二十七(過去の記憶【後】)

俺は取り乱しながらも、お父さんとお母さんを叩き起した。二人ともすぐに起きて、外に出て行った。俺も野次馬根性があったのか、家からそーっと出て外を見た。そして、信じられないことに気付く。

燃えていたのは、さっき遊んだばかりの光也の家だった。俺の斜め向かいの家は、そこしかない、直ぐにわかった。

「光也ぁ!」

叫ぶと同時に走り出し、お父さんの静止を振り切って光也の家の目の前まで辿り着く。幸いなことに、光也は家の前にいた。

「あっ、太一。大変なんだ、家が……」

「うん、大丈夫だから。消防車も来るはずだよ」

「で、でも、僕の妹と……赤ちゃんがもう一人……中に」

半泣きになりながら、光也が声を振り絞って言った。

「それ、本当に?中にまだいるの?」

「大人たちはもう無理だって……」

俺は特に自分の身に降りかかる危険とかは何も考えていなかったと思う。一つ何か足を動かした要因があるとすれば、妹を失う悲しみを光也に味わって欲しくないと思ったことくらいだった。

「あっ、太一!危ないよ!」

光也と大人を無視して、俺は玄関から燃え盛る家の中へと飛び込んだ。もう、後に引く気なんて全くなかった。

中に入ると案外視界は良く、前もかなり先まで見えていた。しかし吸い込む空気は熱く、喉が焼けるようで長居は出来そうにない。妹さんがいる場所を聞けば良かったなあ、なんて思いながら囲炉裏の周りを中心に這いつくばって探した。

すると、ようやく見つけた。よし、大泣きしてるけど生きている。しかし、もう一人が見当たらない。光也の言っていたことは本当なのか、とこの時疑ってしまった。その一人を抱き抱え、また探し始める。しかしどこにもいない。諦めて一旦外に出ようかとしたその時、部屋の奥から鳴き声が聞こえた。どこだ?もしかして風呂場か?そう思って奥の扉を開くと、風呂桶の中に服を着たままの赤ちゃんがいた。良かった、生きてた、と思った。右手に火傷をしているらしいけど、そんなに酷くはない。しかし、すぐに俺は衝撃で動けなくなる。それは物理的なものではなく、目の前の赤ちゃんが身につけていたものを見た事が原因だった。

その赤ちゃんは、妹が来ていた服と寸分違わないものを着ていたのだ。

「え……まさか、お前、ーー?」

その問いに答えるはずもなく、ただ赤ちゃんは泣き続けた。なんでここにーーが?ここは確かに光也の家のはず……

だけどそんな余計なことを考えていたせいで火の手はさらに広くなり、出口までの道が燃え盛る炎でよく見えなくなってしまっていた。慌てて二人を両脇に抱え、一か八か出口へと走る。そして、そこで最悪なことが起こってしまった。恐らくこれがなければ、未来は変わっていたんじゃないかとも思える、それほどまでに最悪なこと。

俺は何かに躓いて派手に転び、右の脇腹を強く打ってしまった。

「いってぇ……あっ!」

気付いた時には、もうすべてが終わっていた。泣いていたはずの右脇に抱き抱えた赤ちゃんが、静かになっていたのだ。

「嘘……だよな……」

目を逸らしたかった。逃げ出したかった。このまま燃えてしまいたいとすら思った。しかし、現実は逃がしてくれなかった。

光也の妹は、首を曲げもう既にこと切れていた。

「あう……ああ……うわあぁあぁ……」

俺はそのまま立ち上がれず、ただ声にならない悲鳴をあげるばかりだった。目の前に横たわっている現実を受け入れられず、ただただ泣いた。それしかできなかった。

「なんで……どうして……」

ただ、泣いた。

「なんで、騙されたお母さん、ーーだけじゃなく光也の妹まで悲しい目にあうんだ」

ただ、喚いた。

「なんで光也の妹は死ななきゃいけなかったんだ!」

ただ、叫んだ。

「どうしてだ!こいつが何をした!」

ただ、呪った。

「あんな男がいなければ……皆は悲しい目に合わずに済んだのに……!クソ!あんな男さえ!いなくなれば!いなければ!」


いなくなれば、いなければ。そう口に出した時、俺の中に確実に、悪魔が生まれた。子供によくやるイタズラを耳元で囁くような小悪魔なんかじゃない。人の生き死にを左右する死神ですら恐怖する「悪魔」が俺の中に芽生えたんだ。そしてそれは急速に歪な葉をつけ、真っ黒な花を咲かせ、赤黒い知恵の実をつけた。そして俺はそれを迷うことなく、齧ることを選んでいた。


「服を……脱がせよう」

俺は急いでーーと光也の妹の服を脱がせ始める。背中のボタンで止まっていただけだから、すんなり外すことが出来た。そしてそれを、俺は躊躇うことなく、入れ替えて着せたのだった。

「よし、できたぞ……」

もう俺の心に善意とか良心なんてものは欠片も残ってなかった。ただそこにあったのは、魂を悪魔に売ってでも、名前も存在も変わったとしても、彼女には生き延びて欲しいと思う気持ちだけであった。

こうして光也の妹はーーとして死に、ーーは光也の妹として生きることになった。

「これなら……あいつは養子に出されずに済む。黙ってれば光也の家で幸せに暮らせるんだ」

そう思い、何故かは分からないけど少し心が楽になった。もうすでに心を悪に侵食されていたのかも知れない。

そして、そのあとのことはよく覚えていない。ただ無我夢中で玄関を抜けて、大人たちに囲まれ助けられたのだけは覚えている。逃げだしてすぐに気を失ってしまったから、そのあと何が起こったかは全く分からなかった。


次に目を覚ますと、そこはどうやら病院だった。ベッドの周りをたくさんの大人たちに囲まれて、とても驚いたし怖く感じた。きっとそれは、自分がしてしまった取り返しのつかないことを思い出したからだと思う。でも、それは光也の妹を殺してしまったことなのか、服をすり替えたことについてなのかは分からない。

「太一くん、大丈夫け」

初めに声をかけてくれたのは、霧矢のたえさんだった。村で一番多くの土地を持ってて、旦那さんと共に皆から尊敬されている人だ。だから、少し話すのが畏れ多く感じられた。

「はい、大丈夫です。ありがとうございます」

「うんうん、なら良し。勇敢だったそうだな、お前さん。いくら中に赤ん坊がいるとて、普通は燃え盛る火の中に飛び込もうなんて考えもつかんよ」

「あ、それで……そのことなんですけど」

思い切って、こちらから切り出してみた。服を交換したのがバレていないか、探るためでもあった。

「ああ……わかっとる。あれは仕方の無いこと、一人助かっただけでも儲けもんだ」

「本当に、ごめんなさい……」

「謝る必要は無い、お前は確かに人を一人助けたんだからの」

何も言えず、シーツをぎゅっと握って涙を堪えることしか出来なかった。俺があそこで転ばなければ……二人とも助けられたのに。でも、もういい。俺は確かにーーを助けたんだ。その事実があるだけで、いい。

「きっと光也の妹も天国で感謝しとると思うぞ。友達助けてくれてありがとうってな」

「はい……え……?」

それを聞いて頭が真っ白になった。

「いいかい、お前さんのせいじゃないんだ。もともとは火事になっちまったことが悪いんであって、お前のさんせいじゃない。自分を責めるな」

どういう……ことだ……?俺は確かに、死んだ光也の妹に「俺の妹の服を着せた」はず。だから光也の家には「光也の妹の服を着た俺の妹」が生きたまま行っているはず……つまり光也の妹は中身こそ違えど、生きていることになってるはずなんだ。なのに、何故光也の妹が死んだことになってる……?やっぱり、服を入れ替えただけじゃ誤魔化すことなんて出来なかったのか……?大人たちには、分かってしまったと……いうのか。

「光也と貴美子さん、彼のお母さんには上手く伝えておいたから、心配する必要ないよ。というより太一くんにはお願いをしねえとならねんだ」

「は、はい。なんですか」

「今後、この火事にまつわる……いや、火事を契機に起こった君ら妹たちのことは、すべて秘密にしてほしい」

ああ、もうバレてしまったんだな、とこの時確信した。でも、これは互いに秘密にしようという約束でもあると思った。

しかしよく考えると、光也の妹が死んだというなら俺の妹はやはり生きているということになっているんだろうか。だとしたら、もう家に帰って元気にしているかな。これで養子に出される話がうやむやになったりしてないかな、火傷は治ったかな、なんて楽観的なことを考えた。

しかしそんなことはある筈もなく、俺が退院した時既に揺りかごの中にはあの時のように誰もいなかった。


「光也、助けられなくて本当にごめんな」

俺は退院した次の日に焼けてしまった光也の新しい家に来ていた。そこはどうやらたえさんが建て直すまで貸してくれている家らしい。

「いいよ、仕方ない。あれだけ火が強かったんだから。むしろ君が無事で良かったよ」

そんなことを言われるとは、露ほども思ってなかった。むしろ散々に責められ、絶交されると思っていたくらいだったから。

「ありがとう、でも、俺は……」

「……悪く思ってるなら、もうその話は二度としないでくれ。それだけでいいから」

「……わかった、ごめん」

「それと、謝るのもだ。そして明日また遊びに来てくれれば、それでいいさ」

うん、と俯いて言った。

こうして結局、光也の妹である「有紗」は死に、俺の妹である「友梨香」は養子に出され生き残ったことになる。


ーーーーー


そして二十年後、運命の日。

ゆいの頭を撫で、それを振り払われた時。俺は見てしまった。

彼女の右手に、あの赤ちゃんが負っていたのと同じ場所に出来た……火傷の痕を。

やはり俺の妹は生きていた、それを見てそう確信したんだ。

別の家で、別の暮らしをして、別の……「名前」になって俺たちに嘘をついて。でもその時は心底安堵したし、何より無事でいてくれたことが嬉しかった。


しかし、そう思えたのはたった二日間だけだった。きっと、俺の中にいた悪魔が今度はゆいを奪ったんだ。


ただし今回は俺ではなく、他の誰かに乗り移って、だが。

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