二十四

あれから数ヶ月後。補習をなんとか終え、後期の単位を無事に取得できた私は本格的に就活に勤しんでいた。挑んでは負けを繰り返していたけど、ゆいのことを思い出すと何度でも戦える気持ちになれた。ここで負けたらゆいに申し訳が立たない気がして。

そしてあれだけ凄惨だった事件も記憶から少しずつではあるけど時間とともに消えていく。しかし、夜鷹とゆいのことだけは一日足りとも忘れたことは無かった。だから、私は一人じゃないと思えたし、最後まで戦ってゆいの分まで幸せになってやろうと思った。

そして今日は四年生の卒業式の日である。あの忌々しい男が、この学校から消える日だった。早く家に帰って祝杯をあげたいと思えるくらいに、私は彼のことを吹っ切れられるようになっていた。

「ふん、早く消えろ!目障りなやつめ」

壇上にあがり卒業証書を受け取る元彼に呪いの言葉を小声で吐き出すと、お腹が痛いと横にいた子に伝えて会場をこっそり出た。

最近はくだらないことで嘘をつくことが増えた気がする。あれだけ嫌いだった嘘に抵抗がなくなったのは悪いことではないとあの事件では思ったけど、この頃は以前のように嫌気がさす時もたまにあった。

もちろんそれは人も自分をも守るためじゃない嘘をついてしまうことに慣れた自分に、である。

校門を出て、花の蕾を宿した桜の木に目をやった。寒かった冬はもう終わり、暖かい春が訪れようとしている。

「こら、三年生は会場に戻れ」

「お腹痛いんスよ、勘弁して……って」

教授か誰かかと思って生意気な口を聞いてそっぽを向いたが、その声に聞き覚えがあったのですぐに振り返った。

「やあやあ、真琴ちゃん。久しぶり」

「夜鷹さん!?びっくりさせないでくださいよ、どうやってここに来たんですか?それに何で私の学校知って……」

「僕にだって電車賃くらいは残ってるさ。それと学校だけど、ゆいちゃんのことを調べてたら見つけた。同じ学校だろうと思って待ってたんだよ」

「もう、本当にびっくりしたんだから」

夜鷹さんはごめんごめん、と軽く謝った。

「君が電話番号を残したメモの裏を読んだらさ、なんかゆいちゃんの謎に辿りつけそうな気がしたんだ。だからもう一度君と話し合おうと思ってね」

あれ?別にその紙はメモ帳から破いたやつだから特に大事なことなんて書いてなかったはずだけどな……

「なんのことだか分かってないかな?ほら、自分でも確認してみるといい」

「表は電話番号ですね、裏は……ああ、なんだこれか」

裏にはこう書いてあった。


*お餅は焼かれていたのか


「これが大事なことだったんですか?」

「大事も何も初めの最大の謎の答えだと思うよ」

私が自分で書いて思わず自分で書いて笑ってしまった、これがねぇ……

「でも犯人はもう捕まってるからこれ以上は……」

「そうだね。というか場所を変えようか。会場、戻る気ないんでしょ?」

「さらさらないですね、お供しますよ」

私たち二人は学校から出て、寒空の中を街の方へと歩いていった。

「さすがに殺人事件の話を校内では出来ないからね、着いてきてくれて助かるよ」

「私もそう思ったし、それに学校にも居たくなかったから」

「うんうん、いいんだよ。自分に嘘をついてまでくだらないことはしなくていい」

街に向かう途中、小さなアンティーク調の佇まいの喫茶店を夜鷹が気に入ったらしく、そこに入りたいと言った。

「ここの端の席なら多少物騒な話をしても問題ないだろう、人も少ないから」

そう言って彼は店の一番奥の席に腰掛け、メニューを開いた。店の中には見たことも無い古いランタンが大きなものから小さなものまで、所狭しと飾られていた。

「君も何か選ぶといい。ご馳走するよ」

「いいんですか?お金あるの」

「いいんだよ、心配なんかせずパフェでもなんでも頼むといいさ」

お言葉に甘えて、とアイスココアにソフトクリームが乗せられたフロートを注文した。

「店員さん、僕はコーヒー。ブレンドで」

彼はS村で話した時と同じように、胸元からタバコを取り出した。

「そういえばゆいたちの事件は太一さんの犯行ってことですべて解決したみたいですね。警察が発表したの最近知りました」

「そう、僕も少し前に知ったよ。色々謎は残ってるんだけどね」

コーヒーとアイスココアが私たちの前に運ばれてきた。夜鷹はミルクは入れず、スティック砂糖を二本まとめてコーヒーに注いだ。

「それで、あのお餅のメモがどうしたんですか」

「そうそう、あれだよ。実はね、たえさんが作ったお餅は一般的に売られている焼く前は固いお餅と違って、つきたてだったから柔らかいものだったらしい」

「ええ、確かに最初の日に食べたお雑煮に入ってたお餅はあまり焼かれてなかったと思います」

「でしょ。でもね、それが気になって警察に後で聞いたらさ、たえさんの口に詰め込まれていたお餅はかなりこんがりと焼かれていたらしい」

「……それが本当に謎なんですか?」

「だってそうだろう。焼く必要がないとまでは言わないけど、元々柔らかい餅をわざわざこんがり焼いて、それを凶器として太一さんはたえさんの口に突っ込んだってことになるんだよ?さすがに不思議じゃないかい」

「まあ、確かに……凶器として使うなら焼く必要は全くなかったと思います。そうするとなんで焼いたんですかね?」

「そりゃ食べるためだろう」

「……夜鷹さん、あまりふざけないでよ」

違う違う、と彼は横に手を振った。

「当初は本当に食べるためだったんじゃないか、って僕は言ってるんだ。つまり、太一さんは最初お餅を食べようとして焼いた。しかし台所にいたたえさんと何か……まぁ口論だとしよう。それが起こり、結果そのお餅を使って殺すことにした」

「まぁ、それなら納得は出来ますけど」

「うん、だろう?まあ、そこからある疑問が浮かぶ」

「ある疑問ですか?」

「太一さんは一体何を聞いたが故に、たえさんを殺すに至ったのか。殺さなければならないほどに深刻で重大なことだったのか、という疑問だよ」

「ううん、私にはさっぱり。やっぱりゆいか、美香さんのことかな」

うん、と言って彼は指でくるりとタバコを回した。まだ吸うつもりは無いらしい。

「恐らくそうだろうね、それがトリガーとなって美香さんとゆいちゃんの殺害に至ったって可能性は非常に高い」

確かにそれはあり得る話だった。彼は自殺する前に、ナツさんに今の話は本当なのか、と確認をしていた。そして「やっぱり」と言ったんだった。これは他の人から聞いていたことを示唆していることに他ならない。

「そういえば太一さんはナツさんと私の会話を聞いていたみたいで、自殺する前にそれは本当か、って言ってた。そして、やっぱり……って」

「え、真琴ちゃんそれは本当なの?」

「はい」

「すると太一さんは自分の知っている話を半分信じて半分疑った状態で犯行を行ったことにならないかい。それって変だろう」

「まあ、そうかもしれませんけど……」

「嘘かも知れない話を信じて人を三人も普通は殺せないよ。ふうん、いよいよ怪しくなってきたな」

そう言うと夜鷹はよくやくライターでタバコに火をつけた。

「怪しいって、何がですか」

七本目、一口目。

「ちょっと話を変えてさ、美香さんが殺された時の太一さんの行動の話をしよう」

「いいですけど、私ほとんどその時の太一さんのことは知らないですよ」

「知ってることから推測しよう。確か、彼は美香さんが離れて数分後に家に入ってきたんだったね。それで、美香さんはいない、と言った」

「そうですね、そうなります」

七本目、二口目。店内に夜鷹が燻らす煙が満ちる。

「でも太一さんは美香さんが台所に行ったと聞いた時、怪訝な顔をした、そう言ってたね」

「はい、してました。理由はよくわからないですけど」

「すると僕はこう思うんだ。美香さんも太一さんも台所には最初から行ってないんじゃないか、って」

「ん?二人ともですか」

七本目、三口目。

「うん、理由としてはだね、まず美香さんの場合から。美香さんがもし台所に一瞬でも入っていたなら、太一さんは台所から現場まで彼女を誘導し家の裏で殺害しないとならないよね。でも美香さんは果たして簡単に太一さんの口車に乗り、目の前にある食事を君たちに提供することすら後回しにして外に出るだろうか?」

「ううん、美香さんならちょっと考えにくいかも」

確かに手を伸ばせばすぐそこに食事があるのに、それを置いてってまで外に出るのは少し違和感がある話だった。

「だとすると、太一さんは部屋を出てすぐの美香さんを外に連れ出した可能性が高そうだよね」

それなら、なんとなくはわかる。話を済ませてから取りに行った方が効率的であるから、理由としてはしっくりくる。

「そしてだ。太一さんは美香さんを殺害したままあの現場にずっといたって訳じゃない。台所へ探しに行ってから外へ出てすぐ栄吉さんと共に美香さんを発見してる。つまり、太一さんは美香さんを殺害した後、家に入って来て自分が殺害したはずの美香さんを探しに来てるんだ。それは君たちも知ってるはずだけど。さて、なんの為にかな?」

え……でも、よくよく考えればそうなる。太一さんは自分で殺した美香さんを探しに来てた……?なんのために?

「アリバイの偽装工作の線もあるかもしれない。でも、彼はそのあと台所に行く理由は一切ないよね。でも行ってるんだよ、彼は」

「それだとまるで美香さんが死んでたことすら知らなかったみたいじゃないですか」

ぱちり、と夜鷹はジッポライターの蓋を勢いよく閉めた。

「そう、そうなんだ。彼はまるで美香さんを殺したはずなのに、死んだことすら知らなかったように思えるんだよ」

「なんか変な話ですね。偽装工作にしては甘いというか」

夜鷹はそのまま話を続けた。

「じゃあ次は最後、ゆいちゃんの事件だ。これも情報が少ないといえば少ないんだけど、もう一度考えてみようか」

「そうですね、夜鷹さんは捕まってましたもんね」

「うん、残念ながらね」

私はソフトクリームをスプーンで掬ってそれを舐めた。

「そういえば慌ててたからあの時君にされた質問のいくつかに答えていなかったね。確か犯人を見たか、という質問とゆいちゃんが殺されたのを知っていたのか、だね」

「はい、した記憶あります。あの時は夜鷹さんも私も気が動転してたから聞いたこともすっかり忘れてました」

「うん、じゃあまず最初の質問に答えよう」

夜鷹はタバコを灰皿に押し付けると、ゆっくりとコーヒーに口をつける。そして先を続けた。

「僕は太一さんを見ていない。ゆいちゃんがお手洗いに席を立ってすぐに後ろから頭を殴られて気を失ったからね」

「なるほど」

「そして目覚めると真っ暗闇で身動きがとれなくなっていたんだ。しかしもちろん、音は聞こえた。床の上を何かが擦れる音……引きずる音が聞こえた。そしてその後、何かが微かに燃える音だ」

それは恐らくゆいを囲炉裏まで運ぶ音だ。そしてゆいの右手が燃えている音。

「あれ、でもそうすると何かおかしくないですか」

「何がだい?」

「だって、太一さんは夜鷹さんを襲ってロープで縛ってからゆいを襲ったんですよね?その間にゆいに見つかってしまいそうな気がしますけど」

「そういえば……そうだな、そうだ。僕を縛るにはかなりの時間がかかったはずだ。そしてゆいちゃんはお手洗いに行っただけのはずだから、すぐに戻ってくる。絶対にその時間で完全に縛り上げることは出来ない。モタモタしてたら彼女に逃げられる可能性だってあった」

「すると太一さんはゆいを殺したあとにまた夜鷹さんを縛ることを再開したってことですかね?」

いや、と夜鷹は言った。

「僕は彼女が囲炉裏に運ばれている音を聞いているんだ。それは間違いない。つまり、太一さんはゆいちゃんを殺す前に僕を縛ることを終えている。まさかゆいちゃんの目の前でのんびりと紐を結び続けられる訳が無い」

「でもそうすると、太一さんは夜鷹さんを殴り、ゆいを殺したあとに夜鷹さんを縛ったことになりませんか?」

「ああ、そうなる。というより、それしかないね」

八本目を取り出したけど、夜鷹は納得がいかない様子で頭を抱えていた。

「何故もうゆいちゃんの殺害を終えていたのにも関わらず、僕を縛って押し入れに入れたんだ?さっぱり意味が分からない。だけど」

「だけど、なんですか」

夜鷹は頭を掻きむしって少し悩んだ後、言った。

「彼が犯人じゃないって考えると、これに説明がつくし納得がいく」

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