二十六(過去の記憶【前】)
俺は、母さんも妹も大好きだ。妹が生まれた時は最高に嬉しかったし、もちろん大切にしようとも思えた。初めての兄妹であったのもそうだけど、やっぱり自分がお兄ちゃんになれたという気持ちも強く、それがちょっと特別な感じがしてとにかく嬉しかった。
とはいえ生まれてからすぐはやっぱりお母さんが妹の世話をしたし、あまり抱っこもさせて貰えなかったからたまに揺りかごの中にいる時にあやすくらいだったけど、それでもお兄ちゃんになった気分は充分過ぎるほどに味わえた。お母さんもそれを見て褒めて喜んでくれたし、俺も誇りに思えたんだ。
でも、俺はそんなお母さんが村で「つまはじき」にされていることを薄らと知っている。それはきっと……あいつが原因なんだ。
妹が生まれる前、あいつとお母さんは「ふりん」って関係にあったんだって。それはお母さんがそいつに騙されてたって、他の村の人が話しているのを聞いた。
それなのにお母さんはつまはじきにされてしまって、村の人からは関わるわけじゃないけど、かと言って助けないわけじゃないというなんとも言えない感じにされていた。
きっとそれはあいつが死んだことが原因なんだと俺は勝手に思っていた。お母さんと「ふりん」をしていたあいつは、一年前の夜に転んで頭を強く打ち、死んだ。それを一部の村人はお母さんがわざと転ばしたんじゃないかって、噂してたんだ。だから人ごろしのお母さんと関わるのはよそうって、離れていったんだと思う。
それをお母さんはもちろん知っていたけど妹のことがやっぱり一番大事だったから、気にせずにいたんだ。それは子供の俺にだって分かるくらい悲しそうな顔を毎日していたから、嫌でもわかった。
結局お母さんが辛い思いをしているのはすべてあいつのせいで、あいつが最初からいなければお母さんは苦しい思いをせずに済んだのに、と恨むようになっていた。
そして当然のようにではあるけど、俺と遊んでくれる村の子供も減っていった。理由は簡単で、人ごろしの息子とは遊ぶな、ってだけだ。
それから俺はずっと妹の世話を手伝うか、夕方に一人で遊ぶことしかしなくなった。夕方に遊んでいたのは、村の子供と出会いたくなかったから。でもそれを見た村の大人に、お母さんがまた変な噂をされているのを聞いてから、その時間に遊ぶことは辞めざるを得なくなった。仕方なく昼間外に出ては、逃げ出す村の子供を尻目にアリの巣をつつくことが日課になっていた。
「君、なにやってるの。アリをいじめたらだめだよ」
しかしある日、突然後ろから声をかけられた。声の感じからしてどうやら俺と歳が近そうだった。最近は村の大人以外で滅多に声をかけられたことなんてなかったし、もしかして話が出来るかな、とちょっと期待を胸に慌てて振り向いた。
「ね、君。アリをいじめちゃダメだ」
そいつは俺の手を握ってそう言った。
「君、誰?俺ここの家に住んでる太一っていうんだ」
「僕は光也。ほら、いじめるのやめなよ」
掴んだ俺の引っ張って無理矢理アリの巣から離れさせようとした。
「なんでだよ、別にいいだろ」
「ダメだよ、アリだって生きてるんだ」
「ふうん、まあいいや。でさ、君は俺と話をしても大丈夫なの?」
何故か不思議そうな顔をして、彼は言った。
「むしろ君と話をして何が大丈夫じゃないの?変な事言うね、太一くんは」
「そうかな。君は知らないの?」
「知らないって、何を?」
危うく、お母さんのことをうっかり話しそうになってしまった。村の人たちは子供まで全員知ってるとばかり思っていたから、不意をつかれた感じであった。
「まあいいや。でも君、俺といると大人に怒られるよ。早く帰った方がいいよ」
「君といるだけでなんで怒られなくちゃならないの?まるで君が悪者みたいじゃないか」
悪者か、と心の中で呟いた。悪者はお母さんでも俺でもなく、あいつなのに、と。
「俺は……悪者じゃない」
「そう、ならいいじゃん。一緒に遊ぼうよ」
「えっ、いいの」
俺を見ながら光也は満面の笑みで言った。
「もちろん、遊ぼう。僕の家にはあまり遊び道具がないから、探検とかしか思いつかないけど」
「うん!しよう、探検しよう」
それから俺らは漫画に出てくるような探検隊を真似て村の裏手にある森を走り回り、どんぐりを集めてかじるフリをしてサバイバルごっこを存分に楽しんだ。その日ばかりは、一日過ぎるのが本当に早く、久しぶりに楽しかった。
しかし楽しい時間が終わるのは本当に早く、唐突だった。山から村をふと見下ろした時、村人たちがわんさかと集まって誰かを探しているのか大声を出しながらあちこちを歩いていた。
「ね、あれ僕たちを探してるんじゃないかな」
「あっ、そうかも知れない。もう夕方だし、それに……」
「それに?」
「それに、俺と光也はやっぱり一緒に遊んじゃいけなかったんだと思う。だから大人たちは必死になって光也を探してるんだ」
「よくわからないな。でも、とりあえず戻ろう。心配かけてることは間違いないよ」
うん、と言って俺たちは山を走って降りていく。それを見つけたおじさんが、他の村人を大声で呼んだのがわかった。
「おおい、光也と太一おったぞー」
「ああ、良かったな。お前らあまり心配かけんなよ」
光也はそう言って彼らに頭を撫でて貰っていたけど、俺には早く帰れと言っただけだった。別れ際に光也は手を振ってくれたけど、俺は返すことなく家に戻った。何故かは分からなかった。
「ただいま」
家に帰ると、お父さんの前でお母さんが蹲って泣いていた。それも、たまに見せる泣き方なんかじゃなかった。大声で泣き叫び、喚くような……子供の俺が見ても尋常じゃない様子で。
「お、お母さん。どうしたの」
慌てて駆け寄り、背中をさすった。しかし反応はない。というより、俺に気付いていない風ですらあった。
「お父さん、何があったの……」
お父さんは最初、口を真一文字に結んで何も話さなかった。でもしばらくしてからゆっくりと、少し怒った様子で話し始めた。
「今日からーーは他の家の子になる」
「……え?」
「何度も言わせるな、ーーは今日からうちの子じゃないって言ってる」
俺はそれを聞いて慌てて妹のいる揺りかごに走った。しかし、そこは既にもぬけの殻だった。
「な、なんで……ーーは……」
「なんでもクソもねえ。俺はあんな子供を育てる気はねえからな、養子に出したんだよ。なんでそれが今日かと言えば、ある程度あいつが成長するまで待ってたってだけだ」
「そ……そんな……お父さん……」
「なんだ?文句あんのか?お前も養子に出されたいか?」
お父さんは今まで見たことないような恐ろしい顔と言葉で、俺に凄んだ。そしてもう、どうすることも出来ないんだとこの時はっきりわかってしまった。
「最後にーーに会いたい……」
「……ダメだ。もう会うことはねえ」
それを聞いた途端、俺はすべてが許せなくなった。頭の中で何かが音を立てて崩れ、壊れ、はち切れ、怒りに変換された。
「わかった。今日はもう寝るね」
「おう……そうしろ」
俺は寝ると言ったけど、深夜まで部屋で布団には入らずに蹲っていた。何故母さんだけでなく、妹にまで辛い思いをさせなければならないのか。しなければならなかったのか。それは全部あいつが原因で、だけどあいつはもう死んでいて。煮え切らない思いをただ宿したまま、俺は何も出来ずにこのまま事を見過ごすのか、なんて考えていた。
そのまましばらくして眠気が襲ってきた頃、窓の外から街灯のないはずの村に激しい灯りが灯っているのが見えた。ああ、もしかしたら神様に俺の思いが通じて助けに来てくれて、ーーを連れ戻してくれたのかななんて思った。でも、それは違うと一瞬でわかった。何故なら、大人たちの叫び声と怒声罵声が聞こえたから。いくら子供の俺でも流石にわかる。
あれは火事なんだ、って。
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