこら辺の木では大変だ。

「皆さんにはこれから、キャンパー歴二十年、年齢イコールキャンパー歴の僕が、キャンプにおける最重要テクニック、点火の秘訣をお教えします」

 湧き上がる拍手。

 最初の晩、彼が火をおこす光景がキャサリンのなかでよみがえった。家を焼き尽くした火。だが、同時に、冷える体を温め、美味しい食事をもたらしてくれる火でもある。火は、人間生活に欠かせない。ガスや電気に頼れないキャンプならなおさらだ。

「まずは木の棒をご用意。よく乾燥しているものをいくつか見繕ってください。これを、まぁ適当に組みます。今回は、この大きな井型のなかに――」

 笑いとともに、ちゃんと教えろー、とヤジが飛んだ。

「次に、木の棒を一本取りだして、これをナイフで削ってあげてください。すると、薄い木の屑がいくつかできますから、これを、先ほど組んだ木の下に敷き詰めます。ここから燃え広がるんですね。そして次、これが一番大事です。種火をおこします。ただ、これも木の棒を一本用意していただいて、これを削っていくのですが……」

 ナイフが薪の肌を滑って小気味よい音が流れる。

「この時、最後まで削りきってはいけません。こんな風に――」

 バーンが掲げた木の棒は、先端にカールした薄い木屑をいくつも残している。これが指の逆剥けだったら死ぬほど痛いだろう。ヒガンバナを切り取ったもののようにも見える。

「まぁなんかハンドベルみたいな感じで、木の屑が棒に残るようにしてください。あとは、この棒にメタルマッチを当てて、この引っ付いた屑めがけて火花を飛ばします」

 バーンの手元が明るくなる。

 いくつかの火花が木屑に張り付いて、いっせいに燃え上がった。

 つられて歓声も上がる。やはり点火は、キャンパーにとって最も心躍る瞬間らしい。

 火のついた棒はたいまつのようだったが、あっさり地面に投げ捨てられる。

 すると今度は、地面に敷かれた木屑、バーンが適当に組んだ木、そして大きな井型とどんどん燃え移って、あっという間に巨大なキャンプファイヤーが出来上がった。

 夫妻の隣で眺めていたスティーブンが、

「あれほどきれいに燃え移るのは、まさに見事。技術だけでなく、薪の癖を見抜く目を持つからこそできる芸当……」

 と感慨深げにつぶやいていた。

「さあ、遅くなりましたが、今夜はレドモンドさんの歓迎パーティです。たくさん食べて飲んで語り明かしましょう!」

 バーンの掛け声に合わせて、シャンパンのコルクが飛んだ。

 その一時間後だった。

「あの、実は家が火事になりまして。すこし、いさせてくれませんか……」

 老夫婦がキャンプ場を訪れた。

 バーンだけでなくレドモンド夫妻も、老夫婦を温かく迎え入れた。


「いやはや、ふつか続けて申し訳ありません。なにせ、わたしがキャサリンさんと話していた間にも火事があったもので」

 刑事はキャサリンの前で頭をかいた。二日続けての聞き込みは気恥ずかしいのだろう。いっぽうのキャサリンは、顔なじみということもあって、刑事に紅茶を淹れて進めた。

「すみません、わざわざ」

 少し口をつけてから続ける。

「それで申し訳ないのですが、やはり一度この周囲の皆さんに、改めてお話をうかがおうということになりましてね。このキャンプ場の皆さんは昨日どうしていらっしゃいましたか?」

 だが、実際にはある程度の目星はつけていたらしい。

 いまこのテントにいるのはレドモンド夫妻と、バーンと刑事の四人。

 つまりは、聞き込みに来た刑事と、昨日キャンプ場から町に降りていた二人と、その片方の妻、ということである。キャンプ場でアリバイが証明できないのは、買い出しに出かけていたバーンと夫ダニエルのふたりだけだった。

「わたしは刑事さんといっしょでしたよね」

「はい。結構」

 にっこりとほほ笑む刑事。男二人に向き合った瞬間、目つきが鋭くなる。

「それで、ダニエルさんとバーンさんは?」

「僕たちはふたりで買い出しに行っていました」

「ふもとのでかい会員制ショッピングモールですよ」

「えぇ、そうですね。あそこには食べ物もあるし、キャンプ用品もあるし、とりあえず何でもそろいますからね」

 手帳を見ながらうなずく。何かをメモしているというよりは、すでに調べたこととつじつまが合うかどうかを確認しているような風だった。

「もしかして、わたしたちを疑っているんですか?」

 夫がたまりかねて吐き出す。

「いえいえ、そういうわけではありません。むしろ逆です。わたしはお二人の無実を確認しに来たのですから。そもそも、ダニエルさんは被害者で、こちらに移り住む前から火事は起こっています。バーンさんに関しても、ここのキャンプ場を経営してらっしゃるわけですし、犯罪の動機もない、と我々は見ています」

「そうですか……」

 安心したのは夫本人よりも妻だろう。家を失ってそのうえ、夫と、助けてくれた友人に疑いがかかるなんて、気が気ではない。

 だが、ふたりの疑いはこの場で晴れた。

 夫は、火事発生のタイミングと移住のタイミングが合わない。

 バーンには、動機がない。

「ただ、もし手掛かりを見落としてはいけないと思いましてね。バーンさん」

「はい」

「念のためお聞きします。あのショッピングモールには薪を買いに行かれたんでしたよね」

「そうです。キャンプファイヤーの木を組むためには、それなりに形がそろった大きな薪が必要になります。薪だけならキャンプ場でも取れますが、大きさも考えると買ったほうが早いですから」

「もうひとつ。薪の近くにはかならず、火起こしに関連する道具も売られているはずです。犯人がそこで道具を調達して、放火に使ったと考えられなくもありません。バーンさんは、ショッピングモールで怪しい人物を見かけませんでしたか?」

「何も。仮にいたとしても、薪や道具に熱中して気づかなかったと思います」

「結構」

 刑事は体を伸ばした。

「では、もし何かに気づかれたら、連絡をお願いします。キャサリンさん、紅茶、ごちそうさまでした」

 最後にカップをあおって、彼はキャンプ場を後にした。

「まったく、仕事とはいえ嫌になるな」

 警察車両が見えなくなると、夫は首を回しながらぼやく。

「バーンを疑うなんてひどい奴らだよ」

「そうよね。火事にあったわたしたちにこれだけよくしてくれたんだもの。こんなにやさしい人が放火犯なわけないわ」

「そうだ。それにそもそも、バーンには放火の動機がないじゃないか」

「まぁまぁ、僕たちの無実が証明できたってことで……」

 ふたりをなだめていたバーンは、ふと、テントの片隅に目をとめた。

 視線の先にあったのは、先ほど刑事があおったカップ、ではなくて、その隣にあったティーポットだった。ふたつある。さらに、茶こしの中には出がらしになった茶葉が何枚か。

「もしかして紅茶好きなんですか? わたし、ちょっと紅茶に凝ってて」

 紅茶に凝る人間は、ポットをふたつ使う。

 ひとつは茶葉とお湯を入れ、抽出するためのもの。だが飲んでいる間もそのままにしていると延々抽出され苦くなってしまうので、程よい濃さになった中身は別のポットに移し替える。これがふたつめのポット。その際、ふたつめのポットに茶葉が混入しないよう、茶こしを使って茶葉だけを取り除くのだ。

「いえ、紅茶ではなくて……」

 バーンは、茶こしのほうをつまみ上げて、中にある出がらしを見つめた。

 目に力が入っている。

「これ、乾燥したらよく燃えそうだなって」

「え……?」

 予想外の返答にキャサリンは聞き返す。

「いえ、僕、子供のころから燃えそうなものに目がなくて。ついつい燃やしたくなっちゃうんですよね。キャンプも、まぁ好きなんですけれど、どちらかというと、薪をたくさん燃やせるからキャンパーになったというか、キャンプなんて本当はどうでもよくて、燃やせれば何でもいいっていうか」

 バーンは茶葉が残っているほうのポットを空けて、お、と嬉しそうな声を上げた。

「この出がらし、いただいてもいいですかね。捨てられるくらいなら僕が燃やしたいんですけど」

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