3日目『甦り』お題:墓地に運ばれる途中の棺桶の中で男が息を吹き返す

『甦り』



 父は実直な人間ではあったが、愚鈍な人間でもあった。釘職人として独立し、自分の工房を持てるだけの技術を有していたのに、仕事熱心なあまり弟子は長続きせず、自分の作った釘が安く買い叩かれていることにも考えが及ばなかった。

 また、寡黙な人間ではあったが、謎の多い人物でもあった。父は自身のことについて何も話さない。仕事中に誤って左手の小指を落としてしまった時でさえ、わたしが気づいたのは傷がふさがってからだった。そのせいで父のことは、それこそ釘職人ということ以外何も知らない。普通の家族として過ごしていたならもう少し何か聞く機会もあったのだろうけれど、母はわたしを産んだ直後に他界し、それ以来ずっと働き詰めで、釘が安く買いたたかれていたから余計に働き詰めで、わたしと顔を合わせることもめったになかった。たまに顔を合わせても、父が作った釘以外の鉄製品を受け取るだけで、わたしはそれをすぐに売りに行った。旅人が狙いの客だった。旅人はすぐにパリを去ってしまう。おちおち父と談笑する暇なんてなかった。

 わたしは父の製品を売り、お針子もやってなんとか生計を手伝ったが、働けば働くほど苦しくなっていく錯覚からは逃れられなかった。仕事が認められて女裁縫師クチュリエールになる将来も夢見たが、わたしに回ってくるのは男物の擦れた外套ばかりだった。昨日の晩なんて、菓子ウーブリ屋を装った強盗に押し入られたものの、被害はなかった。盗むものがないから。

 そんな生活が十数年も続いた結果、三日前に父は死んだ。手の震えがとまらない医者が言うには、心臓が原因らしい。

 安っぽいジャケットを着た胡散臭い葬儀屋と、彼に先導される痩せた二頭の馬と、車輪をくっつけた板としか言いようのない荷台と、粗末な棺と、つぎはぎだらけで自作の喪服を着たわたし。これが、父の人生のすべてだった。もっとも、葬儀屋は誠実な青年ではあった。なるべく早く埋葬を終えたい、とわたしが要求すると彼は、いやな顔ひとつせず、夜明け前に馬車を持ってきてくれた。強盗に頭を打たれて気絶していたわたしのこともかなり心配してくれた。何なら明日出直しますが、という彼を説き伏せたら、わたしの着替えをしっかり待ってくれた。おかでげ貧相な葬儀を通行人に見られなくて済む。機会があったら彼の評判を流してあげようと思う。もっとも、父の葬儀に参列者は無であり、その娘であるわたしの人付き合いも察して余りあるだろうが。

 仕事熱心な照燈持ちファロテロが、短い蝋燭をこぼさないように会釈をしてくれる。見られるのは嫌だけど、これは仕方ない。軽く会釈を返した。蝋燭の長さから見て、夜明けは近いようだった。

 折よく、街並みの隙間から朝日が差し込んでくる。

 墓地はすぐ目の前だ。

 その時だった。

 貧相な棺がガコン、と音を立てて開いた。

 三日前に死んだはずの父が起き上がっていた。

 葬儀屋は道路にへたり込んで、股間のあたりに水たまりを作った。ぶつぶつと何かが聞こえるので振り返ると、照燈持ちファロテロは蝋燭を捨ててひたすら十字を切っていた。


 葬儀屋と照燈持ちファロテロ、ふたりの功績もあって、わたしの父が死の淵から甦った、しかもあろうことかあのキリストと同じ三日後に甦ったという話は、あっという間にパリに知れ渡ってしまった。何度も言うが、父はずっと働き詰めで、教会に行ったのなんてわたしの洗礼式ぐらいのものだ。わたしも同じだけど。その程度の信仰心しかもっていないのだから、さぞ教会も迷惑だろう。できることなら、あの手の震えがとまらない医者が出まかせを言ったのだということにしておきたかったのだが、ことはそううまくいかない。

 父は人が変わったように、死の淵の体験を吹聴して回った。

 ある時は早朝の市場の片隅、ある時は真昼間の広場の中央、ある時は夜更けの酒屋の前。父曰く「大きな光に包まれて、目の前に大いなる存在が降臨した。偉大な温かさを前にひざまずくしかなかった自分に大いなる存在は、そなたが新たな神の子となり、神の言葉を伝えてほしい、と告げてくださった」らしい。父はそれから人々にいろいろな説法を繰り広げ、ひとりひとりから丁寧に小銭を受け取っていた。

 黙っていなかったのは大道芸人や流しの歌うたいたちだ。みんながみんな父に体験談を聞きに来て、各地に伝導させてほしい、と頼んでくる。彼らにしてみれば、教会を話題に出すと命がないが、父のようなぽっと出の宗教話は非常に扱いやすく、これ以上ない飯の種だった。父は賢しくも高めの金額を要求し、代わりに、より詳細な話を言って聞かせた。あっという間にわたしたちの懐具合はあたたかくなり、カチカチに固まったパンが焼きたてのパンにかわり、チーズには味が付き、腐りかけのリンゴは真っ赤に色づいた。立ち眩みと息切れがなくなって、久しぶりの生理が来た。

 その間、わたしは何も言い出せないでいた。死人が生き返ったこと、はたまにあるらしいが、それ以上に、父の行動が別人のようになってしまったのが怖くて仕方なかった。あれだけ寡黙に釘を作り続けていた男が、いまや大道芸人風に稼ぎを上げる伝道師だ。わたしが父に話しかける勇気をはぐくむのに、三日もかかってしまった。

「お父さん、いったい何があったの……」

「お前は心配しなくていい。全部任せてくれればいいから」

 三日の勇気が、その数秒で溶けてしまった。


 黙っていなかったのは教会だってそうだ。

 十日ほど後のこと。わたしが買い物に出かけていると、いつもより多くの神父さんを見かけた。彼らは一様にわたしに視線を向けてくる。そして角を曲がろうとして聞いてしまったのだ。

「例の甦った彼についてどう思うか」

 神父は街に出て聞き込みをしていたのだろう。父が本当に甦ったのならそれはキリストであり、下手に手は出せない。だが、神の子を騙る者であれば罰しなければならない。その判断を付けるために。

 父に抱いていた恐怖とはまた別の恐怖が、わたしのなかを駆け巡った。もはや街角の大道芸人ではなく、神か大罪人、教会から目を付けられるほどの大事になっていたのだ。

 わたしはカゴからパンが落ちるのも構わずに走った。最近は朝の巡礼をやめたらしく、この時間帯は家で酒をかっ食らっているはずだった。案の定、扉を開けるとそこには、起き抜けから葡萄酒の壜を転がしている父の姿があった。貧乏で酒に払うお金がなかった反動なのだろうか、すっかり酒精のとりこになっていた。わたしは変なところで安心する。こんな男が神の子のわけはない。いくら信心に疎くとも、それくらいはわかる。だから、安心して話すこともできた。

「お父さん、いったい何やったの。町がすごいことになってるよ」

「あー、わたしは神だからな、それくらいどうということはないさ」

 舌が回っていない。

「そういう問題じゃない。下手したら教会に連れ去られて、審問にかけられちゃうかもしれないんだよ」

「おー、そうか、お前はわたしを心配してくれるのか」

 父は机の上でだらしなく寝そべり、両手を伸ばす。壜が何本か転がり落ちて鈍い音をたてたが、わたしは意に介さなかった。

 気づいてしまったのだ。いや、どうして気づかなかったのだろう。特異なものが普通にもどってしまうと、案外気づかないものなのだろうか。

 父の左手に、小指がついていた。仕事で落とした指すらも、死の淵から甦ったというのだろうか。


「わ、わかった、話す。話すから。それを下ろしてくれ」

 父が父でないと気付いた瞬間、わたしは何でもできた。ひとまず壜を拾って彼の腕を殴りつけた。わたしが怒鳴りつけるたびに彼は小鳥のような声で泣き、とうとう口を割った。

「わ、わたしは、お前の父親の兄だ」

「……兄?」

「知らなかったのか? お前の父親は双子の弟なんだ。そして、その兄がわたしだ」

 いくら自分のことを話さない父だからって、まさか兄弟のことすらも話していなかったなんて、思わず笑えて来る。つまり、目の前にいるのはわたしの父ではなく伯父ということだ。

「で、その伯父さんがどうしてこんなところに」

 彼は床に額をこすりつけながら話し始めた。

 伯父はとある商人組合でそこそこの地位にいたらしい。ところが、組合の金に手を付けたのがばれてしまい、追われる立場になった。首尾よく死亡通報人から父の訃報を聞いた彼は、わたしの父に成り代わることを思いつく。

 まずは菓子ウーブリ屋を装った強盗のふりをしてわたしを襲った。わたしが気絶している間に彼は棺の中にある父の遺体を川に捨て、のうのうと棺の中に入った。そのあとは、折よく棺を開けて甦れば父として生きていける。しかも、神の子という勲章付きで。唯一の誤算は、指が一本足りないことに気づかなかったことだろう。いや、それはわたしが言えたことではなかった。

「……お父さんのこと、川に捨てたんだね」

「すまなかった、この通りだ」

 伯父は何度も床に伏せた。

 話したこともほとんどない、稼ぎも少なかった、そんな父でも、遺体を捨てられて怒りがわかないわけはなかった。

 けれど、思ったよりも冷静ではあった。頭の中は存外に透明で、これからどうしていくべきなのかを考えるのはそれほど難しくはなかった。

 伯父はといえば、ゆっくりと考えを深めて押し黙っているわたしに耐え切れないのか、ひたすらに泣き言を繰り返している。

「頼む、この罪は働いて償う。伯父と姪の関係じゃないか、きっとうまくいく。だから何も言わずにわたしをここにおいてくれ。頼む、ちゃんと働くから」

 彼の言を信じるなら、商人組合でのしあがった以上は何らかの才能があるはずだった。それを捨てておくのはもったいない。

「……ねぇ、伯父さん。伯父さんは釘、作ったことある?」

「釘か。いや、作ったことはないが組合で取り扱ったことは何度かある」

「わかった。じゃあ、釘の作り方、最低限だけど教えるから、お父さんのように釘を作って売って、それでまっとうにお金を稼いで。お父さんは安くしか売れなかったけど、商人組合にいた伯父さんなら、ちょっとは高く売れるはずでしょ」

「わかった、そうする。そうする」

 早速わたしは、伯父を父の工房に連れて行った。多少ほこりが積もっていたが、道具は問題なさそうだ。かまどの煙突も、掃除夫を呼べば何とかなるだろう。わたしは一度だけ見た父の仕事ぶりを思い出して、火を付けた炭を炉に並べ、その上に鉄の塊を置き、真っ赤になったそれを、やっとこで把持しながら金槌で打った。高くて硬い音がする。ひたすら鉄を打ち込む父の後姿を思い出した。懐かしかった。けれど、昔の生活には戻れないのだ。

 当然、わたしに釘なんて作れるわけはなかった。鉄の棒は不細工な先端が平べったく広がり、なんとも不細工だった。

「まぁ……わたしは上手にできないけど、伯父さんのほうが釘とか職人さんはたくさん見てるはずだから、上手にできるよね」

「あ、あぁ、わかった。上手にする」

 口をぱくぱくと開いて、せわしなくうなずく伯父は何とも下品だった。父の兄とは思えなかった。なんだか、父が汚されている気がした。

「そうそう、伯父さん、あれ見えるかな」

 わたしは天井の一角を指さした。

「ん、なんだ?」

「そこに手をついて体を伸ばしたほうがよく見えるよ」

「わかった」

 伯父さんはわたしに従って、鉄床に手をついた。

 運よく、左手を広げて。

 わたしはさっき作った不細工な鉄の棒を左手に、金槌を右手に持って、振り下ろした。

 伯父さんが、汚い叫びをあげる。

 金属の鉄とはまた違う、生臭い鉄のにおいが広がった。

 ころころと、小さな肉の塊が床に転がって、そのあとに赤い糸が伸びた。

 伯父さんは左手を右手で抑える。指の隙間から、血がどんどんあふれる。

「な、なにを……」

「知らなった? わたしのお父さんね、仕事で左手の小指を飛ばしちゃったの。だからお父さんに成り代わりたいんだったら、伯父さんには指が一本多いんだよ」

 目を大きく見開く伯父さん。

「でも、その体で今から釘職人は大変だよね。だからさ、復活の話を教会に怒られない程度にに混ぜつつ、大道芸人か流しの歌うたいをやってほしいな。指が一本少なかったら、話題になるでしょ。わたしが伯父さんの衣装を作ってあげるから」

 もう、昔の生活には戻れない。

 おいしい食べ物は目の前にある。

 女裁縫師クチュリエールの夢が、甦る。

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