三十一
それからどうやら寝てしまっていたらしく、私はふと目を覚ました。隣を見やると夜鷹さんがメモ帳とまだ睨めっこをしている。そして起きた私に気がつき、こちらを見て微笑んだ。
「ちょうど良かった。もうすぐ着くから起こそうかと思ってたところだよ」
「すみません、疲れてしまってたみたいで」
休めたならよかった、と彼はポケットにメモ帳をしまい、コートの襟を直した。それからしばらくして、S谷駅にまもなく到着すると車内放送が入った。
「じゃあ、支度して降りようか」
「はい」
二人とも鞄は持っていなかったので、身一つのまま駅へと降り立つ。前来た時から数ヶ月が経っていて、駅周辺の景色は様変わりしていた。桜が咲き、吹く風も暖かく心地よく感じられる。ロータリーの中央には大きな枝垂れ桜が植えられていて、その下には見覚えのある車が止まっていた。
「ナツさん、もう来てますね」
「うん、あの車だね。行こうか」
階段を下り車の方へと向かうと運転席のドアが開き、中からナツさんが手を振りながら出てきた。笑顔ではあったけど、どこか造ったような感じが抜けず、さらに以前よりやつれているように見えた。
「ナツさん、お久しぶりです」
夜鷹さんが頭を軽く下げ、挨拶した。
「夜鷹さん、真琴ちゃん、お久しぶりねぇ。よく来てくれたわ、いらっしゃい」
挨拶を軽く済ますとさあ、と言って彼女は私たちを車に案内し、自分も運転席へと乗り込んだ。そしてゆっくりと車を走らせ、山への道を進む。
「夜鷹さん、どうして突然こちらに来たのかしら。事件は終わったし、S谷村に用はないはずよね」
「そうですね、無かったけど急にできた、といいますか。とにかく村に残ってる、あの事件に関わった人達ともう一度お会いしたくて」
そうなのね、と彼女は呟くと少し困った顔で先を続けた。
「でもせっかく来てくれたのに悪いんだけどね、栄吉さんは今独り身になってしまったから家を売って街の方で暮らしてるわぁ。それと、私もたえさんが亡くなったから別の仕事をしに郊外に引っ越したのよ」
「そっか……栄吉さんは家族全員を失ったんでしたね……」
そうね、と悲しげにぽつりとナツさんが呟いた。
「じゃあ今村にいるのは光也さんと貴美子さんだけですか?」
「そうよ、ただあの事件以来貴美子さんが塞ぎ込んでしまって、呆然と過ごしてるみたいね。それを支えるために光也さんは家事と仕事頑張ってるみたいよぉ」
それを聞いて、内心決意が揺らいだのが分かった。献身的に母親を支えている光也さんがもし真犯人として捕まったら……いや、そんな甘いことは言っていられない。それでは、殺された人たちが浮かばれない。
「じゃあ光也さんさんの家の前で降ろしてください。あと、厚かましくて申し訳ないんですけど出来れば帰りも送って貰えますか」
「ええ、もちろんいいわよ。私は車で待ってるから、ゆっくりしていきなさいね」
車は青々とした山道を抜け、S谷村へと一時間かけて到着した。そして登り坂を進み、酒田家の前で停車した。
「着いたわよ、私は座席倒して居眠りしてるから、帰る時起こしてね」
はい、と言って私たちは車から降り、酒田家の玄関の前に立った。夜鷹さんも緊張しているのか、数度咳払いをして身震いしていた。
「じゃあ、ノックするからね」
「わかりました、お願いします」
コンコン、と二度戸を叩いた。返事はない。ナツさんの話だと貴美子さんは居るはずだけど、出れる状態じゃないのだろうか。
「裏手に回ってみようか」
夜鷹さんの後に続き、玄関から離れ裏へと向かう。しかし家の角を曲がろうとした時、突然夜鷹さんが止まった。そして、若干身構えたのがわかった。その理由はすぐにわかることになる。
「おや……夜鷹さんに真琴さん……だっけ。どうしてここに」
「お話がしたかったんですよ。ある事についてね」
ええ、いいですよ、とにこやかに返した光也さんの右手には、薪割り用の斧がしっかりと握られていた。
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