4日目『行き先』お題:たれこみ屋

『行き先』



 右へ行こうか、左へ行こうか、それともまっすぐ行こうか。

 いざ塀を出てみると、やっぱり行き先がわからなくなってしまった。四回目ともなるのに、この瞬間にはまったく慣れなかった。

 気まずくなって背後の警備員に会釈をすると、懇切丁寧なお辞儀が返ってきた。刑務所、と書かれてある仰々しいプレートとは対照的だ。

 仕方ない。女の勘で右に曲がる。春の陽気とは裏腹に懐は寒い。一年間で稼げる作業報奨金なんてたかが知れているし、このご時世、学歴なし職歴なし前科もりもり天涯孤独の二十五歳女が行く当てもない。

 あー、こんなんだから刑務所出戻り率は高いんだろうな、というのを一年半ぶりに実感した。顔と体に自信がないわけではないが、二十五歳は売るにはちときつい。

 結局、昔なじみのツテをたどってまた犯罪の片棒を担ぐしかないんだろうか。

 と、向かいの道に車が路駐してあった。持ち主は道路側で車にもたれて煙を吐き出している。黒いスーツに春物のコート、手足が長い。そして、めちゃめちゃ美人だった。スマートな頬の輪郭と切れ長な目がこれ以上ないバランスで組みあがっている。

 スーツ美人はわたしに気づくと、煙草を一本取りだして見せつけてきた。

「どうだ、一本。出所祝いに」

 見ず知らずのわたしにそうやって叫ぶ。

「いいんですか?」

 道路をわたり、煙草を受け取る。次にわたしの目の前に現れたのは、あの金色の記章と、黒い警察手帳だった。残念なことに顔写真が美人と一致している。

「だが吸った瞬間逮捕する。ここは路上喫煙禁止だ」

「……職権乱用じゃないですか。あなたはどうなんですか」

「いいんだよ、うまいこと車内で吸ってるから。ほら」

 確かに、彼女の指先は車の窓枠をまたいでいて、煙草の先端は車内だった。しかも、いちいち体をかがめ車に顔を突っ込んで煙草を吸っている。いや、ただの屁理屈では。

「そこまでして吸いたいんだったら車から出る必要あったんですか?」

「獲物を逃がしたくないんですよ」

「え」

 聞いた瞬間、背筋がぞわりとした。

 これでもわたしは前科者だ。警察に追及されていない罪状も、実はいくつか残っている。まさか、刑務所から出た瞬間に再逮捕なんてオチが……。いやでも行くあてがないんだ、むしろ刑務所に送り返してもらったほうがいいのでは……。と思いつつも、つい体は警察官から距離をとる。

「まぁ待て」

 わたしの肩が、がっちり捕まれる。細い腕に似合わずものすごい力だった。全然体が動いてくれない。

「君を逮捕するつもりは全くないし、君自身の罪を追及しようとも思っていない」

「は……へぁ?」

「まぁ、乗りなよ。中なら吸い放題だ。話はそれからにしよう」

 吸っていた煙草を携帯灰皿にしまい、彼女が後部ドアを開けてくれる。わたしは煙草に誘われたときと同じく、おめおめと従った。ここで反発する力があれば前科者になることもなかったのかもしれない、と思い至りはするものの、過ぎたことだった。

「火」

「どうも」

「シートベルトはしろよ」

「はい」

 車はゆっくりと走り出した。思ったよりも優良ドライバーだ。

「それで君に話なんだが、すこしわたしの手伝いをしてくれないか?」

「手伝いって……警察官の? わたしに警察官になれってことですか? 無理ですよそんなの」

 自慢じゃないが、わたしのとりえは顔と体だけだった。勉強もスポーツも全くダメ。生まれる地域を間違えるとこれほど生きづらい個性もない。

「違う違う。そもそも君は中卒だろ、いちおう警察官は高卒以上じゃないとだめなんだ」

「はぁ」

「わたしは、ただ君に話をしてほしいだけなんだよ」

「話?」

「そう。君はこれまで四回、出たり入ったりを繰り返して、そのたびにいろんなチンピラと会ったりしてきただろ?」

「まぁ、そうですね」

「それを、わたしに教えてくれればいい」

 聞いたことがある。前科者が持っている犯罪者に関する情報を、警察が欲して直接コンタクトをとってくることがあるらしい。

「あの、わたしが入所する前の情報なんてあてになるんですか? 結構古いと思うんですけど」

「古いかどうか判断するのはわたしだ」

 確かにその通りで。

「それに、古い情報といっても、古いからこそ意味がある情報もある」

「例えば?」

「人間関係がそれだ。昔の交友関係をあさっていくと、意外な人物同士が結びついて、それが犯罪解決に役立ったりもする」

「はぁ」

 そのせいでわたしも捕まったのだろうか、と考えるとついつい対抗心がわいてくる。

「あの、そんな大事なことをわたしに教えちゃっていいんですか? わたしがその操作方法を悪い奴らに教えるかも……」

「どうってことないさ。二時間ドラマの指紋捜査を見たことがない犯罪者なんていない。それでも指紋捜査は重要な捜査方法だし、証拠になる。それと一緒だ。大事なのは情報の中身だからな、それをどうやって手に入れるかは、ある意味お互い合意の上なんだよ。警察も、犯罪者も」

 あっさり論破された気がする。こういうとき、頭が悪いと損だった。

「それに、君はわたしの要求を拒めない」

「どうしてです」

「まず第一。それを犯罪者に伝えたところで、君が疑われるだけだ。最悪殺されることになる」

「確かに……」

「そして第二。君は生活のあてがない。調べたよ。君の能力と経歴じゃ、更生プログラムも再就職も難しいだろうからね」

 何か反論しようと思ったが、これまた真実なので何も言えなくなってしまう。

 突然、左の人差し指と薬指が熱くなった。

「うわ、熱っ!!」

 煙草のことをすっかり忘れていた。ひとつも吸わないうちに、フィルターの部分まで火が迫っていた。慌てて足元に投げ捨てて、踏み消した。

 美人刑事は笑いながらハンドルを回す。ものすごく絵になる光景だった。笑っている理由を別にすれば。

「そういうところだよ」

「そういうところ?」

「別に、わたしだってやたらめったら出所者に声をかけているわけじゃない。それなりに相手は選んでいるつもりだ。君は、四回も入所と出所を繰り返している。しかも二十五という若さでだ。どういう意味か分かるかい?」

「いや、まったく」

「ふつう犯罪を繰り返していくと刑期は長くなっていく。反省の色が見えないっていう裁判所の印象もあるし、何より、犯す犯罪のほうがエスカレートしていく。そうじゃないか?」

「考えてみれば、そうですね」

 わたしが見てきた人もそうだった気がする。少なくとも、以前捕まった罪より軽い罪で捕まる人はいなかった。

「いっぽう君は、二十五歳で四回。平均して懲役一年。警察がこんなことをいうのは問題だが、極悪犯罪者、というわけでもない。捕まったのも、窃盗だったり出し子だったり、そういう末端の犯罪だからね」

「もっと悪いことをしてたほうが、有益なんじゃないですか?」

 彼女の話を聞いていると、なんだかそんな気になってしまう

「そんなことはないさ。むしろ、いつまでたっても君はそういう末端しか任せてもらえないんだ。それは逆に、いろんなグループと接触できる可能性を秘めているということでもある。有能な末端は、だんだん組織に引き込まれて重要なポジションを任されるようになる。そうなれば、警察とおめおめ接触すらできなくなるだろう?」

「確かに」

「何より、君はどこか抜けているところがある。相手の警戒心を解いてしまう空気を持っている。言われたことはまぁまぁこなせないこともないが少しでも複雑になると追いつかなくなる。それが、君がグループの末端でしか生きられない理由だが、逆にそれは、こいつは内通者にはなれない、と相手を油断させる理由にもなる」

「あの、それ、わたしを褒めてるのか馬鹿にしてるのかどっちなんですか」

「両方だ」

 気持ちいいくらいに美人は言った。

「だが少なくとも言えることは、わたしは君を必要としている。君の力が必要だ」

 運転中だから、視線はまっすぐ前を向いている。いつの間にか車は、刑務所のある郊外から駅近くの繁華街に入っていた。久しぶりに見る、色とりどりの街並み。わたしはそれらに一通り目を奪われながら、結局は、バックミラー越しに彼女の表情へと戻っていった。

「初めてです。そんなこと言われたの」

「ん、どれがだ?」

 オウム返しは恥ずかしくて、言いたいことだけを言う。

「……出し子をやってた時も万引きを手伝った時も、あれをやれこれをやれ、お前の代わりはいくらでもいるんだぞ、って言われてて。そういえば小学校でも中学校でも、お前は何もできないから勉強しろ、お前の代わりはいくらでもいるんだぞ、って言われてて。おかしいですよね、まっとうな人間を育てるための義務教育と、まっとうな人間から外れた人間が行き着いた先と、言われたことが一緒だったなんて。結局わたしは、代わりがいくらでもいる人間ですらなくて、そういう人間は何かしらの歯車として、入れ替えられることにびくびくしながらほかの歯車にしがみついて、捨てられたら捨てられたでぼろぼろの歯車でもはまる場所を見つけなくちゃいけないんです。これじゃあ、生きるために生きてるみたいで、どこにも行けないっていう意味では、死んでるのと変わらないですよね」

 全部言い切って、これだけ長く話したのは初めてかもしれない。軽く息が上がっている。美人警官は、煙草も吸っていないのにふぅ、とひとつ息を吹いた。

「そういう人間を出さないための更生施設なんだがな、いったい何をやってるんだか。まぁいい。わたしもそのつもりで君に接触したんだ。ついてきてくれるのなら、君だからできることを、これでもかというほど与えてあげる。少しは、生きやすくなると思うんだが、どうかな」

 急に車が止まった。

 賃貸屋の看板が見える。

「まずは部屋を探すところからだ」

 スーツ美人はさっそうと車を降り、後部ドアを開けて、わたしの手を引いた。

 当分は、彼女に手を引かれるまま生きるのもいいかもしれない。少なくとも犯罪組織のドンよりは美人警官のほうがいい。そう思える。

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